アクシスの過去(前編)★
これは今から20年前のことーー。
「はぁ……はぁ……」
今年で18歳になったアクシスは額の汗を服の袖で拭いながら大通りを走っていた。
小さな体を活かして人と人の隙間をするりするりと通り抜け、転がるように人気の無い路地裏に転がり込む。
そしてゴミ箱の裏に身を隠すと恐る恐る顔を出して大通りの様子を伺った。
「アクシス様! アクシス様! どこですか!?」
すると大通りではアクシスの従者が大声で名前を呼びながら路地裏を一瞥することなく通り過ぎる。
とりあえず見つからなかったことをアクシスは安堵した。
そして一息つくと、ニヤリと片頬を上げてほくそ笑んだ。
アクシスはシース家という貴族で生まれた。
母も父も幼いころから俺に対して貴族としての自覚を持てだの口うるさく言ってきて窮屈だった。
貴族だからと様々な勉強をさせられ苦痛だった。習ったところで使いたくもないマナー作法や帝王学。
次第にアクシスはこんな家から逃げ出したいと思うようになり、18歳の誕生日を迎えた今日にアクシスは家から逃げることを決意した。買い物に行くと言って外出し、従者の目を盗んで逃亡。
……まさかここまで上手くいくとは思わず少々拍子抜けであるが、それでも勝利には違いない。
アクシスはポケットにあるキャンディーを口に放り込み、勝利の雄たけびを上げた。
「はははは! これから最強無敵の私の第2の人生が始まるんだーー!」
「きゃっ!? なに!?」
そうして叫んだ矢先、予想外の声が路地裏の奥から聞こえてきアクシスはぎょっと驚く。
声のする方へ顔を向けると、路地裏の奥できらびやかな銀髪の少女が尻もちをついていた。
予想外の出来事にアクシスは狼狽しながら少女に向かって問う。
「なんだお前? なんでここにいるんだ」
「人混みが怖くてここに逃げてきたの! もう、大きい声を出さないでよ……」
少女はボサボサの銀髪を掻きながら力なく答える。
かき乱れた髪に薄汚い布を服をきた少女。見るからに下民であることは明らかだった。
ふん、とアクシスは鼻を鳴らして少女を見下した。
「情けないな、お前は」
「うるさい馬鹿」
無遠慮なアクシスの答えに少女は口を尖らせる。
再びアクシスはふんと鼻を鳴らし、
「馬鹿だと? 私は貴族だぞ? 平民のお前よりもよっぽど教養がある」
と得意げに語る。そして見せびらかすのうに胸につけた貴族の記章を天にかざした。
だが、少女の反応はアクシスの予想と異なるものであった。
その記章を見ながら、少女は首を傾げる。
「それで? その記章を見て、なんであなたが馬鹿じゃないことが分かるのよ」
「貴族ということだ! そんなことも分からんのか! いいか、貴様よりも私は教養があるのだ! だから馬鹿ではない!」
「じゃあ、私よりも物知りってこと?」
少女は訝しげにアクシスを見る。
アクシスは当然だと言わんばかりに頷いた。
「ふぅーん……じゃあ、コレ出来る?」
そう言って少女は道に落ちている平らな石を拾い、地面に置いた。
その後にもう一つ石を拾うと、それを平らな石に投げつけ、カンッと音を立てると平らな石は綺麗にひっくり返った。
「……お主は何をしているのだ」
「え、知らないの? 教養があるのに。冗談、冗談。すねないで。これはね、石返しっていう遊び。石で石をひっくり返すの。やってみてよ。意外と面白いから」
そう言って少女はアクシスに石を渡してきた。
なんだか少女に乗せられている気がしたが、なぜか嫌な気にならなかったため、アクシスはすんなりと石を受け取った。
「……こうか?」
見よう見まねで、少女のやり方をやってみる。力一杯に地面の石に向けて投げつけた。
だが、投げつけた石は平らな石に当たりこそすれど、ひっくり返らずにゆらゆらと揺れるだけだった。
「違う、違う。あのね、端の方を狙ってーー」
少女は講釈を述べながら再び石を拾うと、するりと滑らかなモーションで地面の石めがけて投げつける。
