ヒロトの過去③
中学時代はほとんど学校に行かずに図書館で過ごした。
街を歩いていると皆俺を怯えたように避ける。
売られたケンカは買い、怒りのままに容赦なく相手を殴り続けた結果俺の悪名は知れ渡っていた。
図書館に行き、あてもなく街を彷徨った後は家に帰った。
ああ、そうだ。父親はおらず、児相の支援も貰わずにどうやって生活しているのか不思議に思うかもしれない。
生活資金は家に置かれていた銀行カードの口座から使っていたんだ。
食い物はないかと家の中を探しているときに、蒸発した母親の化粧台の引き出しの中にこのカードがあった。
不思議なことにこの口座には毎月少額のお金が納金されていた。
母親が失踪した翌月からずっと。毎月欠かさずに納金されていた。
恐らく……ではなく確実に送金しているのは母親だろう。カードの置き場といい、このようなことが出来るのは母親しかいない。
でも、あまり母親のことは考えないようにしていた。
理由はある。俺はクズになってしまったから。俺に会う資格なんてないと思うから。それに母親も母親だ。俺を置いて出ていったんだ。そんな奴のことは考えない。考えたくない。
どうにか食べる。寝る。図書館に行く。食う。寝る。それの繰り返し。たまに不良に絡まれる。そんな日は運が良い。全力で殴り返す。怒りに身を任せる。俺は強くなれたんだ。もう誰かに虐められることはないんだって解放感を関じる。
そんな日々を繰り返す度に俺は確実にクズ人間へと近づいていったと感じた。
それは俺の望みの筈だった。空っぽよりもクズになりたい。
そう本気で思っていたはずなのに。どうしてここまで心が満たされないのだろうか? だんだんと衝動に任せた暴力に対する解放感も薄れていった。
だが当然その答えを頭の悪い俺が持っているはずもなかった。
ある日、3人の高校生に絡まれた。
少し危なかったがなんとか撃退して帰路についていた時にある男が俺に声を掛けた。その男は深く帽子をかぶっており、あまり顔はわからなかったが長身長に足が長く、モデルのようなスタイルをしていた。
「君が噂の野良猫かな? ギャハハ……。噂どおり強いんだな。いいね。なぁ、君。俺の用心棒にならないか?」
素朴な疑問を俺はぶつけた。
「誰だお前は」
「こいつは失礼。俺の名は轟タカト。王城グループの御曹司って聞けばピンとくるかな?」
「知らねー」
「おいおい、マジかよ。王城はこの県で一番の銀行グループだぞ?ほら、聞いたことあるだろう? あなたの街を支える轟グループって」
「知らね。そんな偉いやつが野良猫になんのようだよ」
轟はさわやかな笑みを浮かべた。
「いや~、銀行って結構恨まれるんよ。いろんな勢力からさー。そしてそういう勢力を倒すには秩序の無い暴力が必要なんだ。君みたいなね。金はたんまりと出すよ。どう?」
「金に興味はない。帰れ」
そう言って俺は轟を無視して通り過ぎようとした時、語り掛けるように轟が口を開いた。
「……じゃあ、母親に興味はないのかな? 君の母親は毎月口座に振り込んでいるね。俺だったらすぐに君の母親に会わせることが出来るけど? 顧客のデータくらい調べられる」
「……母親の方が興味ない。俺はクズ人間だ。会う資格はない」
「それはクズじゃなければ会いたいってことかな? 君がどうして自分のことをクズだと思うかわかる? それはね、理由なく暴力を振るっているからさ。だからその暴力を俺のために使えよ。そして俺のもとで金を稼いで母親に渡せよ。そうすればクズではないだろう? 母親に会えるよ。……どうかな?」
「……」
「嘘は言わないよ。君は人を殴った後に焦燥感にあふれているようだった。空っぽなようだった。それを否定するために人を殴っているのだろう? だが君は満たされていない。それは目的がないからだ。その目的を俺がくれてやるよ」
「……やけに人を見るのが上手いな」
タカトは頷いた。
「そりゃそうだ。銀行員だからね。銀行員は人を見抜いて金を貸すんだ。洞察力は必須。そして成長が見込める会社に融資するんだ。君を雇うのも融資だ。将来性を見込んでいる。それでどうする?俺に来るならその虚無感の解決法できるかもね」
そうして轟は俺に手を差し伸べた。
この手は明らかに善意の手ではない。
多分、この手を取っても俺は地獄に落ちるだけだろう。
上等じゃねぇか。クズ人間なんだ。堕ちるとこまで堕ちてやろう。母親に会うためじゃない。ただ地獄への片道切符が欲しかった……筈だ。
俺は轟の手を取った。その時轟の顔はにやついていたことを覚えている。
翌日から轟は俺に様々な指令を下した。
敵対する銀行グループのバックにいる暴力団のリーダーを撃退しろといった内容もあれば、轟グループに訴訟を起こそうとしている会社の社長の夜道を襲い取り消させようとするものもあった。
俺の暴力は轟の言う通りにを時と場合で行った。
それはお金という形で成果になった。だが、母親に会う気のなかった俺はその金を自分のために使った。轟から渡される金は普通に生活していては余るくらいだった。
そうして中学生活を終えようとしている時、たまたま学校から帰るシオリを遠目で見かけた。
シオリを見るのは実に2年ぶりだった。久しぶりに見たシオリは多くの友達に囲まれて幸せそうに笑っていた。2年前の虐めの影は全く見えなかった。
シオリは俺には出来ない方法で虐めを脱出したんだと感じた。
どうやったかは知らない。でも、暴力では解決してないのだろう。俺と同じ感情に任せた暴力では皆怯えて友達は出来ないから。シオリはこの2年で状況を変えたんだと遠目からでも分かった。
