33話【はじめての飛行船】
「皆様、大変お待たせ致しました。たった今飛行船の準備が整いましたので、順番にお乗りいただきますようお願い申し上げます。」
飛行船ターミナルの受付が、周囲で飛行船の準備を待っていた人々に大きな声で伝えた。無論、その中にはアルム一行も含まれている。その案内を聞いた人々は、口々に感想を漏らした。
「やっと終わったのか!」
「一時はどうなることかと思ったよ。」
「これで王都に帰れるわ!」
結局のところまだ飛行船の二番機が行方不明のままという問題は残っているが、ここにいるほとんどの人はその事実すら知らない上、仮に知ったとしても所詮は他人事割り切ってしまうことだろう。各自荷物を持ちながら、飛行船の乗り場へと向かっている。
「さて、それじゃあ俺たちも行こうか。」
アルムも他の利用客に続き荷物を持って乗り場へと向かおうとしたが、そんな彼にミラはやや慌てたような様子で声をかけた。
「ちょっと!出発する前に積荷は調べなくていいの?もう飛行船出ちゃうじゃない!」
あれだけ“手はある”などと言っていたのに、このままでは積荷を調べる前に飛行船が出発してしまう。とはいえ、そんな事はアルムにだってわかっていた。彼の本当の狙いは、飛行船が出発した後にあったのだ。
「出発する“前”に調べるんじゃなくて、出発した“後”に調べるんだよ。」
「どういうこと?」
それでもまだミラは納得できていない様子だったが、飛行船はもう間も無く出発する。詳しく説明している暇もないので、とにかくアルムはミラとイオンを急かして飛行船に乗ることを優先した。
「とにかく!いいから行くぞ!」
「あ、ちょっと待ってよ!」
急いで飛行船へと向かうアルムに、ミラとイオンの2人はただついて行くしかなかった。
飛行船のデッキでは、船員が忙しなく動いている。内部には大規模な燃料を積んだ機械などは特に見られなかったので、やはり前にミラが言っていたようにアトランドの飛行船は燃料ではなく魔法の力で飛ばすらしい。アルムが興味津々といった様子で内部構造を見回していると、離陸の準備が出来たのか船員が大声で叫んだ。
「それでは皆様、お待たせしました!これより出発致します!離陸および上昇の際に多少揺れますので、くれぐれも転落しないようにお気をつけ下さい!」
船員がそう宣言すると、言葉の通り船体が揺れ始めた。それと同時に船体が少しずつ浮き始め、1分も経つ頃には地表から既に数十メートルも離れていた。
「マスター、飛んでます。大きな船体が飛んでます。」
無表情ではあるものの、イオンがやや興奮しているのはアルムにもわかった。とはいえ、冷静さを保っているもののそれは自分だって同じだ。何しろ彼女と同じで、自分も飛行船に乗るのは初めてなのだ。
「まだ飛んでるうちには入らないだろ。これから更に雲の近くまで上昇するんだからな。」
「そうなのですか、楽しみです。」
楽しそうに会話をする2人の横で、ミラはその様子を少し呆れたように見ている。
「あんたたち、デート気分なのはいいけど本来の目的も忘れてないでしょうね?」
ミラとしては単なる指摘に過ぎなかったのだが、変なところに疑問を持ったのかイオンは首を傾げている。
「デート?デートとは本来、男女2人だけでするものなのではないでしょうか?この場合はミラ様がご一緒なのでそれは成立しないと思うのですが。」
「イオン、あんたさりげなくあたしをディスってる?」
一切の空気を読まないイオンの言葉にミラは若干イラついたような表情になるが、それを察したアルムがなだめるように言う。
「許してやってくれミラ。イオンに悪意は一切無えんだ。」
「わかってるわよ、あんたの苦労が少しだけ理解できたわ。」
アルムの言葉に、ミラは肩をすくめる。だが、結局この後どう動くのかはミラには未だにわからないままだ。その件に関して、ミラは改めてアルムに尋ねた。
「で、アルム。手はあるって言ってたけど結局どうするの?」
「積荷は船倉にある筈だろ。見に行こう。」
アルムの言うように、積荷は船倉に置かれているのはまず間違いないだろう。ところが、この場合も障害がないという訳ではない。
