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彼女と黒猫  作者: M.H
彼女と黒猫 (上)
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9話『勉強は早めに終わらせる』

 なんと言うことか夏休み一日目に俺は三月に告白された。

 懊悩している合間に迎えた朝は妙な気分だった。

 とりあえず昨夜出た結論は『莉緒の性格は大雑把なようで繊細で意外と乙女で根はしっかりした普通の女の子です』という事……というのは嘘で、俺の中で三月の告白に対する答えはすでに決まっていた。けれど、あと一歩踏み出せずにいた。そんな俺の背中を押してくれる人はいないのか。

「はい、じゃぁとりあえずお昼まで、すたーとっ」

 締まりのない合図と、ふんとしたいい笑顔で、莉緒はシャーペンの頭をノックした。

 もちろん俺に拒否権など無く、正面の三月もシャーペンをしっかりと握り、薄い宿題の紙と対面。中学とは違い、圧倒的にたぶん十分の一くらいと少ない。超頑張れば一日で終わるだろうと思う。

 無駄話だめ絶対の勉強の空気で集中。その少し張り詰めた進学塾のような空間でミカンだけが余裕綽々と大きなあくび。のんきで良いな。

「ほら、ミカン、テーブルの上に乗ったらダメだって、お姉ちゃんたちのお勉強の邪魔したら駄目でしょ?」

 俺は最初の頃はそう言って優しく退かしていたが、二回目、三回目、四回目、五回目と言うたび言葉に力はないのだと知り、無言で退かすようになる。そんなミカンは、俺は構ってくれないし邪魔をするヤツだと認識してさも当然のように三月の正座した太ももにデンと座る。本当にムカつく娘だがその夏だというのに丸くなった顔のおかげで俺の怒りはどこかへ消えた。

 俺はすぐに気が散るのに、三月は片手でミカンを撫でながら解き、莉緒も少しも目を離さず……お前だけは仲間だと思っていたのに! となんだか勝手に裏切られた気持ちになる。

 確か夏休み前のテストで莉緒は結構上の順位だった。三月は十位圏内に載っていた。俺はたしか学年六十二位だった。まぁ、悪くない方だ。

 とても真面目な二人を俺は前に背筋を伸ばす。

 ひとり勝手に休憩して十分が過ぎた頃、飽き性のミカンは三月から降りて窓の近くでぐるぐるとうなりながら腹を上にしてたくさんの陽を十分に浴びていた。その黒い体毛は陽に照っていた。見るからに暑苦しそう、来世は間違っても黒い猫には生まれ変わりたくない。そう思ってみているとミカンは驚いたように大きく琥珀眼を開いた。

「さっきから手、止まってるけど、分かんないなら聞きなさいよ? 別にわからないことは恥ずかしい事じゃないんだから」

 莉緒の珍しく優しい声掛けに俺は一瞬、自分に言われているのかわからなかったが莉緒の瞳が俺を射抜くのと、そもそも手を止めているのが俺しかいない、という状況もありすぐに自分に向けての言葉だと理解した。俺は不意にテレビ台の上にかけられた丸い時計を見て言う。

「そろそろ、休憩時間じゃないか?」

「ダメ、あと三十分ある」

「あ、はい…………みんな、頑張ろう」

「修哉がね?」

「……」

 俺はあと三十分、ぴったり十二時まで問題を解き続けた。

 二人はもう半分以上終わらせ、俺も追いつこうと適当に解く。

「なんで?」

「何が?」

「分からないなら聞いてって、言ったよね?」

「そんなこと言われてもなぁ、分からないところが無いわけで」

 わからないところがわからないわけで、間違っているかあっているかわからないわけで、本人は正解だと信じて疑わないわけで……と、そんな言い訳を口に出せるわけが無い。

「ま、それは後に置いて、とりあえず昼食にしない? 私が作る? キッチン借りるね?」

 三月は場を仕切り直すように、赤ペンを握って離さない莉緒の腕を掴み上げ、台所へ連れていく。俺は唸り続けるミカンと赤ペンが走る紙の遊び相手に就任。

 俺はプリントを半分に更に半分に折り隅へ、代わりにミカンを脇から持ち上げて膝に乗せる。ミカンと俺の視線を、台所で食材を探す二人に向けた。

 すると莉緒がいぶかしがりながら言う。

「材料全くない……修哉、いつも何食べてんの?」

「あぁ、俺料理とかそんなに得意じゃないから……あ、ご飯なら上の棚に――」

「――カップ麺とチンのご飯! バッカなんじゃない?」

「じゃ、私達そう言うことでお買い物行ってくるから、たぶん三十分くらいで戻ると思う――」

 この家には食料はあっても食材が無い……ので女子チームが買い出しに行ってしまった。

 おいしいのに。

「行ってらっしゃい……」

 それから俺は彼女たちが帰ってくるのをミカンと大人しく待つことに。

 待っている時間、俺はネズミがつるされた竿を上下左右に振り続けた。ミカンの双眸は野生そのもので明確な殺意を宿していた。それから三十分ほどで二人は帰宅し、手際よく、ときどき叫びながら調理していた。

「はい。まぁ、夏と言えばカレーだし、友達の家と言えばカレーだし、どの場面にもカレーでしょ? 三月が辛いのダメだから甘口だけど別に文句はないでしょ?」

 文句を言うなら強引に押し込んでやる、という明確な意図を口調と瞳から受け取る。部屋には換気扇を逃れたカレーの食欲を与えるスパイスの香りが部屋に漂っていた。

 莉緒は野菜を。味付けを三月。

 八等分の大きいジャガイモが主役だと言わんばかりに存在している。だがこのくらいのサイズが良いのだ。中学の林間学校で作ったカレーもこんな感じだった。確か、俺が担当していた米はいつの間にか、きっと誰かの悪戯で炭に交換されていた。そんなことを思い出した。

「うん、なんだか懐かしいカレーだな」

「おいしいかまずいかの評価で言いなさいよ」

「おいしい、特にジャガイモがデカいし」

「そ、ならよかった。ね、三月」

 莉緒は得意げに口角を上げる。

「あ、う、うん! おいしいね」

 カレーを平らげ、夕方五時くらいまで俺たちの勉強会は行われた。一番先に課題という山の頂に旗を立てたのは三月、二番手莉緒、三番手に俺。

 というか、何で俺の家で勉強してんの? という疑問が莉緒を駅まで送り、家で一人憮然と液晶を眺めていた時に頭を過った。

 この日の夜食はカレーだった。

「ま、いっか楽しかったし……」


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