21話『教室まで競争』
恋人になってから早三ヶ月が経とうとしていた。
莉緒には少し前に俺がバイトを始めた理由を話したら超応援してくれていた気がする。
実は莉緒にあの後いろいろと婚約指輪どれがいいかとか相談してみた。相当嫌な顔をされたが答えはくれた。大きなダイアが嵌められた口に出すのも恐れ多いうん百万の指輪。さすがにどれだけバイトを頑張っても俺には買えそうにない。ちっこいダイアくらいなら……。
「それに、お前の餌代も高いしなー、お、少し太ったんじゃないか――ッ!」
冬に備えてか少し丸くなったスタイルは柔らかく、抱き心地よさそうだ。そして俺は再び指を引っ掻かれる。腕には痛々しい蚯蚓腫れが走っている。
そんな日からさらに過ぎて十一月。
珍しく俺は夢を見た、宝石のように青い蝶が舞う草原の夢。幻想的だったが生憎虫は苦手だ。
朝、俺は驚異的な絶望的な寒さと不快な熱っぽさに蝕まれながら眼を覚ました。きっと今の夢は俺の身体の異常が見せた天国だったのかもしれない。死後の世界があれなら悪くないかもしれないが、正直刀より殺虫剤を持たせてほしいものだ。
「ヤバい、コレ死ぬぞ……」
俺は冷え性だ。その足先指先は死人のように冷たく、唇はどこかの国民的アニメの卑怯者みたいに紫に。けれど絶望的に頭が熱い。
水道レバーを赤い印の方に思いっきり振り、ときどき人差し指で水温を確かめる。冬場の水道は気が狂いそうなほど冷たく、温まるまで一分ちょっと必要としている。
「ヤヤヤヤヤヤバイ凍え死ぬ」
ガタガタと四肢を暴れさせ、俺は寒さと熱に苛まれて滑稽になっていた。きっと莉緒が見たら笑い転げながら動画を撮るはずだ。
それから二分ほどでお湯が出てくる。湯気が鏡を曇らせる。指先から生き返る様な解放感、身体の筋肉が弛緩していく。すると用を足したくなるのも必然。
「ミカン、大丈夫かー?」
ニャーと返事。とりあえず大丈夫そうか。だがやむを得ない、命には代えられん。俺は暖房をつける。
もう氷水みたいになった湯たんぽを台所に放置して、俺は三月と学校へ向かう。
当たり前だが三月は冬仕様。透けない黒いタイツ、ベージュの学生コート、同系色のマフラー。あ、冬の女の子だ。という感想。
俺はシャツに黒のカーディガン、灰色のブレザー、冬用のスラックス。見た目的には寒々しいが、見たまま寒い。
「修哉くん、なんか顔赤くない? 熱?」
「いいや、これはアレだ、熱湯を浴びてきたから火傷かもな」
「え! 火傷? 大丈夫なの?」
「あぁ、気にするな」
それからとりあえず三月は疑いながらも理解。
「一段と冷えるねー、そろそろ暖房必要じゃない?」
「そう思って朝つけてきた。ミカンもいるしな」
「そういえば、家、炬燵あるんだけど……ミカン、冬の間だけでも私の部屋で面倒見ようか?」
「いいや、辞めた方がいいと思うよ、あいつ意外と好奇心旺盛だし、棚の上のモノなんて
何でも落としていくよ?」
そういえば最初、大家にバレてもいいか、ってことで俺が勝手に連れ帰ったんだっけ。
正直ミカンが家から居なくなっても別に困りはしないし、むしろミカンにとっても暇がなくていいのでは?
「まぁ、大家にバレたらその時だな。俺は今日もバイトだから、先家に帰ってお引越ししてもいいから」
「なんだかちょっと悪い? それに逃げたりしないかな」
「別に元々ミカンを見つけたのは三月だろ? それに毎日面倒見てくれてるのに逃げることは無いだろうし仮に逃げたとしても帰巣本能とかで戻ってくるでしょ。三月にかわいがられるならミカンも不満は無いだろう」
実際俺は時々猫用のささ身とか食わせて媚び売ってるだけ。まるで祭りの金魚みたいだ。最終的には母が面倒を見る、というアレ。そもそも逃げるも何も、ミカンは外に捨てられていた。
学校に着くと皆白い息を絶えず漏らしている。俺もその一人。汽車みたい、とか馬鹿なことを思いながらやっているのは俺だけだろうか。いいや、ちょうどすれ違った小学生の男の子もしていた。
教室に着くまでの道のりは険しく、外と変わらないくらいに寒い。大切に踵をつぶすことなく使っている上履きで階段を駆け上る。
競争だと、小学生みたいに三階まで駆け上がる。通りすがる先生に軽く挨拶。怒られないのがまたこの学校だ。
きっと他校の生徒が原付で乗り込んでも相手にしないのだろう。
「今日は私の勝ち! じゃぁ後で飲み物おごりね」
そう言って勝ち誇らんと笑う。
それから時間ギリギリに登校した莉緒と合流。




