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彼女と黒猫  作者: M.H
彼女は黒猫 (下)
42/54

42話『お出かけ』

 今日は土曜日。待ちに待った、というわけでも無いが、今日は三月と買い物に出る日だ。目的は部屋着を買う。そんなところだ。

 三月はあの雨の日の格好で。短いサラサラとした毛に覆われた黒のコート。

 三月の髪は長く黒くやはり艶やか、肌は白く滑らかでなんだか魔女みたいな、そんな妖艶な雰囲気。

 とりあえず『可愛い』の一言で片付く。

「じゃ、行こうか」

「はい……」

 三月は黒いキャスケットを少し深く被る。

 その様子はなんだか記者会見とか、謝罪会見とか、報道陣から逃げる時みたいな格好だった。

 カギをしっかりかけて。俺と三月は後数年もしないで朽ちてしまいそうな階段を下る。

「この道通るのは二度目だな」

「そう、ですね」

「大丈夫か? カメラマンはいないぞ?」

「……そう、ですね」

 三月は形の良い唇をきゅっと閉じる。隙間から覗く瞳はこの街を見ていた。そんな不審に怯えた仕草。彼女は一体どんな人生を送ってきたのだろう。あまり良い扱いは受けてこなかったのだろうかと、彼女の張った肩を見て心配に思う。

 尚も華奢な身体は得体の知れない恐怖に狙われているように気張っていた。

 それから十分と経たずに駅に到着。

「えっと、これだな」

 切符を買うのは彼女を連れて来てしまった夜以来の事。

 小銭を投入して切符を受け取り、三月に渡す。

「すみません」

「別にいいよ、ご飯だって作ってもらってるし」

「私に出来ることなら何でもします」

「出来ることだけで良いからね」

 特別快速の止まらないこの駅、颯爽と減速などなく駆け抜ける車体が押しのける風はホームに波のように押し寄せる。三月は長い髪と帽子を押さえて、俺は髪の毛が後ろに流れるのを感じる。

 ボサボサになった髪を指で元に戻す。

「どのくらいで着くんですか?」

「ちょっと待ってな、まぁ二十分くらいかな」

 徒歩の時間もいれたら一時間ちょっと。学校より少しだけ遠く、都会だ。

 三月は座っている間うつむき、帽子を少し深く被る。もしかしたら人が多い場所は好きじゃ無いのかも。きっと満員電車に乗ったら死んでしまうのだろうと、そう俺はつり革を強く握りながら思った。

 特徴的な抑揚の声で目的の駅名が読み上げられる。

「降りるぞ?」

「はい」

 周囲によそよそしく目配せする三月に俺は手を差し伸べる。

 残念ながら取られること無く三月は立ち上がる。

 そして人通りをかき分けながら進み、改札を抜けた。

「ま、とりあえず見て回るか」

「そうですね」

 若者特に女の子と言えば、ここ。という都心の都心。

 古い駅舎とは裏腹に鮮やかな場所だ。

「キョウダイ」とか「アニキ」とか「カップルイイネェ」と、ここは異界の地だと、本能的に感じた。声がけは主に黒い人達。客引きの外人は苦手だ。きっと誘いに乗ればクスリを売られるに違いない。そんな超偏見すら抱いてしまう土地だった。

「これ、とか?」

 上下一体型の、まるでコスプレ衣装みたいな寝間着。ピンクでもこもこでウサギの耳が垂れていた。三月はしばらく無言だった。

「こう言うのが、好きなんですか?」

「いいや、すまん、ネタだよ、ネタ。俺の趣味じゃ無い、俺の趣味に任せると……」

 そもそも俺の趣味が通用する商品は無い。そのことに俺は思わず唾を飲む。

 この空間はなんだか異様な空気だ。俺の体質には合わない、思わず鼻が空気を吸うことを辞めたいという。

「好きなの、選んで。値段は、気にするな。俺は少し、外で待ってる……」

「じゃぁ、決まったら手を振りますね」

「わるいな」

「いえ、ありがとうございます」

 俺は一旦外の階段踊り場で冷たい風に肌を晒した。気持ちがいい、酔いがさめていくみたいに吐き気はすっとひいていく。

 それから三十分は過ぎた。

「よし、これでいいんだな?」

「はい、悩んだ結果、コレです」

「わかった」

 まぁ無難に、冬っぽくもこもことした寝間着だ。耳も着いていなければ尻尾も無いが。

 かわいい系女の子の寝間着、と題を出して出てきた答えのようなそんな寝間着。

 それから二人は人混みによってお腹が減り、ファミレスで昼食を取ったのだった。

「好きなの頼むと良い、育ち盛りなんだし、多少食べても太らないだろ?」

 最後の一言は完全に失言だと、いつしか莉緒に教えられたと思う。いつのことだったか。

 けれど三月は特に気にはしていない様子でメニューを斜めに立てて見つめる。

 莉緒も含めた女子というのは悩むモノで、洋服選びとかだけに平気で半日費やす事もある。

 ソレが食べ物となれば当たり前、剣先を突きつけられ急かされない限り一捲り一時間。恐ろしい、と、戦慄きながら思う。

「俺は決まった」

 というかまかないでも同じモノを食べている。バイトでも無いのに同じファミレスに来るとは、もう毒されていると言わずして何という。けれどこの店舗は応援でも行ったことが無い。けれど思わず店員の態度とか、言葉使いとか、金銭の読み上げとか、そういうところに気が向いてしまう性分。

「ほんとに? 待ってね、すぐ決めるから」

 けれど三月もこの三日でだいぶ慣れてきたのだと口調から察する。

 パラッパラッとめくっていく、彼女の顔つきは真剣で、なんだか可笑しく思わず微笑んでしまうのを抑えられない。

 けれどそんな俺の顔には三月は気づかない。

「いいよ、待ってるから」

 それから三十分。俺たちはまるでドリンクバーで時間を潰す迷惑な貧乏学生みたいだった。きっとバイトたちの間では愚痴られているに違いない。そんでもって『ドリンクバーだけで買えるか、帰らないか』という賭け事の肴にされているだろう。

「決まりました」

「おう、じゃぁ注文だな」

 電子ボタンを押して電光板に席の番号が表示され間の抜けた音が鳴る。

「ご注文おうかがいします」

 すぐに来た店員はやたら笑顔。きっと『ドリンクバー以外に頼む』に賭けたのだろう。

 注文を言い。俺達は静かに待っている。

 沈黙だ。喧騒がやたら耳に障る。

 俺達より後に来た女子の群れがちょうど退場するところだった。

 オーダーを通して二十分ほどして料理が運ばれてきた。今度は仏頂面のおばさま、彼女はきっと『ドリンクバーだけ頼んで帰る』に賭けた人だ。残念だったな。

 そう勝手に思い俺は時間を潰していた。

「おいしいか?」

「はい、修哉さんはハンバーグが好きなんですか?」

「ん? まぁ嫌いな人なんているのかって位好きだな」

「顔に出てましたから」

「今度から気をつけないと、また『キモい』とか言われかねない」

「そんなっ、とても良いと思います。ご飯をおいしく食べられるのは素敵だと思いますよ」

 女子というのは男子を楽しませる為にお世辞を言う。本当の心は莉緒みたいに罵詈雑言を言いたくて仕方が無いのだろう。ネガティブに取るのは俺の悪い癖だ。一種の自衛本能だとしたら俺の成分は限りなく『M』だ。


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