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四月某日。

マイナス5メートルの横顔

作者: 春色

短編です。さらっと終わります。

4月某日。

真衣にとって、高校生活最後の1年のはじまりの日。

久しぶりの早起きで、朝日が眩しい。

「いってきまーす!」

「はーい、転ばないようにね〜」

駅までの坂道、全力で自転車をこぐと、ひんやりした風が頭をしゃきっとさせてくれる。肺にも新鮮な空気が送られて、次第に息がはずんでくる。だけど自然に高まる鼓動には、不安が織り込まれていた。

――はあ、ドキドキするよ〜〜

真衣は大きく息を吐き出した。嫌な予感がおそってくる。

不安と後悔がないまぜになった気持ちをふりきるようにペダルを踏み込むと、あっというまに最寄駅についてしまった。ああ、ついに現実と向き合わなくちゃいけない。怖くてたまらない。それでも時間はギリギリで、真衣はしかたなく電車に飛び乗った。





「おはよう」「元気だった?」「春休みはまた読書漬け?」

「マイマイ、びっくりニュースがあるよ!さっき聞いたんだけど、典子ってば春休みの間にね……」

「それよりクラス替えってさー……」

「ねえ今日人多くない?……」

終業式以来に会う友達もいるので、すぐさま話に花が咲く。

調子を合わせて笑いながら、不自然なほど友達の顔を見つめてしまう。いつもならある方向に、すぐに目をやるというのに。いつまでもこうしてはいられないと、真衣はそうっと、そうっと奥の方を盗み見た。



――あ、いる……!



風船から空気が抜けるように、一気に全身から力が抜けるのを感じた。

真衣の視線の先には、ひとりの男子生徒がいた。

この春も、すみの定位置に座っている。



――よ、よかったあ……。



彼は違う高校に通っている生徒で、同じ車両でいつも会う。

涼しげな目元と、きめの細かい肌が、どこか洗練された印象を与える。

名前も学年も知らなかった。

真衣が乗るときにはすでにいるから、どこから乗ってくるのかすら知らなかった。




今日も、いちばん奥の座席を陣取って、同じ高校の男子生徒に囲まれている。

真衣たちは今日も、彼らから少し離れたドアの付近で、かたまって立っている。

2年間、ずっと変わらなかった距離。

近いようで、遠い。




だけど今日、彼について知っていることがひとつ増えた。

――同い年、だったんだ……!

その発見が嬉しくて、友達にバレないようにそっと笑みをこぼした。



***


真衣は、通学のときに見かけるだけの相手に、かれこれ二年近く片思いを続けていた。

ドア横のスペースが真衣のお気に入りで、手すりもたれるようにして立つと、車内が見渡せる。

友達と話しながらも、ふっと視線をそらせば、彼のことが見られる場所だ。

今日は寝癖がついてるな、とか。今日は眠そうだな、とか。

そんな小さな気づきが楽しい。

まるで昨日までつぼみだった花がほころんでいるのを発見したときのような。

他の人には気付かれない、秘密の楽しみ。

制服から、どの高校に通っているかは知っていたが、話しかける勇気など微塵もなかった。向こうから視線を返してもらうことはほとんどなくて、存在を認識されているかさえ怪しかった。

だって、友達に囲まれているのに、彼はたいてい本を読んでいるから。

最初は、活字を追う真剣な目に惹かれた。

真衣が彼のことをはっきり意識したのは、彼が読んでいる本がきっかけだった。その日彼が読んでいたのは、真衣も大好きな海外の児童文学作品。彼が友達に話しかけられて本を閉じたとき、その見慣れた表紙が目に入ってびっくりしたっけ。まさか男子高生で読む人がいるとは思わなかったから。



話しかけたい。

と思いつつ、その機会がないままずるずると1年が経ち、気づいたら高2の春を迎えていた。

去年の始業式の日も、もしかしたらもう乗っていないかもしれない……と不安になったのを覚えている。もし2個上だったら、もう卒業してしまっているはずだから。だから、その日姿を発見して、すごくほっとしたのだ。

1年の猶予をもらったのだから、そのうち勇気を出して話しかけてみようと思ったはずなのに。




それなのに真衣は、1年間なにもできなかった。

真衣は相変わらず友達と話すし、彼は相変わらず本を読んだり時折友達の話に相槌を打ったり。

きっかけをつくれないまま、また春を迎えてしまった。

そして高3になった今日、一年前よりもさらに大きな不安を抱えて電車に飛び乗ったのだった。



――本当によかった。また1年顔をみられるんだ。

真衣はしみじみ、自分の運の良さをかみしめた。これが先輩だったら、もう会えないところだった。思えば2年前の彼は、ブレザーもまだ大きくて、どこかあどけなさもあったと思う。それが今では、明らかに着こなしていて、かっこよくなっている。きっとこの間に肩幅もひろがって、背も伸びたのだろう。

変わらず読書する姿に安堵すると同時に、本当にそれだけでいいのか、という思いが首をもたげる。

意気地なしの自分を捨てて、今年こそ、今年こそ話しかけたい!

