偽善
自分の死を語りながらも、悲壮感を漂わせることなく笑みを浮かべる奇跡の少女ーーイル。
その笑顔は紛れもなく、純粋な輝きを放っていた。その表情を理解することができず、ヒロトは嫌悪感を露わにしながら叫んだ。
「どうして、そんな笑顔でいられるんだっ! 死ぬってことだろ! 嬉しいことなんて何もないだろ!」
「ちゃうよ、本当に嬉しいんや。世界中の皆を幸福で満たすことが出来るんや。これほど嬉しいことはないやろ?」
だが、ヒロトの叫びもイルには届かない。
イルは叫び声にも動じることなく、彫刻のような微笑みをそのまま浮かべ続けた。
その淡々とした態度が癇に障り、ヒロトはさらに声を荒げる。
「ふざけるな! 白い花で得た幸福なんて偽物だ! お前がユリの笑顔を偽りにしたんだ! 俺はこんな形じゃなく、もっと別の形でユリに笑ってほしかった!」
声を震わせ、涙目になりながらヒロトは叫ぶ。
怒りか、悲しみかーー自分の感情の正体すら分からぬまま、彼はもう一度イルの顔を見つめた。
「……ユリ」
その時、イルの完璧な笑顔がほんの僅かに揺らいだように見えた。
それはほんの些細な変化で、表情筋の一つが震えた程度のもの。
だが、完成された芸術作品が小さなヒビ一つで崩れるように、ヒロトにはイルの笑顔の陰りがはっきりと感じられた。
その瞬間、ヒロトの疑念は確信へと変わった。
ユリの姉はーー『奇跡の少女』イルだ。
「その反応……お前、ユリの姉だろ。ユリは奴隷として感情を失っていたんだ。だから、俺は……あいつに“本当の笑顔”を取り戻してほしかったんだ! それを、お前がーー」
「ユリは、もう私の妹ちゃう。家族の縁は切ったんや」
まくし立てるヒロトの言葉を、食い気味にイルが遮った。
「……は? ふざけんな、家族の縁なんてそんな簡単に切れるもんじゃねぇよ!」
「ふざけてへんよ、あはははは」
ヒロトの激昂にも、イルは可憐な笑みを崩さない。
その笑みは決して、彼を小馬鹿にしたものではなかった。
むしろ、心の底から幸せそうに笑っていた。
ーーだからこそ、ヒロトの琴線に触れた。
「てめぇ、笑ってんじゃねぇぇぇぇ!」
吠えるように叫んだヒロトは拳を握りしめ、立ち上がると、その勢いのままイルに殴りかかろうとする。
しかし、その肩を誰かの両手が上から強く押さえつけ、再び椅子に座らされた
「暴力を従者が許すわけないだろう? さっきから聞いてりゃあ、お前は何を怒ってだ?」
「決まってんだろ! 長い奴隷生活で苦しんでいたユリの笑顔を取り戻したのが、こいつの“白い花”なんだよ! あんな紛い物で、ユリを惑わしておいて、笑ってんだよ! 怒って当たり前だろうが!」
「……つまり、お前は白い花でユリとやらが笑顔になったことが許せないって言いたいんだろ? けどよぉ、白い花によって笑顔になったことが悲しいってユリちゃん本人が言ってたのか?」
「それは言ってねぇよ! 当たり前だろう、洗脳されてんだから! 俺は本人の意思を捻じ曲げるような白い花に怒ってんだよ!」
目を爛々とさせてグリーンを睨みつけるヒロト。
だが、グリーンは首を傾げる。
「なんにせよ、笑顔になったのならいいじゃねぇか。今、ユリちゃんは不幸なのか? 白い花によって幸せになったんじゃねぇのか?」
「だから! その幸せ、笑顔が偽物だって言ってんだ!」
「んん? やっぱり理解できねぇな。過程がどうであれ、今、本人が納得してんなら……あー、そうか、分かった。お前が納得してねぇんだな。なるほど、偽勇者だ。紛いものは他でもない、お前だろう」
グリーンが突如として、納得したかのようにうんうんと頷く。
ヒロトは再びグリーンを睨み、問いかける。
「……何が言いたい」
「本音を言えよ、神崎ヒロト。奴隷生活で傷ついたユリちゃんを救い、笑顔にするのは、他ならぬ自分だと思ってたんだろう? でも、白い花にその役目を奪われて、今、怒ってるんだよな。『偽りの笑顔』『偽りの幸せ』って言ってるけど、本音は違うだろ? お前の怒りは『俺がやりたかったことを奪いやがって』って、子供じみた癇癪だろ?」
「ふざけんな! そんな訳ないだろうが!」
「ぎははは……ユリちゃんは幸せを感じて納得している。けど、お前自身が納得していないだけだ。お前の願いはユリちゃんを幸せになってほしい、じゃない、俺が幸せにしたいーーだ。お前の望みにはお前のエゴという不純物が多く含まれている。だから偽勇者だと言っているんだ。自分のエゴなんてない、他人のために100%を捧げられるーー命すらも捧げられる人物、それが勇者だ。そのエゴがある限り、お前の行動は偽善だし、勇者にはなれないよ」
「……っ、……っ! て、てめぇ……!」
反論をしようと、声を荒げようとした。
けどーー言葉が出なかった。
グリーンの言葉を全て否定しようとする前に、自分自身に疑問を持ってしまった。
俺の願いはーーユリに笑顔になってほしい。
これは間違いない。そして今、ユリは幸せになっている。
白い花の上で描かれた虚像の幸せだと思っているが、それでもユリ自身は笑顔を取り戻している。
なのに、俺は納得していない。当初の望みは達成されたはずなのに。
「お、俺は……」
俺はーー俺の手でユリに笑顔になってほしかった……?
