31話【アトランド王国の危機】
「人がモンスターになるって、どういう事?そんな話、聞いた事ないわ!」
盗賊の話を聞き、ミラは信じられないといった様子で声を上げた。一方でアルムは最初は驚きこそしたものの、すぐに冷静さを取り戻すと今度は疑わしげな目をしながら彼女を問い詰める。
「おい女、お前もしかして自分が助かりたいがために口から出まかせ言ってるだけじゃねえだろうな?」
アルムの言うように、この盗賊がその場しのぎの嘘を言っているだけだという可能性も考えられなくはない。だがそんな彼の態度に腹を立てたのか、盗賊は声を荒げて言い返してきた。
「女などと呼ぶな!私には“ベル”という名前がある!」
女盗賊ベルは強気な口調であったが、アルムの質問には答えず逆に反抗的な姿勢をとる。そんな彼女の様子に今度はアルムの方が腹を立てたのか、意地の悪そうな顔になって更に言い返す。
「おやおや、盗賊らしからぬ随分と可愛らしい名前をお持ちで。」
「何だと貴様!?」
アルムは嫌味たっぷりに言ったが、横にいたミラはいかにも“今のは言い過ぎだ”と言わんばかりの表情で彼を見ている。だがミラが口を開くよりも先に彼を咎めたのは、意外なことに従者であるイオンだった。
「マスター、人の名前を侮辱するのは失礼な行為に値するのではないでしょうか?」
「お前、そーいう所は常識的なんだな。」
若干皮肉の混じった言葉を投げかけるも、それ以上はアルムも何も言わずに黙ってしまう。ミラは単に反省したのだと思ったが、実際はそうではなかった。彼の目には、自分を咎めるイオンの姿がかつて自分に対してよく小言を言っていたシルヴィアに重なって見えたのだ。
少し複雑な心境になってしまったが、肝心の問題はまだ解決していない。気を取り直してアルムはもう一度ベルに尋ねた。
「さっき、モンスターになるって言ってたな。具体的にはどんな風になるんだ?」
先程とは違い、かなり穏やかな口調になっている。そんな彼の態度の豹変ぶりにベルも少し驚いたような様子を見せるが、今度は素直に質問に答えた。
「幸福の蜜を摂取した人間が全てそうなるのかまではわからないが、私が知っている人間はある日突然、まるで悪魔のような外見に変貌してしまった。」
「悪魔のような外見?どんな風にだ?」
アルムは更に質問をしたが、ベルは一瞬黙ってしまう。どうやら彼女にとってはあまり思い出したくはない出来事のようだ。だが彼女も意を決したのか、詳しい内容について話し出した。
「肌は真っ黒に染まり、目は赤く血走り、両手には鋭い爪が生えていた。知能も失われてしまったのか、ただ呻き声を上げて暴れまわるだけの怪物になっていた。」
ベルは冷静に話していたが、声が若干涙声になっている。ミラはその事に気付きながらもあえて黙っていたが、デリカシーの欠如しているアルムはその事について何の迷いもなく聞いてしまう。
「なあ、もしかしてその幸福の蜜を摂取した人間、お前にとって近しい人物だったんじゃないか?」
「ちょっと、アルム!」
躊躇なく質問したアルムに、思わずミラが声を出す。アルムは何故自分が怒られたのかイマイチわかっていないようであったが、そんなミラの心情を察したのか、ベルは首を横に振って話を続ける。
「いや、構わない。お前の思っている通り、幸福の蜜を摂取してしまったのは私の父だ。もう3年も前のことになるがな。」
アルムたちの予想通り、幸福の蜜を摂取したのはやはりベルの肉親であった。それならば、彼女が裏ルートで取り引きされている幸福の蜜について詳しいのにも納得がいく。
「おそらくモンスターになるなんて事は知らなかったんでしょうけど、あなたのお父さんはどうしてそんな物に手を出してしまったの?」
「私の家は貧しくてな、そんな家を建て直す為に父はなけなしの財産をはたいて幸福の蜜を手に入れたのだ。」
それを聞いてミラは納得がいった。魔法の国であるアトランドでは、強大な魔力を持ってさえいれば仕事などいくらでもある。場合によっては身分や出自など一切問わない事だってある程だ。
「結果として父は強大な魔力を手に入れ、その後まもなく王都の要職に就くことができた。だがそれからしばらくして、ある日突然父は先程話したような化け物へと変貌してしまった。」
「けどそんな話、王都では聞いたことないわ。それほど重大な事件があれば新聞にも載るはずじゃない?」
ミラの言う通り、突然人が化け物に変わるなど普通に考えれば大事件だ。しかしそんな事件、アルムはおろかアトランド人であるミラですら聞いた事がなかった。それに関して、ベルからは意外な事実が語られる。
