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ヒロトの過去①


 生まれてから10年しか経っていない子供。  

 本来ならば両親からの愛情を注いでもらい、世界が綺麗に見える年だろう。

 けど、俺は違った。

 そもそも片親で、その理由は母親が父親のパチンコ癖に嫌気が差して俺が6歳のころに蒸発したからだ。

 加えて唯一の肉親の父親からは暴力しか与えられない。


 さながらサンドバッグだ。

 パチンコで負けたストレスを子供にぶつけるのだ。

 家にいれば、突然父親に腹を殴られることがある。

 寝ている時も、トイレに向かう途中でも。ご飯を食べている時でも。

 そのせいで俺はいつも腹を守るように背中を丸めていた。いつでもお腹が殴られてもいいように。


 その癖は治らず、学校の登下校中にさえも背中を丸めて地面を見ながら歩いた。

 はたから見れば腰の悪い老人だ。

 それを小学生がやっているのだから異様な光景だっただろう。大人から見ても気味が悪いのだ。

 純粋無垢な同じ小学生のクラスメイトからすればイジメの対象になるのも当然だったのかもしれない。

 教室に入ると机には落書きがされ、物は壊され、給食には異物が入れられた。


 けれどそれに対して特に怒りや悲しみの感情がわかなかった。父親からは「生きる価値のない存在」だと揶揄されて育った。だからこうなるのは当然なんだと思った。

 俺は歩く時により腰を丸めるようになった。

 ランドセルを腹で抱え込み、虚な目をして歩く。

 そんな俺についたあだ名は極端な猫背から野良猫だった。

 

 でも、そんな俺にも唯一の楽しみがあった。

 それは「花」だ。

 腰を丸めてあるいていたせいで、常に俺は地面を直視して歩いていた。ある時、道路の端にあるマンホールと地面の隙間に赤い花弁を広げようとしている花を見つけた。ずっと地面を見ている俺だから見つけられた。それほどまでに陽の当たらない端の方に花はいた。毎日、その花の成長を見るのが俺の唯一の楽しみだった。


 ある日、学校に転校生が来た。

 名を橘汐里(たちばなしおり)と言うらしい。彼女はとても明るい性格で転校初日にして一気にクラスの人気者になった。

 まぁ、俺には関係ない。 

 クラスメイトは皆俺に対して気味悪がり距離をおくか虐めるかの二択だ。

 転校生なんてどうでもいい。自分自身もどうでもいい。所詮、俺は誰かのストレスを受け止めるための物なんだから。


 放課後、クラスがシオリを囲うようにして盛り上がっている中、俺はいつものように背中を丸めてノソノソと帰路に就いた。家にまだ父親が帰っていないことを祈りながら。


 すると、急に俺に向かって誰かが後ろから声をかけてきた。

 

「ねぇ、なんでそんなに腰を丸めて歩いてるの?」


「……へ?」


 後ろを振り向くと、そこには転校生のシオリがいた。シオリはスキップしながら俺のもとへ近づいてきた。


「今日ず~~っと君のことが気になってたの。なんで腰を丸めているのかなって。そんなんじゃ将来絶対に腰悪くなっちゃうよ?」


「……知らないよ。将来なんて。後、俺に話しかけない方がいいよ。君も虐められる」


 そう言って俺は転校生を無視して歩いた。こんな感じで無愛想に言えばまず俺を敬遠するだろう。でも、それでいいのだ。一人の方が楽だ。一人だと殴られない。

 ……そう思っていたのになんでこいつはまだ俺の隣を歩いているんだ?


「あっちいけ」


「いやですー。私の自由よ。君に指図される筋合いはありませんー。ねぇ、どう? 私ってかわいいでしょう? 一緒に隣歩けて光栄? ふふふ」


「……」


「ちょっと無視しないでよ。冗談よ。無視されると嫌な女になるじゃない。ねぇ、あなたのことをもっと教えてよ」


 ため息をつきながら無視をした。どうせ腰を丸めて歩く俺を面白がっているだけだ。無視をすれば飽きてどこかにいなくなるだろう。

 再び虚ろな目を地面に向けて歩いた。相変わらず隣をシオリが歩く。

 そして例の花が咲いている近くに来た。自然と目線が花の方に向く。そしていつもとは違う風景を目にした。花が誰かの足のせいで見えない。3人の足が花を囲うようにして立っていた。

 そいつらの会話が聞こえてきた。


「なぁ、こんなところに花が咲いてるぜ。気が付かなかった。マンホールと地面の隙間で咲いてる」

「マンホールって下水道を塞ぐんだろう?じゃあ、この花は下水道の匂いを醸しだしてんだな!」

「うわっ!そう思うと汚ねー!」

 

 3人のうちの誰かが言った。


「……そうだ!抜いちまおう」


 俺はいくつもの手がその美しい花の茎の部分を掴み、無理やり花を上に持ち上げていくのを見た。花は呆気なくブチブチと音を立てながらちぎれていく。美しい花は後も簡単に死んだ。


