1話『俺と黒猫と少女』
どんなものでもいつかは壊れてしまう、意外と呆気なく、十本束ねても、百本束ねても折れてしまう線香のように。砕けて元通りにならないパズルみたいに、焼ければ跡形もなく灰になる。そんなことを言われても卑屈に反論したくなる。そんな自分が居た。
ようやく吹く風が心地よく感じられるようになった、その日の夕暮れ時、俺は一匹の黒い猫を見つけた。
ミカン箱の中の黒く、魔女の使い魔を連想する琥珀の瞳の黒い仔猫。
出会いはそれだけに留まらなかった、そして、彼女と出逢った。
「あ、その仔……」
「あぁ、えっと、もしかして飼い主?」
彼女は何か声を発するように口を鯉にしてたじろぐ。華奢で白い腕が胸の前に、白く楊枝のように細いその指はまるで何かを祈る様に組まれた。
そして覚悟を決めたように彼女は小さ頷いて指をほどいた。
「あの、いえ、その、うちペット禁止なので――せめて、餌くらいは……と」
そう言ってパーカーのポケットから仔猫用の餌を取り出して見せる。関心はしないがそれは彼女なりの優しさでもあったのだろう。そんな彼女のどこか気張った雰囲気にミカン箱が鳴いた。
「君はこのあたりに住んでんの?」
「――はい、あ、あそこのアパートです……」
彼女は先生に指を指されたように答え細くしなやかな指が宙を指す。その少し伸びた爪の先に俺は向く。
俺は確認するように指を指す。
「あそこ?」
「――あ、はい! 私は二階の左から二つ目の……」
個人情報も何もない、訊けばきっとなんでも答えてくれそう。そんな気がしたが、そんなことはどうでもいい問題外。そのアパートは、二階の角部屋は――そう、彼女は隣人だった。
「おれ、お隣さん、なんだけど」
「そ、そうなんですかっ? あ……」
そのあと、十分以上の沈黙が訪れ、いつの間にか頭上のLEDの街灯が白く照らす。茜の空はもう濃紺に占められた。
結局、仔猫用の餌を街灯の下でやり、彼女はえへへと撫でていた。
朝、街灯の下にこの箱も、この猫もいなかったことから推測して、きっと俺が出た後に置かれたのだろう……と考えるまでもない事を考えていたそういう年頃。
その身体からは仄かにシャンプーの香りが立っていた。
「さて、こいつも食い終わったみたいだし、それに夜は寒い」
俺はびっくりさせないように裏声を掛けながらミカン箱の蓋を閉じて持ち上げた。
そんな俺によそよそしく彼女が言う。
「でも、その。あそこ、ペット禁止じゃないですか? 怒られたり、しませんか……」
「まぁそんなのはどうにでもなるだろ、それより目が合ったんだから見捨てられないでしょ」
それは本心から出た言葉。けれどなんか良いところを見せたくなったのだろうと思う。
俺は特別仔猫の命を助けたいという訳でもないし、好きという訳でもない。昔、少しの間世話をしていた猫に引っ掻かれた傷が未だに頬に薄く残っている。ただ、それでも目が合った手前見捨てるのはやはり気分が悪い。
そんな俺にまだ何か言いたげな少女はまたもお腹の前に手を組んで、目を合わせてから言う。
「あのっ、ときどきですが、私も世話を手伝ってもいいですか?」
「お、おうもちろん、そうしてくれると、正直助かるよ」
「あの、私の名前……三月って言います」
「俺は修哉、よろしく」
グググイッと距離を詰める彼女は近くて、妙に鼓動が早くなるし、息が吸えない、苦しい、鼻から空気を取り込むとなんだか得も言われぬいい香りが……そう、何を隠そう俺はこの十五年間プライベートで異性と関わった事実は無いのだ。きっとこれは思春期男子特有のアレだ。
努めて平静を保った、顔全体が火照っているのがやはり恥ずかしい。
ギギギと厭な音を立てる錆びた階段。絶対に今年中に折れる、そう思いながら俺と彼女、三月は各々の家へ帰った。
「ふぅぅー……まじ緊張した、無理言ってここまで来たんだ……しっかりしないと、楽しまないとな」
俺はミカン箱を胸に抱いたまま、穴の開いた風船のように玄関に座った。
高校生を目前に控えた修哉の頭の中で、この黒猫はまるで恋のキューピットだった。
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