30話『激甘ココアは角砂糖何個分?』
「何か、温かいものでも飲む?」
俺はドライヤーを片付け、彼女の衣類を分けて洗濯機に入れスタート。
台所の前に来たついでに訊く。コーヒー、ココア、コンポタその三種類しかないが。
『えっと……コーヒーには確か、アラビカ種とロブスタ種と大きく分けた二種類があって、ロブスタ種はインスタントのコーヒーに使われる……それに苦い、だから私は、砂糖多め、少し温かい牛乳で作ったココアが飲みたい……』
確か何年か前にテレビで知った豆知識。意外とそういう豆知識はアウトプットしなければすぐに忘れてしまうのに、今更に思い出した。
「私は、苦いものが苦手なので、ココアを――」
「――了解、砂糖多めのココアね」
頭痛と明滅する視界。俺の身体は自分で思っているより疲れているのかもしれない。そろそろバイトの時間を八時までにしようか。
そう思いながらココアのジッパーを開け、スプーンで山盛りにしてコンロにかけた牛乳に落とし、砂糖を加えて混ぜる。ただでさえ甘いのに、もっと甘くする。
しばらくして甘い香りが部屋に満ちる。俺はこの香りが不思議と好きだった。
火を止めて、少し冷まし猫舌でも飲めるくらいになったココアをピンクとグリーンのマグカップに注ぐ。
甘さが満ちた部屋は暖房で少しずつ温められていく。俺は冷え性で足先手先が信じられないほどに冷たくなる。早いところ熱い風呂に入りたい、そうでないと風邪をひいてしまう。
足先を手で覆う彼女の前に置かれた丈の低い円卓にマグカップを置いた。
「……ありがとうございます」
と小さく言って、彼女の手は足先から離れ、小さな両手がピンクのマグカップを包んだ。
その暖かさを確かめる様に一息置いて、口を縁につけた。
彼女は特に表情を変えることなく半分ほど飲む。
でたらめに甘いココアは喉を焼くようだ。女子はどうしてこうも甘いものが好きなのか、とはいうもの俺は並みの女子くらいには甘いものが好きだが……これはそういう次元ではない。
「おいしいか?」
「はい、なんだか、懐かしい感じがします……」
ほっとしたように甘い息を吐いてから、彼女はそう言った。
それはよかった、と俺は小さくうなずいて半分以上残ったココアを一気に呷った。灼ける甘さがしばらく残る。
それから少し時間が過ぎて。深夜帯のテレビをごくわずかな音量で聞いていた。
俺も彼女も別に面白い、そう思ってみているわけではない。ただ、寝るまでの子守歌の様なもの。
その子守唄より、少しだけ明瞭な音が俺を呼んだ。
「あの……いいんですか……私が、ここにいて」
彼女の甘い香りを含んだ声はすこしよそよそしくて芯の抜けたような感じ。俺の耳元で言われた言葉はなんだか不思議に思えた。
「……好きに居たらいいよ、自分の家だと思ってさ」
「……もう少しだけ、ここにいてもいいですか……」4
彼女はしばらくここにいると決めたらしい。それからしばらくの沈黙があって三月が言う。
「――私の名前は、豊橋三月――」
俺はすでに空になったマグカップに再び口を付けた。
「そうか、よろしくな、三月――」
その瞬間、喉をすさまじい速さと力で胃の内容物が押し上げた。
自然に口にした言葉がまるで毒であり呪いであるかのようにこの体を蝕んだ。八つ裂きにするような衝撃に俺は思わず意識を失いそうになった。
「大丈夫ですか?」
三月、彼女はすかさず俺の背中に手を添えた。細く、しなやかで、温かくて、柔らかくて小さい女の手を、俺の背はしっかりと感じた。ささくれ立った心は静まっていくのをはっきりと感じた。
それから一杯、水を呷った。