 今さっきまで生きていたはずの美しい花はいとも簡単に目の前で殺されたのだ。


 その時、気が付いたら俺は拳を握りそいつらに向かって走っていた。

 腰は丸めた状態であまりにも不格好な走り方で。

 頭の中はどんな感情なのかはわからなかった。ただただ目の前のこいつらを殴りたかった。

 俺は悲鳴にも似た声を上げながらそいつらの一人を思いっきりぶん殴った。


「なんで! なんでそんなことをしたんだ! 頑張って咲いていたじゃん! 誰にも迷惑かけてないじゃん! なんでそんな酷いことをしたんだよ!」


 不意に殴られた一人が思いっ切り吹き飛ばされ壁に激突した。打ちどころが悪かったのかそのまま気絶をした。残りの二人は悲鳴を上げながらその様子を見て逃げていく。

 気絶したそいつの手から花を奪い取り、俺は泣きながら花を持った。


「……なにもしてないのに、なんでこんな目に合わなきゃいけないの。おかしいじゃん」


 俺には何もない。俺はなんの価値もない醜い物だ。

 でも、この花は美しかったじゃないか。頑張って生きていたじゃないか。俺からすれば下ばかり見る俺を励ましてくれたような気がしたんだ。俺にとってはこの花だけが唯一の心の拠り所だったんだ。

 怒りが収まらなかった。

 気絶した名も知らないそいつを見下す。

 ぽつりとつぶやいた。


「……お前の方が価値がない。この花を殺すならお前の方が死ぬべきなんだ」


 そう言って俺は気絶している男に近づいて胸倉をつかんだ。殺してやろうと思った。本気で。この時の思考は随分と冷静だった気がする。

 でも、そうして拳を振り下ろそうとした時だった。


「ダメ!それ以上はダメ!死んじゃう!やめてぇぇぇぇ!」


 そう言ってシオリは泣きながら俺の拳を止めた。

 ものの数分で騒動を聞きつけた先生たちが現れて俺は押さえつけられた。

 すぐに学校の職員室に連れて行かれて先生たちが俺に怒声を浴びせた。

 俺だって必死に弁明したんだ。


 あいつらが面白がって殺したんだ。だから俺もあいつらを殺そうと思ったって。そう弁明した。


 でも先生たちは俺のことを頭がおかしいと言った。

 簡単に人を殺そうとしてはいけないんだと言って俺を怒鳴りつけた。

 シオリは俺を援護しようと先生たちに彼は悪くないと言っていた気がする。

 先生たちが俺の親に連絡をするも、当然父親は学校まで迎えに来ることなんてなくて、俺は一日中怒られてから背中をより丸めた状態で家に帰った。

 

 家に帰ると早速父親が俺の腹を殴った。


「お前のせいで学校から連絡が来た。どこで野垂れ死にしようが構わないが、俺に迷惑を掛けるな」


 そう殴るだけ殴って父親はテーブルに置いていた酒を口に含んだ。俺はその父親の後ろ姿をじっと見つめた。

 ……今日初めて俺は怒りを感じた。怒りに身を任せて人を殴った時になんとも言えない快感が俺を襲った。


 生まれて初めて父親に対して怒りを感じた。

 もう一度、この激情に身を任せようと思った。


 *******************


 ……気が付いたら父親は俺の目の前で頭から血を流してうずくまっていた。

 俺の片手には血で濡れた一升瓶が握られていた。

 父親は痛い痛いと呻きながら俺に向かって言った。


「……やっぱりお前は俺の息子だな。暴力しか出来ない俺と同じで価値のない人間だ。ははは……。お前は一生誰かに愛されることはねぇよ」


「……ッ! 出ていけ……この家から出ていけよ! お前なんて父親じゃない! 殺すぞ!」


「わかったよ。出ていってやるよ。殺されたくないし、殺したくもない。殺人はご免だ」


 そう言って父親は家から出ていった。そうしてもう二度とこの家に戻ってくることもなかった。

 父親がいなくなると俺は背筋を伸ばした。

 ゴキゴキと背骨が軋む音がした。久しぶりにきちんと背筋を伸ばしたせいか、体中が驚いているみたいだった。

 何もないと感じていた俺はこの日自分の中に2つの何かがあることを実感した。


 1つ。怒り。俺には怒りという感情がある。

 2つ。俺にはあのクズな父親の血が流れている。汚い血が流れていて俺もどうしようもなく父親と同じクズであること。


 ……普通ならこの2つを直すために人は生きるのだろう。

 でも、俺は何かが壊れていたんだ。

 何もないと感じていた自分に突然この2つが自分の中にあるのだと知った。俺はこの2つを心の拠り所にしてしまった。何もないよりこの2つを持っている方が安心したんだ。

 この日を境に俺は壊れていった。触れる人をすべて傷つける人間と化した。そして皮肉にも腰を丸めて歩くことは無くなったんだ。


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