奴隷編⑨
「ヒロト! 目を覚ませ!」
ロージュは叫びながら、グリニードを締め付けるヒロトの手を引き剥がそうとヒロトを引っ張る。
だがピクリとも動かない。
「何を見てるんだ! 見るのは殺す相手ではなく、守る存在ではないのか!?」
顔が青白くなり、だらんと力なくグリニードの手が垂れた。
その時、ヒロトが手を離した。
ドスンッと鈍い音を立ててグリニードが地面に激突した。
グリニードに目を掛けることなく、ヒロトは身を翻す。
心配そうに恐る恐るヒロトの顔を覗き込んでくるロージュ。
「悪い。なんか意識飛んでた」
そう言ってヒロトは謝り、すぐに1番の少女の元へ向かい優しく抱き上げた。
「ゔぼぇ、、」
地面に倒れたグリニードが咳き込む。
どうやら息はあるようだ。だが、あと数秒俺が首を締めていたら……。
いいや、どうでもいいな。こいつが死のうが生きようが。
「ロージュ。1番を医者に連れて行きたい」
ハッとするロージュ。
「あっ、あぁ……。すぐにシース家に連れて行こう。大丈夫だ。息はある。すぐに連れていけば問題無いはずだ」
とにかくすぐに行こう、と言ってヒロトはカミューラの横を通り過ぎて扉へ向かう。
「あ、ああ……」
ロージュもヒロトと同様にカミューラの横を通り過ぎようとする。
すれ違い様、カミューラが口を開いた。
「あんたたち、こんなことをしてただで済むと思ってるの。私は見たわ。神崎ヒロトが虚物であることを。ぶっ殺してやるから。あんたの母親と同様にねぇ……」
あいも変わらずカミューラは恨みつらみを吐く。
隣にいたロージュはぐっと喉を鳴らして言葉を飲み込んでいるようだった。
そして静かに「ヒロト、行こう」と言った。
すると再びカミューラが追い打ちをかける。
「あんたの母は娼婦の娘だった。死んで当然なの。あいつの死に際知ってる? ずっと、あなたのことを呟いていたみたいよ。ふふふ、ゴミ人間にも人を思う気持ちがあるのねぇ、気持ち悪い」
「ーーやめるのだ」
流石にロージュもこの暴言は看過できなかったようだ。
キッとカミューラを睨み、体を震わせながら叫んだ。
「自分ならともかく、母に対する悪口は許せなかった。お母様は立派な方だった。それをお主らは殺したのだ! 謝罪の、謝罪の一言もないのか!」
「感謝こそされど、なんで謝るのよ!」
「貴様ァッ!」
怒りが頂点に達してロージュは拳を握る。
その瞬間、ヒロトがロージュの腕を掴む。
「ロージュ。こいつらはそうやって怒らせて、殴らせるのが目的だ。挑発に乗ってはダメだ」
「……そうだな。すまない」
ロージュは涙目になりながら踵を返し部屋から出て行った。
戻っていくロージュの姿を見て、カミューラは舌打ちをする。
「ふん。娘は意気地なしなのね。あんたも、母親みたいに殺してやるからーー」
「黙れ」
ヒロトは握っていた剣を放り投げた。
剣はカミューラの頬を掠め取り勢いままに壁に突き刺さった。
カミューラの頬に冷や汗が垂れる。
「俺はお前らが死んでもいいって思ってる。本当に殺されたいか?」
と冷酷な目で明確に殺意を孕んで言った。
「……ちっ。あんたも覚えてなさいよ」
この状況になっても強気な態度を取るカミューラ。
呆れたようにため息をつき、ヒロトとロージュに続いて部屋を後にした。
物置小屋にはカミューラとグリニードだけが残った。
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気絶をしてしまったグリニード。
あぁ、私の可愛い息子。可哀想に。あなたな何も悪くないのに。
カミューラは優しい表情でそっとグリニードの頭を撫でた。
「大丈夫よ。ママがそばにいるからね。何があろうと、ママが守るから」
カミューラは沸々と怒りが込み上げてきた。
私の息子を傷つけた。あのゴミを絶対に許さない。大丈夫だ。あの男が人型の虚物であることを公表すれば、世間は激怒してあの男が死ぬのは当然のこと、虚物を庇ったシース家も全員吊るされるだろう。
いや、そんなことじゃ気が済まない。私の手で殺してやる。
また黒狼の事故に見せかけて殺せばいい。黒狼のせいにすれば全て上手くいく。
音もなく突然現れて、生物を鏖殺していく魔物。
側から見れば恐ろしい存在も、私たちからすれば都合がいい。
「ふふふ……待っててね、グリニードちゃん。ママがあなたの復讐をするから」
そうカミューラがにやけた時、ふと誰かが近づいてくる気配がした。
パパだろうか?