友達の肩越しに端正な横顔を見つめ、真衣はひそかに決意をかためた。



***


話しかける機会は、思ったよりも早くやってきた。

ゴールデンウィークをむかえ、ツツジが道路脇を彩るころ、真衣は一足早く受験勉強に本腰を入れようとしていた。

大学の過去問題集を買うために大きな本屋に来ると、お目当てだった朱一色のコーナーに、私服姿の彼がいたのだ。絶好のチャンスに、真衣の心臓は早鐘を打ちはじめた。

挨拶してみようか、でもわたしのこと認識してなかったら誰だこいつって思うだろうし……

あまりの緊張に、胸が痛いくらいだった。

第一声をどうするか決められないまま、勇気をふりしぼって彼に近づいた。




「あ。」

だが、思っていたのとはまったく違う形で、すんなり声が出た。彼が取ろうとした表紙に反応してしまったのだ。

その声に気付いて彼がゆっくり振り返り、はじめてまともに視線がぶつかった。視線と視線がぶつかる音が聞こえた気がした。

彼の口からも、同じような「あ。」がこぼれた。




「あっ、あのっ、突然すみません!そ、その大学の過去問、わたしも探しに来てて!」

「……へえ、そうなの?偶然だね」

「はい、あ、すみません!でも、おおおお先にどうぞ!」

「君も必要なんじゃないの?」

「いっ、いえいえ!あ、いや、そうなんですけど、こういうのは先着順なので、おかまいなく!ど、どうぞ気にせず買ってください」

ふうん、という雰囲気で流し目を送られる。



――どうしよう、名乗るべき!?いつも電車でお世話になってますっていうのも変だよね!?



彼の目に自分がうつっていることを意識すると、追い詰められたウサギの心境になる。

せっかく、わたしに直接話しかけてくれているのに、盗み聞きでも覗き見でもないのに、スマートに会話ができない。



彼は一瞬考え込むそぶりを見せて、

「ここには各年度1冊ずつしか置いてないけど、たぶん聞いたら在庫があると思うよ。有名大だし。店員さんに聞きに行くけど、君もくる?」

と聞いた。

「えっ、いいんですか?」

彼はにっこり笑うと、ついてこいとジェスチャーをする。真衣が後ろからぴょこぴょこついていくと、彼がさらっと爆弾発言をした。



「てかさ、俺らいつも同じ車両に乗ってるよね?」

「ええっ、わ、わたしのこと、認識してたんですか!?」

真衣は思わず足を止めて聞き返した。声がひっくりかえってしまったが仕方ない。もしかしたら存在を知ってもらえてるかもと思っていたが、そのもしかだった。奇跡みたいだ。

「ああ。いつもにぎやかで楽しそうな集団だなって」

「す、すみません。朝からうるさかったですか?中学から一緒の子達ばかりなんですけど、おしゃべり好きな子が多くて……読書の邪魔でした?」

「いや、面白いからいい」

「えっ!?」

「知ってる?電車内では意外と会話って聞かれてるものなんだよ。君らの会話は面白いから、たぶんまわりから結構聞かれてる」

「え」

まさかの事実に動揺しながら、あわててこれまでの会話を反芻してみる。

下品な話はしてないはずだが、プライベートが筒抜けになる程度には話していたと思う。まわりに知られてると思うと相当恥ずかしい。

というより、こっちに意識を向けていたという事実を喜んでいいのかわからない。面白いってどういう意味だろうか。

「でも、いつも本を読んでたのに、会話聞いてたんですか?」

「まあね。女子高生の日常聞いてる方がよっぽど娯楽」

だいたい連れが乗ってくるときにはもう本は開いてるだけの状態だったと付け足すと、彼はニヤリと笑った。長い睫毛の奥に悪戯な光がたたえられていて、思わず魅入ってしまう。



「そうそう、君の名前も知ってるよ、マイマイ」



――ええええええええええっ!?



