アクシスの過去(後編)★
この世界には魔王と呼ばれる存在がある。
その魔王の悪行は挙げればキリがないが、その最たるものが虚物の存在だ。
魔王の呪いにより、この世には魂の入っていない生物が生まれるようになってしまったのだ。
そして魂の入ってない虚ろな生き物を虚者と人々は呼んだ。
人々が虚者を恐れる理由は、虚者の持つ異能にある。
魔法が世の理を操る能力だとするも、異能は世の理の外にある能力だ。
分裂する異能、重力を操る異能、負の感情を促進する異能ーー。
挙げたらキリがないほどに多くの異能が確認されており、その一つ一つが街を滅ぼしかねないほどの脅威的な能力である。
「マリーが乗った馬車が黒狼に襲われた……?」
早朝、この情報を伝えるために屋敷を尋ねた従者は言った。
マリーの乗った馬車は黒狼に襲われたのだと。
黒狼は50年間生物を食い続ける狼の虚物だ。
どこからともなく音を立てずに現れ、ひたすらに視界に入った生物を鏖殺する。
国の繁華街に突如現れて周囲を血の海にしたことや、王城の踊り場に突如現れたこともあり、人々は黒狼を恐れて災害と呼んだ。
だが最近50年は黒狼の事件はなく殺されたのではないかと囁かれていたのだがーー。
マリーはその黒狼に襲われたのだと調査隊は断定した。
肉塊となった死体を調査すると深く刺さった牙の跡が見つかり、規格外の牙の大きさから黒狼以外にありえないと断定されたのだ。
また赤ちゃんが生存者として発見され、それ以外に生存者はいないことが告げられた。
黒狼の襲撃で生存者がいることは珍しいことだった。
……信じたくなかった。
信じられなかった。
唯一の生存者がシース家の子供だと分かり、ロージュが届けられた。
それは嬉しかった。ロージュを抱いた瞬間温もりを感じて涙が出た。ロージュが生きている。その事実だけで震えるほどうれしくて。
でも君がいなかった。
生存者ロージュのみという文字が頭をよぎる。
違う。そんなわけない。君が言ったんじゃないか。また会いに来てって。石がある限りまた会えるって。
泣き喚くロージュの額にキスをして、ロージュをメイに預けると、アクシスは馬車を出して一目散に事故現場へと向かった。
そんなわけない、そんなわけないとうわ言のように呟く。
調査団によると、亡くなった人物の特定は困難であったらしい。それほどまでに一人一人が肉塊になるまで咀嚼されており、人と人の境界線が無くなるほどであったと報告された。
つまり、誰一人として君を見つけてない。
君が亡くなったことを証明出来てないんだ。
事故現場だと思われる、草原に馬車を止めさせた。
既に死体の山は片付けられていたが、地面に付着するおびただしい数の血痕が事故の凄惨さを如実に表現していた。
こみあげてくる吐き気を抑えながらアクシスはしゃがみ込み、闇雲に草をかき分けた。
何か君が生きている痕跡があるかもしれない。
調査隊が見逃した。私だけが分かる、君が生きているという証拠が。
ポツポツと雨が降り始めた。
それでも無我夢中で草むらをかき分ける。膝が泥だらけになろうと気に掛けることなくひたすらに手を動かす。
すると、草むらに突っ込んだ左手が何かに触れた。
「な、なんだ!?」
石や草とは違うどこか柔らかい感触。
触れたことのあるような、どこか懐かしい感触。だが恐ろしく冷たい。
恐る恐る左手でそれを掴み持ち上げた。
「なっ……!」
それは手だった。手首から上だけの手。
正真正銘、誰かの白く透明で美しい手。
そしてその手には見覚えがあった。幾度も繋いだことのあるようなーー。
「違う! これは君の手じゃない!」
悲鳴のような声を上げてアクシスは白い手から目をそらした。
この手は君じゃない。見覚えのある人差し指のホクロや、爪の形も、皺の刻み方も全て他人の空似だ!