「ですがマスター。船倉には当然、見張りの兵の方がいるのでは無いでしょうか?」
盗難や紛失に対する防犯の関係上、常識的に考えれば多かれ少なかれ見張りの兵がいるのは確実だ。もっともその点に関しても、アルムに抜かりはなかった。
「見張りは眠らせる。正確に言うと“昏倒させる”だけどな。」
そう言いながらアルムは、コートのポケットから薄いピンク色の液体が入った小瓶を取り出した。彼の口振りからすると、どうやら相手を眠らせる…もとい昏倒させる為の薬のようだ。用意周到と言うべきか、あまりにも都合の良い薬を準備している事にミラは呆れを通り越して感心すらしている。
「あんたのその薬、いつどこでどうやって用意してんのよ?」
自身の刀にセットするカートリッジといいイオンのナイフに塗る毒薬といい、本当にこの男はどんなタイミングで作っているのだろうか。そんな質問に対してもアルムは、さも当然といった様子で答える。
「飛行船を待ってる間に作った。この薬ぐらいなら薬草と容器と暇さえあればどこでも作れるぞ。なんなら作り方教えてやろうか?」
「結構よ!」
折角の申し出をミラに断られ、アルムはつまらなそうな顔をする。そのまま薬をコートのポケットにしまうと、3人は飛行船の船倉へと向かった。
「けどアルム、もし見張りを眠らるのに失敗したらどうするの?最悪、増援を呼ばれるかもしれないわよ。」
船内を歩きながら、不意にミラが尋ねる。彼女の言う通り、もし薬が上手く効かなかったりしたらそれこそ増援を呼ばれて戦闘になってしまうのは明白だ。だが、そのケースについてもアルムは想定済みであった。
「逆だよ。万が一失敗して増援を呼ばれたとしても、ここは空の上だ。呼べる人数なんてたかが知れてるだろ?地上で増援を呼ばれた場合は何人やってくるかわかったもんじゃないし、下手したら飛行船そのものが出発できなくなるかもしれないからな。」
「なるほど、だから飛行船が出発した“後”の方が良かったのね。」
失敗した場合の事まで想定していたアルムに、今度こそは本当に感心するミラ。そうこうしているうちに、3人は船倉の前まで辿り着いた。
「1人だけだが、やっぱり見張りがいるな。」
柱の影からアルムが覗くと、船倉の扉の前にはやはりと言うべきか見張りの兵が立っていた。とはいえ、ここまでは完全に想定通りである。アルムはポケットから先程の小瓶を取り出すと、蓋を開ける前にミラとイオンの2人に注意をする。
「この薬品は空気に触れるとすぐに気化する。あと酸素や窒素よりも密度が小さいから、気化したあとはなるべく身を屈めてくれ。」
アルムの説明にイオンは素直に頷いたが、ミラは内容自体がイマイチよく飲み込めていないようだ。頭に?マークを浮かべ、混乱した様子を見せている。
「えーと、ゴメン。わかんない。もっとわかりやすく言って?」
それを聞いたアルムはため息をつきながらも、今度はミラにもわかるような言葉で説明する。
「撒いた薬はすぐに蒸発して上へと昇っていくから、吸い込まないように姿勢を低くしておいてくれ。」
「あぁ、オッケー!」
ようやくミラも理解できたようなので、アルムは薬を準備する。左手で口元を押さえながら右手で瓶の蓋を開けると、そのまま中身の液体を見張りの足元へ届くようにばら撒いた。
「ん…あれ…?」
見張りが異変に気付いのは、既に気化した薬を大量に吸い込んでしまった後であった。瞬く間にフラフラとした足取りになり、やがてそのまま倒れ込んでしまう。付近からは他に物音や声がしないため、やはり見張りは1人だけだったとみて間違いなさそうだ。
「よし、今だ。」
アルムに言われた通りに身を屈めながら、3人は船倉の中へと入る。積荷の量が量であるからなのか、船倉自体はそこまで大きくはなかった。おそらく縦横で10メートルもないだろう。大小様々な木箱がいくつか並べられており、中には隙間から鉱石らしき物が見えている箱もある。
「とにかく、目的は“白ワイン”と“メイプルシロップ”だ。まずは手分けして探そう。」
アルムの言葉に、イオンとミラの2人は頷く。3人は船倉の中の積荷を、手分けして調べ始めた。




