37話『莉緒の二年間』
修哉と別れた後、私はしばらくその席に留まっていた。正確には立てなかったのかもしれない。どんなに口をつけても空のカップは空のままで、こびりついた香りは苦くけれど甘さが隠れている。話すと私は決めていたのに。ただ、カップの中に涙が落ちた。
泣かないと決めていたのに。それでこの一年と半年以上いや、もう二年を過ごしてきたのに。さすがに耐えられなかった。修哉に、こんな姿見られたくない。私はお金を握りしめて会計を済ませ、すぐに家には戻らず、絶対に行きたいけれど行ってはいけないと禁忌のように思っていた場所に足先を向けた。
涙が出そうになるたび欠伸の素振をしてごまかす。
「やっぱり……ダメだ……これ以上は、いけない――」
きっと、修哉が家に来てもいいって言っても、私は行けなかった。全身を毒が蝕む様に私の足はそれ以上先には進まない。進めなかった。
まるで、三月に責められているように。そんなこと絶対にないのに。そんなことは最も付き合いの長い私が分かっているのに。攻める相手は三月でもなくて、修哉でもなくて、ミカンでもなくて、私自身でもなくて、ただ轢いた犯人が悪い。絶対的にそうなのに、けれど見方を変えればどうにでも状況は変わってしまう。
気が付けば私は門扉を開け、玉砂利が敷き詰められた玄関先に居た。
私はカードキーをかざしてカギを開ける。誰もいない、人の香りの薄い嫌いな家。
姉を除いて両親とも娘が好きだ。けれどそれとこれの状況はまた別の話。
娘が好き、だけれど仕事も好き。そういう親の元に生まれた娘はどうも反抗的な性格だった。いいや、違う、姉は私よりずっと優秀だった。同じ家庭で育ったはずなのに……。
「今日で……いや、もう二年経ってたよ、お前は本当なら二歳なのか?」
置き場所に困っているから早く、修哉に引き取ってもらいたい。
白い風呂敷に包まれた箱、随分と昔に撮った黒猫の写真、傷の多いケージ、エサ入れ、黒い毛が付いた座布団、毛玉だらけの布。それはかつて親友が可愛がり、初恋の相手が可愛がっていた猫の「ミカン」の物。この猫はあの日、三月と一緒に死んだ。同時に修哉という人間も死んだんだ。
私も、修哉みたいに都合よく物忘れを出来たならどれほど幸せだっただろう。
けれど今日、修哉が顔を出した時に、私はうれしかった。そんな自分が嫌だった。親友を裏切るようで。けれど今の修哉は、好きじゃない。
私だけがそんなことを気にして生きていなくちゃいけないなんて。
奥歯を強く噛んで堪える。
私が最低だ。




