35話『福神漬けラッキョウのないカレー』
「それ、どう?」
「あぁ、まぁまぁうまい…………一口飲むか?」
壁に背を預ける俺と莉緒。さっきの授業中に飲み干した空のボトルを莉緒は捨て、新たな飲み物もまた同じもので、俺はそんな風に少し口付けたコンソメスープを横に渡す。
間接キスに火照るとか子どもかよ……。正直なところ、俺は、莉緒は受け取らないだろうそう思っていた。それもあり、俺は拍子抜けした。
けれど莉緒は特に顔を赤らめるでも無く普通に受け取り、小さな口が縁に触れる。
「うん、まぁまぁ」
「……」
気にしたら負けだ、一気に呷って『缶』と書かれたゴミ箱に捨てた。捨てた後にもう少しちゃんと味わえば良かったと後悔する。もったいないことをした……。
「喉乾かないそれ? 一口飲む?」
軽い口調で、挑戦的な上目遣い、悪企みを隠さない蠱惑的な唇には乾燥予防の色付きリップが鮮やかに塗られている。
だが差し出されたボトルは未開封だから丁重にお断り。
「別にいいよ」
「そう言うと思った」
分かっているというように、だが俺が彼女の飲み物を誘われて飲んだことは一度もない。
俺の横でカチッとキャップを開け、三分の一を飲んだ。
友達として俺は莉緒を見ている、けれど異性としても俺は見ている、けれどそれ以上の関係は本能が求めていない。
「なぁ、莉緒って、好きな人とかいるの?」
「……なに? 急に」
莉緒はしばらく少し俯き加減に目を逸らし、「もしかして」と小さく呟いて再び顔を持ち上げた。
「うんう、いない、でも――もちろん修哉は友達として、好き、ってことにしておいてあげる」
「それはありがたい。友達として。悪くもないな」
朗らかな笑顔を浮かべた彼女は前を向いて、軽い足取りで階段を降りて行った。
けれど莉緒は修哉から顔を逸らし、唇を強く噛んだ事を修哉は知らない。
教室に着くと始業一分前だった。
それから四限が終わり、お昼休み。大体の生徒教員が昼食を食べる時間。
俺と莉緒は弁当を持ってきていない、そういう生徒がこぞって行くのは別棟の食堂だ。
「私、そこまでお腹空いてないけど修哉が行くなら、私もついていくよ、暇だし」
「空いてないならわざわざ来なくてもいいよ、保護者じゃないんだし……」
何より驚きなのはあんなお菓子だけでお腹いっぱい。ということ。絶対に嘘だと俺は疑いの眼差しを向ける。
別棟の食堂に行くには二階まで下らなくてはいけない。別棟まで繋ぐ連絡通路は大きなガラス窓が特徴的、太陽の光を執拗に汲み取り冬場でも日によっては暑いほどだ。
「相変わらずすごい人」
「まったく同感。一年は最上級生である三年に場所を譲れよってもんだ」
「そこは感心しないね」
「一年の頃に言われた言葉だよ。もう忘れたのか?」
「で、結局恐れおののいて前をあけ渡したと」
「なんだ、覚えてんだ」
「当たり前じゃん」
そう思うと長い時間を過ごしているなと、しみじみ実感する。
十分ほどして食券を渡す。今日はカレーにした、サラダはポテトサラダを。莉緒はアサリ入りのパスタ、油っぽくて味が濃くてそんでもって席に着くころには伸びていてぬるい、そんなパスタが彼女は好きらしい。
全生徒が収容できるほど広く、場所には困らない。
ベゼルの薄いガラスの向こうに見える中庭。入学式だったか卒業式だったかに桜が咲く。
食堂は常に賑やかで、静まるのは授業が始まる二分くらい前。ここからどう頑張っても二分で教室の戻ることはできないので遅刻が確定することを知らない新一年生が二分前まで騒いでいる、だがもう入学してから七ヶ月ほど経っているので居ないと思う。
軽く手を合わせ、俺は福神漬けとらっきょが無いことに気が付いて少し落ち込む。
「なぁ莉緒、カレーに福神漬けとからっきょとかってつけるタイプ?」
「つけない、あとカツが乗ってないと嫌だ」
「知ってた」
因みにカツはプラス二〇〇円。因みに毎週、カレーを頼み、付け合わせを忘れるたびに聞いている、そんな面倒な俺の性格に付き合ってくれるのは莉緒くらいだ……莉緒しか友達いないけど。
そこから二人は食べ終わるまで沈黙を突き通す。
特に理由は無いのだが、下品とか、品がないとか、汚らしいとか、不快とか、そう本能的にお互い思っているのだろう。つくづく友達ができない人間だと、キャッキャと叫ぶ生徒の集団を見て思う。
今頃、三月は何をしているのだろう、家をもう出たのかとか、ひそかに思う。
「どうしたの難しい顔なんてしちゃって? ないものはもうないんだから諦めたら?」
そう言われ、もうカレーが無いことに気が付く。
「あと、ジャガイモはデカくないとな、なんか今年だっけ、夏休み俺の家でカレー作ってくれたよな」
「気のせいじゃない? 私野菜しか切れないし」
それから適当な会話を紡いで、五分前に教室に駆けた。
莉緒はいつから上目遣いで、俺を見るようになったのか。少し前まで見上げるようだったのに。莉緒はもしかしたら成長期かも知れない。そうまるで保護者の様な気持ちで思う。