するといとも簡単に地面の石はひっくり返るのだ。
自分ができなかった行為をこうもひょうひょうとされるとムキになってしまう。
気がついたら日が暮れるまでアクシスと少女は石返しを遊んでいた。
空が傾いたとき、彼女は「しまった。もうこんな時間」と慌てる。
彼女は帰り際にこちらに顔を向けて、
「私はマリー。また会ったときに石遊びしましょ。いつあなたと出会っても遊べるようにこの石を肌身離さず持ってるから。あなたもその石を持っててね。その石がある限り、あなたと私は出会える。……そんな気がするの」
そんな一方的な約束を投げかけて、彼女は路地裏から姿を消した。
アクシスはぎゅっと自分の中に収まった石を握った。
その石は、アクシスの胸についた記章に比べたらあまりに汚なかった。石の裏側は泥がついているし、記章の中心部についている煌びやかな宝石のような価値のある光沢なんてない。
「……家に帰るか」
だが、そんな汚れたただの石がアクシスにとっては宝石よりも綺麗に見えた。
家出をするつもりだったが、十分に心が満ちたアクシスはそっとポケットに石を入れて帰路についた。
これが、アクシスとマリーの初めての出会いだった。
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一呼吸を置いて、メイは紅茶をすする。
「この話は屋敷に帰ってからこっそりアクシス様が教えてくださいました」
「甘酸っぱいのだな……」
メイとテーブルを挟んで座っているロージュはクッキーを口に放り込んだ。
まさに、ロージュが夢見る出会いである。
聞くほどに甘酸っぱくてたまらない。
少しうっとりし、涎を垂らしているロージュを見てメイは苦笑した。
「涎がテーブルに垂れてますよ。恋愛話になると騎士の風格が消えうせるんですから」
「む!? あぁ、すまない……」
頬を染めて恥じらいながら、涎を渡されたナプキンで拭う。
再びメイが口を開く。
「そうして二人はその後幾度も会います。それが偶然だったのか、必然だったのかは分かりません。アクシス様が適当な路地裏へ顔を出すと、必ずといっていいほどマリー様はいたようです。そして、何度も話すたびに二人はお互いを意識するようになりました。そして月日を得て……マリー様のお腹にあなたが宿りました」
「私が」
「ええ。アクシス様はずっと縁談を断っていたのですが、急にアクシス様が言いはじめまして。好きな人はいる。もう子供も宿ってると」
「それは急だな。祖父や祖母は驚いただろう」
「それは激昂しましたとも。私も慰めるのが大変でした。ですが諦め半分含め……迂余曲折ありましたが、ロージュ様はシース家に受け入れられたのです」
「温かいな」
椅子にもたれかかり、ロージュは天井を仰いだ。
温かい。湯舟に使って、絵空事を思い浮かべるほどに心地が良い。
ただ私が生まれただけなのに。とても神秘的なことに感じてしまう。
メイは一度目を閉じ、意を決したように再び口を開いた。
「ですがここからが問題でした。他の貴族たちはマリー様が貴族の一員になることに眉をひそめたのです」
「な、なぜ?」
「血統主義、というものがあります」
「血統主義」
聞きなれない単語にロージュは反芻する。
「かみ砕いて説明しますと貴族の血こそが高潔であり、貴族は貴族同士が結ばれて子を作るべきだという考えです。古い考えですが、未だにこの考えの方もおります。マリー様のお母さんは娼婦でした」
ロージュがこれからの展開を察したのか、口元をキュッと結んだ。
「ただでさえ貴族が平民と結ばれたこと自体を嫌うなか、マリー様は娼婦の娘。シース家に対する風当たりが強くなっていきました」
「……意味が分からん。何が悪いのだ。娼婦の娘であることが誰をどう傷つけるのだ」
「それは……私にもわかりません。ですが、確実にシース家の立場はなくなっていきました。そして、ある時マリー様がアクシス様にある提案をします。この光景は私も鮮明に覚えています」