一方で俺はどうだろうか。2年間で何が変わったのだろうか。
俺は唇を嚙み締めた。
俺はよりクズ人間になっただけだ。シオリはあんなに成長しているのに。俺は相も変わらずクズ人間だ。
けれど、変化が怖い。このクズ人間であることを変えようとした時に俺はまた空っぽになってしまうんじゃないか。期待をして裏切られるくらいなら、何も期待せずに転げ落ちた方が楽なんだ。
でも、それだと……俺はシオリには……。
ある日、轟からの指令を終えた俺は轟に言った。
「俺の母親に会わせてくれ」
轟は驚いた顔をした。
「おいおい、どうした。今まで頑なに会いたくないと言っていたじゃん。どんな気持ちの変化?」
「……別に」
そう言って轟から俺は顔を逸らした。
「ふぅん。まぁ、全然いいよ。意地悪する気もない。大体3日後にお前の家に母親が来るように手配するよ。それまで待っとけ」
そうして轟と別れた後にコンビニへ寄った。
コンビニへ行き、銀行カードを差した。口座の残金を確認する。……やっぱり振り込まれている。毎月。欠かさずに。
そこから3日後、家のインターホンが鳴った。
インターホンから震えながら聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「……あの、ただいま……」
俺はすぐに玄関へと向かった。この扉の反対側にいるんだ。やっと会えるんだ。前まで自分がクズ人間だから会いたくないなどと言った言葉が嘘のように消えていた。
母親に会える。それだけで嬉しかった。心臓が高まる。嫌でも頬が緩まる。うれしさのあまりにまだ会っていないのに口元がにやける。
何を話そうか。何を話せばいいのかな。愚痴とか言ってもいいのかな。手料理なんて作ってくれるのかな。耳かきしてくれないかな。それは流石に甘えすぎって言われるのかな。もうあんたは中学生なんだからって……。
緊張しながらドアを開けた。
そしてそこには確かに母親が立っていた。最後に会った小3の頃に比べてほうれい線が増えて明らかに少し老けた。白髪も増えていた。でも、まぎれもなく母親だった。
母親は少し照れた顔で言った。
「久しぶり……」
「あ、えっと、うん……。久しぶり。ええっと……」
何を言えばいいのか分からなかった。色々と考えていたはずなのに。急に言葉が詰まった。
母親が口を開いた。
「……随分と背が伸びたわね。母さん驚いちゃった。……いや、当然よね。ごめんなさい。今更私は何を母親ぶろうとしているのかしら。あなたを見捨てたのに」
「いいよ。母さん、そんなことは。母さんも被害者だったんだ。仕方なかったんだ。ええっと……。ああ、そうだ!それよりもさ!あの、今まで銀行にお金を振り込んでくれたの母さんだよね?そのお礼を言いたくて。あ、ありがとうございました!」
すると母さんは少し動きが止まった。
「……送金?」
「……え?母さんでしょう。ほら、家の化粧台に王城グループの銀行カードがあってさ。俺は今までその銀行カードのお金のお陰で生活出来たんだ。母さんでしょ?毎月このカードに振り込んでくれたのは。父さんには気づかれず俺には見つけられるように化粧台に置いたんでしょう?父さん掃除なんてしないから気づくとしたら俺だけだから」
母親はああっと声を上げた。
「そ、そうだったわね。一瞬なんのことかと思ったわ!ホホホ……。もうボケはじめたのかも」
「ええっ!?もう、母さんは。昔はそんなにボケてなかったじゃん!」
こんな会話をしていると徐々に5年前のことを思い出してきた。そうだ。こんな感じだ。5年前もこんな感じで会話したんだ。ひどく懐かしい。酒に溺れて暴力を振るう父親から守ってくれたっけ。その後俺のもとから去って行ってひどく寂しかったな。でもそんなことももうどうでもいいんだ。今が幸せだから。ああ、この時間が永遠に続けばいい。
俺は今、世界一幸せだ。
「ねぇ、母さん。色んな話をしようよ。家少し汚いけど、掃除をするから。久しぶりに母さんの唐揚げが食べたいな。あの衣がサクサクのやつを。ああ、そうだ。家に材料がないや。昨日買っとけば良かった。今から買いにいこうよ。二人で。少し恥ずかしー」
「ーーヒロト! そんなことよりも今から母さんとお出かけしない!?」
母さんは俺の話を途中で遮ると、俺の手を包み込むように両手で握った。
「……え?急にどうしたの母さん。急にお出かけって。なんで?あ、そんなに家汚くないよ。多分だけど、あはは……」
「行きましょう、ヒロト。今すぐに。こんな家はもういいから。さぁ、早く。早く。もうタクシー下に止まってるから。ね?ね?」
母さんは随分と急いでいるようだった。
どこに行くのか聞く暇もなさそうだった。いや、どこであろうといいや。母さんとなら。なんて臭いセリフを思った。
俺は頷いた。
「わかった。すぐに準備するよ」
そう言って家の中に戻ろうとした俺の二の腕を強い力で母さんはつかんだ。
「ーーいいからっ!! 準備なんていらないから! 何も持たなくていいわ! あなたが来てくれればいいっ! そんなことより、ね? タクシー止めてる時間がもったいないから行きましょう? ね?最愛の息子のヒロト?」
最愛の息子かぁ。
口元のにやけが抑えられずに俺は手の平で口元を隠した。
「へへへ。分かったよ。行こう」
そう言って俺と母さんはタクシーに乗り込んだ。
その時に母さんの顔はやけに安堵していたことを覚えている。
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