俺が手を引いてユリを笑顔にしたかった?
「~~~!」
言葉が出なかった。
反論の余地がなくなった。
気づかされてしまった。
俺の願いには、俺のエゴが多く含まれている。
なんて自分勝手だろう、なんて醜いのだろう。
その醜さから目を逸らしてーーユリのためだなんて俺は言っていたのか。
頭を抱えるヒロト。そんなヒロトに対して奇跡の少女、イルは言う。
「神崎ヒロトさん。自分自身の醜いエゴをあなたは実感したことでしょう。けれど、そんな悩みも白い花の力があれば、忘れることが出来ます。私は次の世界へ例外なく連れていきたいのです。もちろん、あなたも。あなたさえ、受け入れれば白い花はあなたを幸福の世界へと連れて行ってくれることでしょう。白い花による幸福に満ちた世界を受け入れてくれますか?」
そうってユリはゆっくりと立ち上がりーーそっと優しくヒロトを抱きしめた。
そして、その耳元で、鈴のような声で囁く。
「次の世界には笑顔しかありません。苦しみも悲しみも、しがらみも上書きするような多幸感があなたを待っています。どうか、私の手を取ってほしいのです」
イルはヒロトから離れると、手を差し伸べる。
自分の醜いエゴを自覚したヒロトに、救済の手が向けられる。
「……」
ヒロトは無言でその手を見つめ、ゆっくりと自分の手を伸ばした。
奇跡の少女、イルが優しく微笑んだ。
「えぇ、それでいいのです。苦難も葛藤も、本当の笑顔があれば塗りつぶすことが出来る。笑顔はそれほどまでに強い感情なのだからーー」
ヒロトはゆっくりと手を伸ばし、そして、イルの手をーー。
強く、振り払った。
その動きは、ヒロトからの明確な拒絶。
イルの笑顔が一瞬、強張る。
ヒロトは歯を食いしばりながら、イルを見据える。
今度は目を逸らさずに、真正面からイルの笑顔と向き合った。
「自分の中に醜いエゴがあった。それは認めるよ。けどな、苦悩も葛藤も忘れたいとは思わねぇ。白い花を受け入れることも出来ねぇ。その手は取れない」
「……救えねぇな」
「救ってほしいなんて言ってねぇ。てめぇらは“救済者”じゃねぇ」
「ーー残念や、神崎ヒロト。本当に……残念や。結局、分かり合えへんか」
イルは深いため息をつくが、相変わらず笑顔を崩さない。
「分かり合えるわけねぇだろ。お前の笑顔は凄く綺麗で完璧だよ。不純物なんて含んでない。だからこそ、そんな笑顔の人間は信用できない」
「……グリーン。お客さんのお帰りや。門の前まで見送ったあげぇ」
イルは立ち上がると、手をひらひらと動かした。
それが合図なのか、ヒロトの肩を抑えていたグリーンの手が離れる。
ヒロトはカバンを肩にかけ、部屋の扉に向かって歩き出す。
グリーンが見送りに来ようとすると、ヒロトはぶっきらぼうに言い放つ。
「見送りは不要だ」
ドアノブに手を掛け、扉を開けたその瞬間ーー
「あぁ、せや。言い忘れてたわ。神崎ヒロトーーあんたがユリを救ってくれたんやろ? 堪忍やでぇ、ありがとな」
「……」
ヒロトは振り返ることなく、無言で部屋を出た。
この感謝もーーあの彫刻のような笑みで言っているのだと思うと、振り返る気なんて微塵も起きなかった。
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