暗殺の依頼書をアクシスが持ってきたときには驚いたが、なんてことはない。パパが全て有耶無耶にしてくれる。
そう思いながら、カミューラは顔を上げると。
「ワンッ」
目の前にいたのはパパではなく、黒犬だった。これはペットのムジナか。
ふと疑問が過った。ムジナはどこから侵入してきたのだろうか。
部屋の扉はピッタリとしまっている。ロージュとヒロトが扉を閉めて出ていったはず。
「でもちょっと待ってね。今は忙しいの」
だがあまり深く気にすることなく、カミューラはムジナに語り掛けた。
だが、ムジナは全く話を聞いていないのか呼び声に応じることなく、その瞳はじっとグリニードだけを見つめていた。
眉をひそめるカミューラ。
ムジナの口から大量の涎が垂れていることに気づいた。神崎ヒロトと同じく大量の涎を垂らしている。
まさな、息子を食べようと……? いや、まさか。
「ワンッ。ヴワンッ。ヴ、ヴヴヴ」
カミューラに過ぎった不穏な懸念を肯定するように、ムジナの声が獰猛になる。
そして声だけじゃない。ムジナの図体すらも大きくなっていく。
カミューラの顔が引き立った。
「なに……!? なんなの!?」
「ヴヴヴヴヴ……グルッヴヴヴヴヴ」
ムジナの巨大化は止まらない。
小さかった牙も気付けば人の腹を貫けそうなほどに巨大になり、黒かった体毛は白く変色し始め、瞳の色彩が赤く彩り始めた。
その瞬間、ようやくカミューラは自分の間違いに気づいた。
目の前にいるのはムジナじゃない。犬ですらない。
目の前にいるのは犬の虚物ーー黒狼だ。
「い、いやぁぁぁぁぁ!」
カミューラの悲鳴が上がる。
「助けて! 助けて! あなた!」
必死に声を荒げるカミューラ。
だが、この部屋はグリニードの希望で防音室になっている。奴隷が悲鳴をあげても外には漏れないようにしていたのだ。
カミューラの悲鳴は届かない。
「いや! 逃げないと、逃げないとお……。だ、だめ。グリニードちゃんが!」
立ち上がり、扉に向かって駆けていく時にグリニードが歩けないことに気づいた。
カミューラは急いで踵を返してグリニードを抱き抱えようとしたが、多くの贅肉がついたグリニードの体重は優に100kgを超えており、とてもじゃないがカミューラ一人では背負えない。
黒狼がグリニードを見て舌なめずりをする。
「ダメ、お願い。グリニードちゃんに痛いことしないでぇ……」
黒狼が人1人ならばいとも容易く飲み込めそうなほど、大きく口を開いた。
カミューラは体を震わせながら、両手を大きく開いて声を荒げる。
「あっちいけ! あっちいけ! 私の息子に手を出すな!」
黒狼が地面を蹴った。
大きく口を開きながら、グリニードに一直線で進んでいく。
その直線上にカミューラは立ち、逃げずに引くことなくグリニードの前に立った。
ーー大量の血飛沫が部屋に飛来した。




