16話『彼女と僕の夏休み』
「――三月……あの!」
俺は花火の轟音の中、名前を呼んだ。少し遅れて三月の目が俺を捉えた。薄い茶色の瞳の表面に花火の色が宿る。
「どうしたの? 急に」
いや、花火の途中に言うのは迷惑だろうか……迷惑極まりないだろう……。そう考えていると三月は首を傾げる。これ以上邪魔はさすがにできない。俺は空に顔を向けた。
「あ、後ででいい……」
自分の行為の恥ずかしさで真っ赤な花火に顔を染める。
全く花火どころではない心境に……まぁ、来年もあるし、来年行けばいい……今度は莉緒も一緒に……。
それから約一時間。幕引きに相応しい黄金の輝きがシリアスな曲調と共に終わった。
「はぁー、良かったね、やっぱり生で見ると違うよね、私感動しちゃった」
「あ、うん。そうだね……」
「私、やっぱりあの雪みたいに降るのが好き――」
「――好き? あ、いや、なんでも……無くもない」
「え?」
俺の頭の中は花火のように混雑していた。ずっと眺めていたせいで瞼を閉じても色とりどりの花火が残像と残る。だから、俺はにこにこと感極まっている三月に言ってしまう。
「俺、三月の事、好きだ。こんなところでごめんなさい!」
言えたしまったけど、最悪だ、謝っちゃったよ。
もう俺の頭なんて花火みたいに散ってしまえばいいのに。それで酒に酔いつぶれたサラリーマンに「きたねぇ花火だ」とか言われるんだ。お似合いじゃないか。
「はい……じゃぁ、付き合おっか」
きっと幻滅されるんだ。そう思っていた俺の思考に、その言葉は遅れて意味を理解させた。
三月はすこし歩み寄って、俺の下がる両手を優しく包んで、胸の高さに持ち上げて言う。
「よろしく、修哉くん」
その言葉でようやく、俺の視線は手から、三月の今までにないほど幸せの溢れる笑みに向いた。きっとこれを見るために生まれたんだ。鼻の奥が何か変だ。
「ありがとうございます……三月、さん」
もういろいろと残念過ぎたせいで感動やら後悔やら変な感情が綯い交ぜになり泣いてしまう。
同時に鼻血も出た。もはや隠すものなどないほどにさらけ出した惨状に三月も俺もなす術は無かった。
それからしばらく、いまだ帰宅の足が落ち着くことは無く。俺は酔い潰れて置いていかれたサラリーマンを眺めながら三月の隣に座っていた。
出会ってから四ヶ月ほどと、意外と短いが毎日は記憶に残るほど濃く、毎日が青春で、結ばれるには十分位で、時期も夏休みと丁度よくて……まだまだ二年と半年残る高校生活において最高のスタートを切ったと言えた。
三月は安寧を得た子供の様な純粋な表情で、花の咲いていない何もないはずの空を意味ありげに眺めていた。
都会の光が星を遮り、中途半端な黒が浮き上がる空。そんな向こうに幾億の星がある。そんな本来考えるはずもない星の事とか考えてしまうのが今の俺の精神状況。
けれど俺が空を見ると瞳に焼き付いた花火の残像が再生される。それもまた綺麗なものだと俺は思った。
恋人に昇格した俺たちはかれこれ一時間一言も交わしていなかった。けれど不思議と不快ではない。というかまだ一分くらいしか経っていないとさえ思っていた。
恋は時間の感覚すら狂わすのか、恐ろしいな……。
そんな独り言を頭の中で言うならせめて声に出せと、自分に命令。けれどフリーズ再起動を繰り返すだけ。
距離は近くなったのになんだか果てしなく離れたようにも思えたがそんなのはすぐに打ち解けるもの。アップデートだって時間はかかる……。
「そろそろ、帰る? 空いてきたみたいだし」
「あ、あぁ……お腹、空かないか?」
「あ、うん……ちょっとだけ」
「そ、そう……」
別にご飯を食べる様な手持ちは無く。なぜ聞いたのか自分でも不思議でならない。そんな適当ででたらめな事を言ってしまうのはアップデートに失敗でもしたからかもしれない。データが壊れて記憶が消えたら悲惨だと、俺は自分でもチンプンカンプンな事を思いながらすき始めた駅への道を歩いた。
帰り道で三月は小さく、俺にだけ聞こえるような声で言う。
「ね、ねぇ……手、繋いでもいい?」
「…………もちろん」
俺の視点はまっすぐ、それ以外何も見ていない。足元に一万円が落ちていても気が付かないと思う。
俺は静かに五指を広げて構える。するとそうなるのが当たり前という様に指の間に指が絡められる。
「恋人繋ぎ、っていうんだっけ」
えへへっと隣から声が聞こえる。もう耳が遠くなる。指の間にしっかり感じるすべて。
心が掴まれて、喉が縊られる、そんな呼吸が苦しい感覚。鼻息が荒くなるのはほとんど必然的な現象。一日や二日で治せる現象ではない。俺はさっきから余計なことを考えてこの感情を少しずつ和らげようと試みている。けれど全身に滾る沸騰した血は強まるばかりで、目立たない様に鼻の奥に突っ込んだティッシュのキャパは今にも超えそうだ。
妙に弛緩した思考と、ガッチガチに緊張する肉体。
気が付けば電車に揺られていた。俺はそれどころではない。恋人繋ぎ、これは意外と簡単に解けるものではなく、どちらか片方が緩めても、俺が力を入れていればずっと繋がれる。だから電車の中でも俺たちは恥ずかしげもなく繋いでいた。
なんか声が聞こえるがそれも今のオレには届かない。
いい年こいて手をぎゅっと繋いで公共の施設を利用すると大抵馬鹿にされるがどうでもいい、そんなのはただの妬みでしかない、ざまぁみろ、とか、思いはしないがそう思ってもおかしくないほどに幸せだった。あぁ、離したくない。
「あの……修哉くん?」
「――はい」
「もう、着いたんだけど……」
「あ、あ……ッ!」
アパート玄関でようやく俺は自我を取り戻し、手が汗でびちょびちょになっていることに気が付いた、一体どちらの手汗なのでしょう。半端じゃないくらいに申し訳なく、その手を俺の手で洗いましょうか――。
「ま、また明日……おやすみ、なさい」
「はい……おやすみ」
全く呂律は回らないし、継ぐ言葉も見当たらない。きっと今の俺の知能指数は恋を覚えた五歳児より低いと思ったそんな恋の実った夜。俺の右手は大活躍まったなし。




