2話【錬金術師の恋人】
アルムがラッセルハイム伯爵の屋敷に到着すると、門の前には槍を持った中年の兵士が立っていた。
アルムは慣れた様子で兵士に声をかける。
「こんちは、ロバートさん。」
「おぉ、アルムじゃないか。」
ロバートと呼ばれた兵士はアルムの姿を見るや否や、手に持っていた槍を壁に立て掛けた。
「屋敷に用があるんだろ?」
「うん。開けてもらえる?」
それを聞いた兵士は手早く門を開ける。そのままアルムに向き直ると、少しニヤついた笑みを浮かべてながら小声で言った。
「ま、お前さんの場合は屋敷じゃなくお嬢様に用があるんだろうがな。」
「余計な事言わなくていいっての。」
冷やかされながらも、否定自体はしない。
自分がこの屋敷に通う目的など、この中年の兵士はおろか屋敷の人間、果てには街の皆にも知られていることなのだ。今更恥ずかしがる必要もない。いつものようにアルムは屋敷の中へ入っていった。
屋敷のエントランスでは、いかにも高級そうな服を着た紳士がメイドと話をしていた。この屋敷の主であり、同時にこのオニークスの領主でもあるラッセルハイム伯爵だ。
伯爵はメイドに何か指示をしているようだった。鶏肉だのワインだのという言葉が聞こえてくるので、おそらく夕食の話でもしているのだろう。
少し待っていると、やがて話が終わったのかメイドは伯爵に軽く頭を下げると、扉の奥に消えていった。手が空いたようなので、アルムは伯爵に挨拶する。
「こんにちは、ラッセルハイム伯爵。」
「おや、アルム君か。御機嫌よう。」
伯爵はにこやかに笑う。口元には相変わらず立派な髭がたくわえられていた。
正に貴族の中の貴族といったイメージの人物で、この人以上に紅茶と髭が似合う人物をアルムは知らない。
「“今日も”娘に会いに来てくれたのかな?」
笑いながら伯爵が尋ねる。皮肉などではない、単に茶化しているだけだ。ご丁寧にわざわざ“今日も”と付けたりするのがこの人の意地悪な所だとアルムは思った。
紳士的かつ社交的な人物ではあるが、同時に少々茶目っ気があるのもまたこの人物が街の人々からも親しまれている理由の1つであった。
伯爵の手のひらの上で遊ばれているようで少し面白くなかったが、尋ねられた以上はきちんと答えるのが礼儀というものだろう。
「はい、シルヴィアの体調はどうですか?」
「外出することができないのはいつも通りだが、今日は良い方だろうね。」
それを聞いたアルムは少し安心した。伯爵は言葉を続ける。
「とにかく会ってあげなさい。シルヴィアも喜ぶだろう。」
「はい、わかりました。」
アルムは頷くと、階段を上がっていった。
「相変わらず広いな。」
階段を上がって2階に出ると、数十メートル続く廊下が目の前に広がった。見慣れた筈の光景ではあったが、思わず口に出てしまった。
アルムはその長い廊下を歩いていく。どれも似たようなドアが並んでいるが、突き当たりのドアだけは金色の装飾がしてあり非常に豪華だ。その豪華なドアをアルムはノックする。
「はい、どうぞ。」
部屋の中から返事が聞こえたのを確認すると、アルムはそのままドアを開ける。部屋の中では、大きなベッドの上で銀色の髪の少女が身体を起こそうとしてるところだった。
「よう、シルヴィア。」
「アルム!来てくれたのね!」
ベッドの上にいる少女、シルヴィアの表情がぱあっと明るくなる。アルムはドアを閉めると、ベッドの側まで近寄った。
「昨日はどうして来てくれなかったの?」
シルヴィアは口を開くや否や、先程までとびきりの笑顔だっのが急に不機嫌そうな顔になった。それをなだめるような口調でアルムは答える。
「昨日は大事な用事があって遠出してたんだよ。街に帰ってきたのは夜の9時過ぎだったし、もうシルヴィアも寝てるかなと思ってさ。」
「人を小さな子供みたいに言わないでよ!」
シルヴィアが膨れる。こういう反応をする時は大抵図星だった時だ。しかしそれを指摘すると更に機嫌を損ねるに違いないので、アルムは話を逸らす。
「体調はどうだ?」
「良かったけど、ついさっきアルムに意地悪されたせいで悪化したわ。」
「あぁ、そうですか…。」
つくづく面倒くさいお嬢様だとアルムは思う。それでも彼女を嫌いにならないのは、彼女がどれだけ自分のことを想ってくれているかを良く知っているからだった。
オニークス領主の一人娘であるシルヴィアは生まれつき身体が弱く、小さな頃から病を患っていた。国中から何人も高名な医師を呼んで診てもらったそうだが、それでも病が完治することはなかった。