そうして放り捨てようとしたとき、その手が何がを握っていることに気づいた。
死後硬直しており、手を開くことは難しかった。
だが、隙間から目を覗かせて見えたそれはーー。
「……石?」
汚い石だった。
何の変哲もない、ただの汚い不格好な石。
だが、それはアクシスとマリーにとっては……。
「……じゃあ、この手は……」
アクシスの脳裏に過る、色鮮やかな石遊びの思い出。
「う゛っ……う゛う゛っ」
途端、嘔吐がこみあげてアクシスは草に吐しゃ物をぶちまけた。
気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。
眩しく光る過去が現実をより深い闇へと落とし込んでいく。
ボタボタと涙が地面に落ちた。
力なく白く冷たい手を抱き締めると、空を見上げてアクシスは大声で泣いた。
「うあぁああああああああああああああああああああああッ」
君が死んだ。
この世界にはもう君がいない。
信じられない。ありえない。なんで。どうして。
「マリー! マリーぃぃ……! あああああああああああああああ!」
発狂をしてアクシスは地面に頭を何度もぶつけた。
死のうと思った。君のいない世界には何の価値もない。
「旦那様!? 何をしてるんで!?」
アクシスの奇声を聞いて近づいてきていた馬車の主人が無理やり押さえつけて奇行を止める。
「止めるなぁ! 私は死にたいんだ!」
「待ってください、旦那! 旦那には娘がいるんでしょう!? 死んじゃだめですよっ!」
「あっ……」
そうだ。アクシスはピタリと動きを止めた。
私にはまだ宝物がある。
血だらけの頭が鮮明になっていく。狂乱していた頭に血が戻る感覚。
「ロージュ……」
君と同じ瞳の色の、君が生きていたと証明できる存在がいる。
アクシスは雨に打たれながらゆっくりと立ち上がった。
そしてうわ言のように一人ぽつりと呟く。
「私はロージュを必ず幸せにする。行かなくては。こんなところにいれない。マリーに怒られてしまう」
冷静になった……無理やり意識を変えたと言ってもいい。
アクシスはすぐに馬車に乗り込み、自分の家へと向かわせた。
マリーが亡くなったとアクシスから聞いたメイは涙を流した。
まだ言語が分かるはずのないロージュも大声を上げて泣いた。
アクシスはそんなロージュを強く抱きしめた。
「おぎゃあああ」
「大丈夫だ。ロージュ。私が必ずお前を幸せにしよう。もう二度と……マリーのような目には合わせない。君を悪く言うやつは私が全ては排除しよう。必ず。君が笑える未来を創ろう」
何かを決意したアクシスの目が冷たく尖っていく。
その日からアクシスは変わった。容赦がなくなっていった。肩書きを、シース家の権力を強化するためならば、どんな手段でも厭わなくなった。
王族にはすり寄り、にこやかな笑みを浮かべた。ほかの貴族に対する気回しも欠かさなかった。
ひたすらシース家という肩書きを守るために生きるようになった。
すべては半純血であるロージュを守るために。
もう二度とマリーのような目に合わせないために。
*****************
全てを語り終えて、メイは紅茶を飲み終えてテーブルに置いた。
シース家の全貌を聞いたロージュは顔を上げることが出来ずに俯く。
あまりに救いのない話だ。
誰が悪いわけでもない。輸送中の事故。だがアクシス様は自分を責め続けた。
シース家という肩書きが強ければ、君を他国に行かせるようなことにならなかったと自分を責め続けた。
少し時間が経ち、ロージュは微かな声を出した。
「お母様は……私を守ってくれたのだろうか」
「だと思います。いえ、そのはずです。母親としてあなたを文字通り命がけで黒狼から守ったのです」
「そうか……私は何も知らなかった」
「アクシス様はマリー様のことを伏せるように言いました。ロージュがショックを受けるだろうからと。ほかの貴族とも分け隔てなく接してほしいとも」
「……」
無言で俯くロージュ。
そのロージュの様子を見て、メイは心中を察した。
まだ心の整理がつかないのだろう。
無理もない。こんな話、受け止められない。
残酷すぎるのだ。怒りのぶつけ先である黒狼も姿を見せない。
ただただ胸中にはやるせなさが積もるばかりである。
そうメイは感じていた時、突如ロージュは立ち上がり大きな声を上げた。
「やっとお母様のことを知れたのだ。そしてなぜお父様があそこまで肩書きにこだわっているのか知れたのだ。私は立ち止まっている場合ではない」
「……へ?」
あまりのロージュの勢いに気圧されながら、メイは目を白黒させる。
「ならばクヨクヨしない」
そう言って力一杯声を上げると。顔を上に上げた。
「ロージュ様……?」
「お父様が何を考えているのか分からなくて怖かった。だが、ようやく知れたのだ。私はお父様と話し合わなければいけない」
そう言ってロージュは部屋を飛び出そうとする。
飛び出そうとする背中にメイは声を投げかけた。
「ど、どこに行くのですか?」
「決まっている。お父様のところだ。なぁ、メイ。メイは先ほどの話には救いがないと言っていたな」
「ないですよ。あの話に救いなんて……」
「私はそんなことはないと思うのだ。私はお父様やお母様に愛されていた。それがこの話の救いだ。では、行ってくる!」
そう言って一目散に部屋を飛び出してロージュは姿を消した。
一人メイド室に残されたメイはただただ圧倒されて固まっていた。
語っていたメイは未だ席から立てていないというのに、ロージュはすぐに立ち上がった。
てっきり、慰めなければならないと思っていたのに。
それでも前を向いて生きなければならないのです、と道端に咲いてた花を摘んで渡すようなことをしよう思っていたのに。
自身の想定していたロージュの行動ではなかった。
その行動力はまさにマリー様のようで。
「あぁ……もう本当にあなたは子供じゃなかったんですね……」