真衣は心の中で大声をあげた。




***



直接言葉をかわしてみると、彼は思っていたような、文学青年ではなさそうだった。率直に言ってしまうと、女の子に慣れてそう。だけど彼のおかげで真衣も無事過去問を手に入れられた。そろって本屋を出て、駅までの道を歩く。

真衣は丁寧にお礼を言った後、ずっと聞いてみたかったことを思い出した。


「あ、あの、お名前はなんていうんですか?」

「ああ、俺は沢。沢俊平だ」

「沢さん……」


名前を呼んでみると、これまで憧れの人としてどこかふわふわした存在だった彼が、同じ世界に生きている人間として質量をもった気がした。嬉しくてなんどもつぶやいてしまう。



「……沢さん、沢さん」

「……。あのさあ」

「はい」

「俺ら同い年だろ。お互い受験生なわけだし」

「そ、そうですね!」

「敬語じゃなくていいから」

「!」

「それに初めましての間柄でもないし?毎日2年も顔合わせてたら、ちょっとした知り合いだよね」

「ほんとに!?」



思っていたのと違うとはいえ、ずっと前から認識されていたことが嬉しくて、真衣の声も弾む。なんだか気持ちが大きくなって、真衣はいちど深呼吸すると、横を歩く彼に向かって一気に話した。一度開き直ってしまえば、恥ずかしくない。



「じゃあ、俊平君って呼ぶね。俊平君、あの、今日は嬉しかった。そもそもわたしの存在に気づいてくれてて嬉しかった。実は高1の時から、俊平君のことかっこいいなと思ってて、ずっと話しかけてみたかったの。でもいつも本読んでるし、友達にも囲まれてるし、話しかけるきっかけをなかなかつかめなくて。だから今日が奇跡みたい。ありがとう」



真衣が言いたいこと言ってやったぞ、どうだ、という顔をしてみせると、俊平君は顔を背け、ため息をついた。意外にも、つんつんした髪から、赤い左耳がのぞいている。



「あれ、馴れ馴れしすぎた?下の名前で呼ぶのは無し?」

「いや、なんでいきなり堂々とするわけ?恥ずかしくないの?」

「まあ……高校も違うし。それこそ電車くらいしか接点ないから、いっそ旅の恥はかき捨て、みたいな?」

「なにそれ」

真衣が豪快に笑うと、俊平君もつられたように笑う。

「あのさ、君、あの大学が本命?」

「うん。どうしても住んでみたい町にあるから。動機としては不純かもしれないけど……」

「いや、いいんじゃない。そういう理由もありだろ。……でもまさか同じ大学志望とはね。他にもいろいろ迷ってたけど、俺もここ一本に絞ってがんばるって今決めた。うまくいけば、来年からは、"電車くらいの接点"じゃなくなるね」

「え?」

「文学部なんだろ?俺は法学部目指すから、ライバルにはならない。安心して」

ライバルになるかどうかより、他にもつっこみたいところがいろいろあって頭が追いつかない。とりあえず聞かなきゃ、と思って口を開く。

「う、うん。え、それはいいんだけど、なんで文学部受けるってわかるの?」

「……秘密。でもひとつだけいうと、俺にはファンタジーは向いてない。そういう世界も知りたいと思ったけど」

「え、もしかして、わたしがあの子たちに力説してたのも聞いてたの!?」

それなら自分の趣味で読んでるわけじゃなかったのか、でもわたしの話を聞いて興味を持ってくれたんだ。期待してもいいのかな……なんて、思い上がりすぎだろうか。複雑な感情で俊平君を見つめる。