幼少時より1日の半分以上の時間をベッドの上で過ごしていたが、数年前のとある日にオニークスにやって来たアルムと偶然出会った。
その後もアルムはちょくちょく屋敷に足を運ぶようになり、いつしか2人が恋仲になる頃にはそれがほぼ毎日のようになっていた。
しばらく2人で談笑していたが、ふと思い出したようにアルムが言う。
「そういえば昨日さ、行商人から面白い物を手に入れたんだ!」
そう言ってアルムがポケットから取り出したのは、片手のみの古びた茶色いグローブだった。手の甲の部分には何か宝石のようなものがはめ込まれている。
アルムは得意げだったが、シルヴィアは疑わしいような目で見ていた。
「なあに?その汚い手袋。」
「まぁ見てなって。」
そう言ってアルムはグローブを左手にはめた。すると、何か機械の起動音がしたかと思うとグローブから数センチ上の宙空に半透明のパネルのようなものが浮かび上がった。
シルヴィアもこれには驚き、色々と聞いてみたいことがあったがそれよりも先にアルムが口を開いた。
「見てればわかるよ。」
今度は浮かび上がったパネルに右の人差し指で何かを書き始めた。どうやら文章ではなく錬金術に関する式のようだったが、専門知識のないシルヴィアには何を書いているのかさっぱりわからなかった。
「よし、できた。」
アルムが式を書き終えると、先程まで浮かび上がっていたパネルは跡形もなく消えてしまった。その代わりに今度はグローブの甲にはめ込まれた宝石が光り始めた。黙って見ていたシルヴィアも、思わず「わっ」と声をあげた。
「あとはこいつを…」
アルムは空いた右手でポケットからスプーンを取り出した。ただ、形からかろうじてスプーンとわかるだけでその表面は錆だらけでボロボロである。
その錆だらけのスプーンにグローブをしたままの左手で触れる。すると触れた部分からはたちまち錆が取れ、新品のような光沢を取り戻していた。
「すごい!一体どうやったの!?」
シルヴィアは目を輝かせた。
「錬金術でスプーンと錆を別々に分離させたんだよ。」
そう言ってアルムは残りの錆の部分にも触れていく。数秒もしないうちに錆だらけであったスプーンは元の姿を取り戻していた。
「でもアルム、前にやってみせてくれた時は確か黒い粉をかけてバーナーで加熱してたわよね?今のは触っただけじゃない。」
「その秘密がこれだよ。」
アルムはそう答えると、手袋を外してシルヴィアに見せる。
「こいつは【アルケミーグローブ】っていって、バーナーや電池のような道具が無くても錬金術が使えるようになるシロモノなんだ。」
シルヴィアはグローブを様々な角度から見てみるが、宝石のようなものがはめ込まれている以外に目立ったものはなく、中に大掛かりな機械が入っているわけでもない。
「これ、私にも使える?」
「んー、もっと錬金術の勉強しないとシルヴィアには無理かな。」
それを聞いたシルヴィアは頰を膨らませ、そっぽを向く。
「何よそれ。どうせ私はアルムみたいに頭良くないですよー。」
「シルヴィアには使えなくたっていいんだよ、錬金術は俺の仕事なんだから。」
ふて腐れるシルヴィアの髪を撫でながら、アルムはそう言った。
1時間程2人で話し込んだ後、時計を見たアルムはそろそろ切り上げることにした。
「今日はそろそろ帰るよ。」
「そう?仕方ないわね。」
本当はもっとシルヴィアと一緒にいたいがあまり彼女に無理をさせるわけにもいかず、自分も帰って済ませなければならない仕事が残っていた。
アルムはシルヴィアの額に軽くキスをして立ち上がると、ドアの方へ向かう。ドアを開けて部屋を出ようとすると、不意に後ろからシルヴィアに呼び止められる。
「ねぇアルム!明後日は何の日か覚えてる?」
「あぁ、明後日。」
勿論覚えてはいた。が、アルムが答えるよりも先にシルヴィアの言葉が続く。
「アルムの人生の中で一番大切な日よ。」
「何でシルヴィアの誕生日が俺の人生で一番大切な日なんだよ。」
思わず突っ込みを入れる。確かに恋人の誕生日は大切ではあるが、勝手に人生で一番大切な日に認定されるのもいかがなものだろうか。
「違うっていうの?」
「滅相もございません、お嬢様。」
これから帰るのにまた機嫌を損ねるのも何なので、ここは素直な対応をしておくことにした。
「楽しみにしてるわね!」
「ハードル上げないでくれよ。」
苦笑しながらアルムは部屋を出る。
そう、明後日の為に今日は帰ってやるべき事があるのだ。




