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彼女と黒猫  作者: M.H
彼女と黒猫 (上)
15/54

15話『花火大会は夏休みの締め』

 で、アイスの日から数えて明後日。

 今日はどうやら花火大会らしい……俺が誘ったわけだが。そわそわと部屋で正座をしている今日この頃。六時ごろに家を出ようと話、後一時間ほど。俺はこうそわそわむずむずしながらミカンを撫でている。ミカンは俺の感情を知ってか膝から逃げた。

「お前はお留守番だからな? しっかりしてくれよー? 番犬ならぬ番猫。弱そうだな」

 因みに俺は浴衣とかそういうものを着ていない、どうかと思うが仕方ない。無いのだから。呉服屋の友達、なんているわけも無く私服だ。

 花火大会、夏の風物詩にして夏休みの締めに相応しい催し物。俺の記憶が正しければ最後に行ったのは小学生のいつだったか……。それから親と行くのも恥ずかしい思春期が訪れ、ずっとデカい花火は見ていない。そもそもなぜ親というという思考になるのか、それは当然友達がいないからに他ならない。見たことは無いがきっと同世代は早くも彼女とか作って『綺麗だね』って彼女が言って、彼氏が『【彼女の方】が綺麗だよ』とか言うんでしょうね。自分で再現して全身が粟立つ。

 しばらくしてドアがノックされた。インターホンではなく、ノック。

「……はい」

 恐るおそる俺は顔を覗かせる。卒倒しそうだった。

「お待たせ修哉くん……」

 口の端がプルプルと恥ずかしいがゆえに震えながらも笑顔を作る。長い髪は簪に上げられうなじを見せ、頬と耳が少し赤くきっと化粧の効果だ、やはり少し大人っぽい紺色生地にアサガオの刺繍が施されている。目を離したすきに夜の闇に溶けてしまいそうな妖艶さ。

 思わず唾を呑む。

「な、何か言ってくれないと……恥ずかしいよ……」

「あ、うん……その、とても似合ってる……ありがとう」

「あ、ありがとう? ま、まぁうん、良かった」

 超幸せだ、鼻の奥が何か熱く、滾るような気配。

「あ! 鼻血! たいへんティッシュ取ってくる! タオルの方がいいかな! ま、待ってて」

 俺は鼻をつまんで少し上を向くと血が溢れる不快感に虚しくなる。

 部屋の奥からは莉緒の声も聞こえた。

 それからほどなくして、莉緒は俺の顔目掛けタオルとトイレットペーパーを投げてきた。

「今日はティッシュを鼻に突っ込んでおくんだね、かっこ悪」

「そりゃカッコ悪いな……で、何でいんの?」

「あ、それはね、この浴衣持ってきてくれたの莉緒だから、あと着付けも莉緒」

「莉緒って意外とそつなくこなせるよな、素直にすごいと思うわ」

「ほめんな――そんなことより早くいってきなさいよ」

 莉緒は結局付いてこず、見送られた。

 それから尋常じゃないほど込み合うホームに何とか顔を出し、三台目の車両に乗り込んだがスゴイ人間の臭いと熱が体をむしばんでいく。

 あと三月との距離が異様に近い、というかくっついてる、というか良い香り――。少しの揺れが命取りになる。

「だ、大丈夫か?」

「うん、何とか」

 全然大丈夫ではない。お互いの体温が布越しに伝わるこの距離感、揺れの衝撃で体勢が変わった、三月の二つの手は這うように俺の薄い胸に添えられている。きっとその小さく暖かく柔らかい手には俺の鼓動が鮮明に響いていることだろう。ようやく止まった鼻血は再び噴火しそうだ。ついでに言うと確かな柔らかさを布越しに感じている、けれどその存在に気が付いたら最後だと理性が警告する。

 それから圧迫極める人間の濁流に俺たちは車外へ放りだされた。

 その濁流は留まる事無く改札まで続いていた。

 この場合俺たちの手は必然的につながれていた。もはや恥ずかしがって繋がないと、選択すれば永劫の別れになると判断した結果。死に物狂いでお互いの手を引いていた。そこに下心は無いが、やはり女の子の手は守りたくなる小ささとミカンの肉球に負けない柔らかさと温かさだったことはきっと永遠に忘れない。

「ふぅ、何とかたどり着けたね」

 額に薄らと浮かんだ汗をハンカチに吸わせる。街道の祭りの喧騒は得も言われぬ高揚感を与える。ただそんな出店に気を取られる余裕は無く、とりあえず俺たちは見える場所を確保する。

 警備員や警察官に誘導され移動する。背の低い子どもなど一体この場に何を見に来たのか疑問に思うだろう。そういう人の多さだ。

 ともあれもう何時間も前に、下手したら夜中から居ると思われる大学生くらいの郡は酒の缶に溺れていて、というか年齢層が上がるにつれてそんな感じ。祭りごとだからと大目に見たとしても、あのようにはなりたくないものだと俺は思う。

 しばらくして都合よく公園。

 ど真ん中にあるまるで嫌がらせの様な樹が無ければ欠けることなく花火は見えただろう。

 なぜだろう、悪いモノほどよく目立つという負の現象で、酔っぱらった三十後半の男性が『こんな樹! 早く切ってしまえ!』と笑いながら蹴っている姿はとても良い子に見せられるものではなかった。これほど治安がアレだと女子二人を守るには手に余る。

「修哉くんは花火大会とかよく見てた?」

「いいや、ここ十年くらいは見てないんじゃないかな。三月は?」

「私は去年、莉緒と二人で来たよ、でも人がすごくって莉緒がぐずっちゃったから」

「あー、まぁぐずりたくなる気持ちは分からなくないな」

 と先ほど人ごみに圧倒されていた子供を思い出す。

 賑やかな人の喧騒、こういう特別な雰囲気の中だと普段言えないことも言える様な、そんな気がしなくもない。一種の脳内麻薬による効果。勢いで告白したり、OKされる確率が高かったり。

 それから遠く輪郭の曖昧な放送が花火大会の開幕を知らせ、同時に天に上がった花火が燦然と開幕に相応しくあたりを照らした。

 体の芯で爆ぜる花火は音も彩も派手でとても綺麗だった。

 やはり手持ちの花火と打ち上げ花火は全くの別物だ。

 俺ももう少し勇気があれば……この機を逃せばきっと言えずに終わってしまうし、雰囲気に乗じて言えてしまえば記憶にも深く残るだろうし……。言ってしまおう!


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