「私もずっとそれが気になっていた。何故父の事件は世間からもみ消されてしまったのか?もしかしたら父は何かとんでもない陰謀に巻き込まれてしまったのではないかと考え、私はかつての従者たちと共に盗賊団ラータとしてこの2年間、幸福の蜜に関して色々と調べていた。」
つまり、盗賊団というのは単なるカムフラージュだったという訳だ。そんなベルの話を聞いて、アルムは何かに気付いた様子を見せた。
「もしかしてフラキスの街でお前らの被害に遭ったっていう連中は、みんな幸福の蜜の関係者なのか?」
「そうだ。とは言っても大半は事情を知らないただの運び屋だったがな。」
要するに、普通の麻薬と同じで薬を売る側と運ぶ側は別で、しかも運ぶ側には詳細が知らされていないという事だろう。もしかしたらあの飛行船ターミナルも知らない間に加担させられていたという可能性もあるが、それは後で確認すれば済む話だ。だがそんな中、ふとミラが疑問に思ったある事を口にする。
「けど、幸福の蜜は既にアトランド中に広まっているのよね?それなら全部の事件をもみ消すのは難しくないかしら?」
確かにミラの言う通り、1件だけならともかくそのような事件がアトランド各地で起こっていたとしたら、その全てを隠蔽するのは極めて難しいだろう。しかし、その理由に関してはベルから明確な説明が返ってきた。
「幸福の蜜が広まったのはここ最近のことだ。しかも摂取してからモンスターに変貌するまでは少し期間がある。もしかしたら個人差があるのかもしれないが、父の場合は摂取してから1年程でそうなってしまった。」
「という事は、もしかしたらこの先アトランド中で人がモンスターになる事件が起こる可能性があるってこと!?」
あまりの驚きにミラは大声を出してしまったが、状況を冷静に分析したアルムは更に絶望的な見解を示す。
「“可能性がある”どころじゃない。既にアトランド各地に摂取している人間がいるだろうから、ここ1年以内には間違いなく起きるだろう。」
「大変よ!すぐに女王陛下に報告しないと!」
ミラの言葉に、アルムは頷く。こうなれば一刻も早く王都へ向かい、女王へこの話をしなければならない。しかしそうなるとやはり一番手っ取り早いのはあの飛行船ターミナルを利用する、という事になってしまうのも事実だ。
その事にアルムは少し悩むが、一方で一切の迷いを見せないミラはようやく身体が少しだけ動かせるようになったベルに向かってキッパリと言う。
「そういうワケだから、あたしたちはすぐにでも王都へ行かなきゃならないの。だから飛行船の鍵は返してもらうわね。」
「ふざけるな!幸福の蜜が運ばれるのを黙って見過ごせと言うのか!?」
当然のようにベルは反論する。だがミラも何も考えていない訳ではなかったようで、彼女を諭すように自身の考えを説明する。
「あたしだって、そんな事は許せないもの。だから飛行船を動かす前に一度積み荷について確認してみるから。もしあの飛行船ターミナルが完全にグルだったとしたら、ついでに飛行船ごと強奪してやるわ!」
「お前、さり気なくとんでもない事を宣言したな?」
アルムは冷静に突っ込むが、ミラは完全に無視した。
「代わりと言っちゃあなんだけど、あなたたちのことは見逃してあげるわ。軍には全員死んだって嘘の報告をしておくから。」
「おいミラ、勝手に…」
「この人たちは被害者でしょ!?捕まらなきゃいけない理由なんてないわ!」
アルムの言葉を遮り、ミラは強引に押し通す。アルムはまだ納得がいかないような表情をしているが、そんな彼に横から声をかけたのはイオンだった。
「マスター、この方達を見逃してあげては貰えないでしょうか?」
「どうしてだ、イオン?」
イオンの質問に対し、逆にアルムがその理由を尋ねた。もっとも、この時アルムが本当に知りたかったのは“何故そう思ったのか”という事ではなく、“何故イオンがそのような感情を抱いたか”という事であった。
「わかりません。ただ、そうするべきだと思っただけです。」
主人に楯突いた事でイオンは少し申し訳なさそうな表情になるが、その様子にアルムは何かを感じ取ったのか、渋々ながら了承する。
「わかった。ただしフラキスにはしばらく近付くな。お前らが生きてると知られたら、俺たちまで巻き込まれる危険性があるからな。」
「あ、あぁ、わかった。とにかくお前たちを信じよう。」
どうやらベルの方も納得したようだ。それを確認するや否や、アルムたちを急かすようにミラが口を開く。
「急いであのターミナルに戻りましょ。とにかく幸福の蜜を運んでるのが事実なのか、あの社長さんに確認しなきゃ!」
「そうだな、急ごう。」
飛行船の鍵を手に入れた3人は、急いでフラキスの街へと戻る事にした。




