36話『話したいことは話せない』
放課後。俺は薄く軽いカバンを机脇から持ち上げる。カバンの中身は教科書やノートや筆箱、ではなく、ティッシュケースとウェットティッシュとシャーペンだけ。
「じゃ、また明日」
「あ、明日も……ううん、なんでもない。ちゃんと遅刻しないで来るんだからね?」
「何当たり前のこと言ってんだよ。じゃぁな、莉緒もちゃんと寝て疲れとれよ?」
「うん」
と、まるで別れ際の様な会話を交わしたが駅までは同じだ。
しかも俺の住む駅からすぐ近くだ。
「ねえ、今日、なんか用事ある? ないならさちょっとだけ話さない?」
今日はバイト、だが幸い俺は店長となんだか仲がいい、ギリギリに来てもたぶん怒らないだろうし、それにあの店長は怒れない性格だ。
「じゃ、うちの最寄りの喫茶店でいいか?」
「え? 修哉の家じゃダメなの?」
「い、いや、さすがに、二人きりじゃ――」
二人じゃない。家には三月がいる。ダメじゃないか。変な誤解されたら面倒だし……。もし会ったとしてなんてごまかす、家出少女を住まわせています、なんて言えるわけが無い。
「ちょっと、汚れてて……その、散らかっててさ、とても人様に見せられるような状況じゃなくて」
「……そう、分かった。きょうバイトは?」
「あぁ、まぁ三十分くらいに着けばいい。そういえば最近莉緒見ないけど、バイト辞めたの?」
そう、ここ半月以上、彼女の名前を見ていない。店長も何も言わないし、差し詰め辞めてしまったというのが自然の考え。
「うん、やっぱり私には向いてなかったみたい、ごめんね」
そう苦笑しながら莉緒は言った。
それから俺たちは最寄りに降り、喫茶店へ。
「ここに来るのもなんだか久しぶりだな」
「そうね、最後に来たのっていつだったかな」
「去年あたりだっけ?」
「どうだろね」
莉緒はカフェオレを、俺はブレンドコーヒーホットを。
「で、話したい事、あったんじゃなかったのか?」
「んー、なんだろうなー、最近体調はどう?」
「ん? まぁ、別に悪くもないし、良くもないけど、体重がすこし増えたくらいだな。他には?」
「バイト、いつまでやるの?」
「別にやめようって考えたことないからなぁ、今のところ辞める予定はないな」
「……そう。大学、どうするの? 進路調査、まだ決まってなかったんじゃない?」
「そうだなぁ、俺の貯金だけで進学はつらいしなぁ、結局そう言うのは親と相談かな。でもうちの親は好きなようにしたらいいって言ってるし」
「そう、良かったね」
そう話しているうちに飲み物が届いた。
「莉緒は医学部目指してんだっけ」
「そう、猛勉強中」
「へー……莉緒、なんか変わった?」
「え? そう? どこら辺が?」
「あ、えっと、なんだかやっと女子になったというか、あ、そうだ、身長高くなったよな」
「やっとって、それどういう意味よ……失礼なんじゃない? まぁ、身長が高くなったのはうれしいし崇めてくれてもいいのよ?」
「もう少しちゃんと食べることだな。なんか莉緒にバカとか毎日言われてたのが懐かしいな」
「嫌なことだけは覚えてるのね」
壁に掛けられたレトロな鳩時計の針を見る。
午後四時二十五分――。
俺は財布から札を、雲間から射す夕陽の色になるテーブルに置いた。
「じゃ、俺はそろそろバイトだ。あんまり食べ過ぎるなよ?」
「言われなくても分かってるって……バカ」




