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彼女と黒猫  作者: M.H
彼女は黒猫 (下)
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47話『新人バイト』

 月曜日、週明けのバイトだ。いつの間にか十一月も終盤に、日が出ても日が沈んでも寒い。そんな季節。

「おはようございまーす――うわ、寒」

 休憩室兼店長室は暖房など無く寒い。そんな部屋にパーカーを制服の上に羽織っている大型の店長がいる。彼は今年で何歳だったか、顔的に三十位だろうか。チクチクと汚らしく生えた髭、それは「僕、ここ三日連勤なんだ」とアピールするための小道具の様なモノ。

「おはよう、今日も二十時までだっけ?」

「その予定です」

 俺の家には同居人がいる。家出中なのか知らないけれど三月という十五の少女、同じ高校生だが彼女は高校には通っていないそうだ。

「そういえばこの前シフト被ってたからわかると思うけど、神田さん、って話したことある? 同じ学校なんだけどさ」

「この前、休憩前に引き継いだくらいですね。って同じ学校だったんだ」

「あー、じゃぁよろしくね、教育係」

「……まぁ、別に構いませんけど」

「ほんとに! 君ならそう言ってくれると信じていたよ!」

「というか、今ここで一番長く居るのって。俺だけですよね」

「……そうだね、高橋さん、そういえばこの前結婚したって……」

「居ましたね、そんな人。というかよく覚えてましたね」

 二年くらい前に居た女子大学生だ。店長は密かに想いを寄せていた。秘密裏に。

 そんなどうでもいい話をする俺たちに細い声が「おはようございます」とよそよそしく言う。

 ベージュの学生コート、冬だというのに短いスカートから覗く生足、ふくらはぎの半分くらいまで上げられた黒い靴下、薄いメイクが施された顔はどこか不安そうだった。このかおはアレだ、もうバイト来たくない、という面倒くささがにじみ出ている。

「おはよう……えっと神田さん。だっけ」

「は、はい。えっと……」

 生憎その目が探しているネームプレートも名簿も無い。

「俺は狛江修哉、よろしく」

「あ、はい、よろしくお願いします」

 ぎこちない空気は苦手だ。俺は店長の顔を一瞥してから簡易的な更衣室で制服に着替えた。

 着替えるときは上から。

 厨房とかフロアとかに挨拶して仕事始め。

 始業時間は神田さんも同じでフロアを担当。

「ま、失敗なんて気にしない。仮に怒られても気にするな、ソレは客に気に入られてるって証拠だって思えばなんとかなるさ」

「はい……」

 覇気の無い声。風船がしぼんだような態度は接客業には向いていない。それなら莉緒みたいに気張って殺気を放っている方がマシだ。どうせクレーム対応は店長の仕事だ。

 俺は慣れた作業で並ぶ客を席に案内していく。オーダーは神田さんに任せ、俺はオールラウンダーに。今のところ問題なく平穏。

 俺は時々ベルの音と映し出される数字を見つめる。

 そもそも二人だけで回転させようというのが間違っている。応援でも呼んで若いのは楽をすべきだ。けれど応援も同世代くらいの人、という。

 大体案内した後、俺も参戦する。

「神田さん、料理できてるからとりあえず運んじゃって」

「あ、はい」

「神田さん、お会計頼める」

 そう繁盛時の一時間を二人でこなし、シフトの時間になった大学生のバイトが参戦。

 だいぶ精神的にも楽になる。

 それから休憩。

「おつかれさま」

「あ、ありがとうございます」

 寒いけど疲れて熱の上がる身体は冷たい水を求める。

 疲れ切った横顔。気を抜けば今にもため息が出そう。

「今日含めて何日目?」

「四日目です、先週の金曜日からここに」

「このバイト、楽しい?」

「まだ、わかんないです」

「ま、そりゃそうか。まだ四日目だもんね」

「けど、この四日間で私、十回くらい怒られました……とろいとか、間違ってるとか、声聞こえないとか、向いてないんですかね、この仕事」

 四日で十回も怒られれば誰だって嫌になる。

「そりゃ、大変、まぁでもほら、クレーム対応は店長だから……怒られてる回数じゃ店長なんて数え切れないし……」

「でも、私が怒られる代わりに店長が怒られてるって――」

「――店長は好きで怒られてるんですよね?」

「――なわけないでしょ! 客にも神目線で怒られて、会社からも営業不振だとか怒られて! 結婚前に死んじゃうよ、孫の顔見たいのに!」

 そう言って泣き出した。この手の会話は地雷なのだろうか。というか孫の顔って。だから結婚してないじゃん。

「やっぱり、そうですよね」

「とりあえずその、暗い顔やめたら良いんじゃ無い? とりあえず笑顔で居れば客も悪い気はしないでしょ」

「暗い、ですか?」

「暗い」

「ど、どうですか」

「それは? もしかして笑顔?」

「……見えないですか」

 思わず首を縦に振ってしまいそうになった。汚物を前にして、笑わないなら殺すと脅されて笑っている、そんな表情だった。これまた莉緒とは別の難しさがあった。

「ま、とりあえず頑張ろう。怒られたら俺も一緒に怒られてやるから」

 その日、八時までしっかり働いた。

 やはり怒られるのは意外と辛い。

 バイトが終わり、店長とまた変な会話を交わし帰路につく。

「あの」

「あ、神田さん。どうかした?」

「あの、今日はありがとうございました」

 そんなことを言って神田さんは会釈して駅の方へ向かった。

「あの!」

 十歩程歩いて彼女は振り向いた。その声をバイトでも出してくれたら良いのに、と俺は思う。

「まだ何か?」

「あ、あの……狛江さんって、カノジョとか居るんですか」

 神田さんは柔らかく巻いたマフラーをきゅっと握って口元まで上げた。ソレは一種の照れ隠しだと思う。

「……居ないよ」

「……そう、ですか……すみません手間取らせて、私明日から頑張ります」

「おう、頑張れ」

 今度はお辞儀で、本当に帰って行った。

 俺、もしかしてモテ期? 今頃? 軽くガッツポーズ。



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