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コンコン、とドアをノックしてアクシスが部屋に顔を覗かせた。
「話とはなんだ、マリー」
「ひどい顔よ、あなた。この子もそんな顔を見たら泣いちゃうわ。ねーロージュっ」
アクシスを待っていたのは、幼いロージュを抱いたマリーだった。
寝不足に陥っていたアクシスと違い、肌つやのあるマリーは美しく微笑む。
マリーに抱かれたロージュはすやすやと静かな寝息を立てて眠っていた。
「それで提案とはなんだ?」
「私ね、ロージュと他国へ行こうと思う。この騒動が収まるまで」
「それは……」
アクシスは下を俯いた。
他の貴族はマリーとロージュをひどく嫌う。汚らわしい血だと。
マリーとロージュを暗殺しようとする計画もあると噂されるほどに他の貴族からの反発は大きくなっていた。
他の貴族を全て相手にした所で負けることは目に見えてる。このままではマリーとロージュが殺されるかもしれない。
確かにマリーとロージュがこの国から出て行くことが最善だ。だがアクシスはその提案を拒絶した。
「なんとかする。なんとかするから、そんな寂しいこと言わないでくれ」
「何言ってるのよ。永遠の別れじゃないんだから。騒動が収まるまで他国で隠居してるからたまに会いに来て。絶対よ」
「そもそも君は私の妻だ。シース家の正式な家族だ。君がそんなことする必要なんてない。堂々とここにいればいい。腑抜けた馬鹿どもは私が必ず黙らせる。だからここにいてくれ」
「分かってるでしょ、アクシス。私たちが他国に行くのが最善なの。このままじゃ、シース家自体が無くなってしまうかも」
「そんなことは私がさせない! 君と私とロージュがこの国にいれない理由が貴族という肩書きなんだとしたら、シース家なんて滅んでしまえば良い!」
「ダメよ。シース家が無くなったらシース家の領民が道に迷ってしまうわ。それにね、私はこのシース家が好きなの。娼婦の娘である私をご両親は受け入れてくれた。私はこの場所がだーい好きなの。だから、この場所を無くしたくない」
そう言ってマリーは優しく笑う。
だけどその目は少しだけ悲しげに見えた。
アクシスは一歩前に足を踏み出し、大声を上げた。
「なら私も他国へ行く! 3人で暮らそう!」
「私ならともかく、シース家の息子として顔の知れているあなたが他国に行ってはダメよ。そこでも争いが生まれてしまう」
「なら、両親のようにほかの貴族を説得ーー」
「分かってるでしょ。あの貴族たちはご両親のように私を見ない。話し合いは通じない。私とロージュがこの国を出ていく。それが最善なの」
「ーー嫌だ。ここにいてほしい」
マリーからの建設的な提案に対して、アクシスが述べたのは子供のような駄々だった。
それでもそれが本音だった。
アクシスは顔を上げて、マリーを見た。
……マリーは涙を流していた。
口元をきゅっと結び、すやすや眠るロージュを起こさないように泣き声を上げないように我慢しながら、掠れた声で言った。
「わ、私もっ……嫌だよ。でも、しょうがないじゃん……。しかたないの。ねぇ、あなた。お願い。必ず会いに来て。大丈夫。あなたと私をまたこの石が導いてくれる。この広い国で偶然何度も会ったんだもん」
「……」
そう言ってマリーはかつて石遊びで使った小汚い石を誇らしげに見せた。
アクシスは何も言えなかった。
ロージュを抱いて涙を流すマリーはまさに母親だった。
子供を守るために、彼女は最善を尽くそうとしているのだ。彼女だって辛いのに。
アクシスは頷いた。
「……分かった。必ずまた君に会いに行こう」
「うん。待ってる」
翌日、手配した馬車に乗ってマリーとロージュはウラグル王国へと移っていった。
そして、また翌日。……シース家にある報せが入る。
ウラグル王国に向かう馬車が虚物によって襲われて壊滅したという報せだった。
生存者は一人のみと伝えられた。