「さあね」

俊平君は、またニヤリと不敵な笑みを浮かべた。

「なにそれ!ストーカーみたい!」

こんな風に笑うなんて、今まで知らなかった。またひとつ知らない側面を発見できてうれしいのに、照れ隠しのように詰ってしまう。

「いや、それそっちが言う?かなりこっち見てたでしょ?ばれないとでも思った?」

「っ!だって、本読んでるから、存在すら認識されてないと思ってたもん」

「いやいや、俺の友達だって、君のこと噂してたからね。あいつおまえに気があるんじゃねって言われてたから」

「うそ!」

「残念ながら、ほんと」

「うわああああ、恥ずかしい。気づかれてたなんて」

「ほら、俺わりと顔が整ってるから、視線感じること多いんだよね。でも君のはバレバレで面白かった」

「うわ、俊平君って自意識過剰な人だったの?わたしの場合は、わたしが好きな本読んでたから、話してみたかっただけ!それ以上でも以下でもない!」

「あ、そう。さっきはかっこいいって言ってくれたけど?」

「それは、テレビ見てかっこいいって思うのと一緒だから違うの!」

「なんだそれ」




こんな人だと思わなかったと真衣がむくれてみせると、俊平君はケラケラと笑った。

「ね、同じ大学目指す者同士仲良くしようよ」

「なんだか詐欺に騙された気分。まじめでシャイな文学青年だと思ってたのに」

「そんなこと言うなよ。そっちが勝手に思い描いてただけだろ」

「そうだけど……第一、名前だって今日初めて知ったし」

「そうだね。言っとくけど、俺は君の名前もそれ以外もわりと知ってると思う。君ら、というか君の友達、電車でなんでも話してるから。それを聞いた上で、君に興味を持った」

「え、それってどういう意味?」

「言葉通りの意味。でも、まだ知らない部分が多すぎる。それに、俺の中身もちゃんと知ってもらいたい。実際、君って俺のことあまり知らないと思うから」

俊平君が笑う。悔しいけどその通りで、顔だけで片思いしていると思われてそうなのがいやだった。たたずまいや雰囲気すべてをひっくるめて惹かれてたつもりだったのに、中身はずいぶん違いそうだし。でも、嫌いではない。俊平君のことを、ちゃんと知りたいという気持ちになった。




帰りの電車は当たり前だけど同じ方向。

真衣が降りる駅が近づくと、俊平君がある提案を投げかける。

「これから、たまに一緒に勉強しよう」

それは願っても無い提案だった。

「え、いいの?」

「もっと色々話したい。それで、まずお互いのことを知ろう。そのあとどうするかは、お互いが受かってからまた考えよう?」

「友達になるってこと?」

「友達からってこと」

「……受からなかったら?」

「絶対受かる。少なくとも俺は、勉強で困ったことはない。そういう人間だ」

「うわ、今度は自信過剰」

「嫌?」

「どちらかというと」

真衣が顔をしかめてみせると、俊平君は真剣な目つきに変わった。

「でも本気で勉強する。絶対受かるために。それでいいか」

「うん、いいよ」

俊平君が右手をぐーにして差し出すので、ちょっと迷ったが同じように右手をぐーにしてこつんと合わせる。はじめて触れた俊平君の手。ロマンチックな雰囲気とはかけはなれているけども、別の形でこの手に触れられるときはくるんだろうか。そうなればいいなと思うけど、しばらくは友人関係でいるのもいいかもしれない。どんな人間か見極める時間をもうけるなんて、やっぱりまじめな人なのかも。



「マイマイも絶対受かる」

「えっ」

名前で呼ばれて、思わず隣の横顔を見つめる。

「え、下の名前で呼んでくれるの?」

「……」

「さっきから君って呼ぶから、もう呼んでくれないのかと思った」

「……」

「ねえってば」

その左耳がまた赤くなっていて、なんだかかわいい。いたずら心をおこして、真衣はすこしだけ右に詰めて、彼に近づく。

「受かるために、がんばるよ。言っとくけどわたしも自信あるから」

左耳に向かってささやくと、俊平君の肩がびくっと上がる。一呼吸遅れて、

「おう」

といういい返事がかえってきた。



その反応をみて、真衣はふふ、と笑う。

案外、女の子慣れしていないのかもしれない。

やっぱりまだ、この人がどういう人だかつかめない。分かりたいな、と思う。



***



翌朝の電車。

相変わらずギリギリに飛び乗る真衣。

だけどいつもの定位置におさまるまえに、彼の席に近づいて「おはよう」と言う。彼もにっこり「おはよう」と返す。

最初はどよめいた両者の友達も、道路に咲くツツジが紫陽花に取って代わられる頃には、これをいつもの光景として受け入れるようになった。




高校生活最後の夏が近づく。

女子グループの定位置がごそっと変わるのはもう少し先の話。






電車から始まる恋、古典的だけどあるあるですよね。

ふつうだったら他人以上知り合い未満で終わるところですが、なにかきっかけさえあればどんな関係にも転がると思うんです。


活動報告にて、少し裏話を書きました。

それでは、お読みいただきありがとうございました!


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