30話【幸福の蜜】
アルムが盗賊の頭を拘束するのと同時に、それまで騒がしかった洞窟の広場の音も止んだ。おそらく戦闘が終わったのだろう、広場の方からミラが歩いてきた。怪我も汚れもなく、涼しい顔をしている。
「お疲れさん、ミラ。」
「割に合わないわねぇ。なんでか弱いあたしが十数人も相手しなきゃなんないのよ?」
ミラは不満そうな声を上げる。もっとも、彼女がどんな手段で盗賊達と戦っていたのかはアルムも知っていたので、そこは冷静に指摘する。
「直接戦ったのはお前じゃなくて、呼び出した死霊軍団だろうが。」
「細かい話はいいの。」
アルムの言う通り、盗賊達は結局あのゴースト軍団に全て倒されたようだ。それなりに戦闘慣れしているであろう盗賊とあっても、やはり多勢に無勢と言うべきであろう。たった十数人で50体以上ものゴーストを相手にするのは無理があった。
一方で盗賊の頭は、話の流れで自分の部下たちが全てやられてしまったという事を知り、怒りの混じった様子でミラに問う。
「貴様!あいつらを一体どうした!?」
「元々あんた達の身柄は軍に引き渡すつもりだったし、情報を聞き出す必要があると思ったから一応全員生かしておいたわ。ま、あのケガじゃ2、3日は動けないでしょうけどね。」
「ふん…。」
ミラの言葉を聞き、盗賊の頭は悔しそうな様子でそのまま黙り込んでしまう。だがアルムには心なしか、部下が怪我を負いつつも全員生きていたということに少なからず安堵しているようにも見えた。
「さて、改めて飛行船の鍵の場所を教えて貰おうか。」
盗賊の喉元に刀を突きつけ、組み伏せたままの状態でアルムが問う。だが盗賊は強気の姿勢を崩さず、恨みのこもった目でアルムを見上げながら拒否する。
「断る!私の命に代えても、幸福の蜜は絶対に運ばせない!」
「あぁそう。ならまずは身ぐるみ剥いで調べさせて貰おうか。」
これまでのやり取りからして、例の飛行船の鍵はどうやらこの盗賊たちにとっても重要なものらしい。そうなると自然と考えられる隠し場所は誰にも見つからないような場所か、肌身離さず持っているかのどちらかだ。
既に処分してしまったという可能性もあるが、盗賊の口振りからして考えにくい。とりあえず、まずは目の前にいる盗賊の頭の身体検査をした方が早いとアルムは踏んだ。
「あ、ちょっ、やめっ…!」
盗賊の制止を無視し、さっさと作業に取り掛かる。だが盗賊の上着と装束を脱がせたところで、アルムは重要な事に気付いた。
「お前、女!?」
驚くアルムに対し、装束まで脱がされ下着姿にされた盗賊は顔を真っ赤にして恥ずかしそうに唇を噛んだまま黙っている。そんな様子を見て、一番に動いたのはミラだった。
「ちょっとアルム!いくら盗賊だからって女の子を素っ裸に剥こうだなんてどういうつもりよ!?このドスケベ錬金術師!!」
「待て誤解だ!!つーか痛え!やめろミラ!」
アルムの右耳を引っ張りながら、ミラは大声で怒鳴る。たまらずアルムは盗賊を押さえていた手を離してしまったが、イオンの麻痺毒が効いているのか盗賊はまだ動けそうにない。
しかし、彼女が飛行船の鍵を持っているという可能性はまだ捨てきれない。とは言ったものの状況的にこれ以上自分が調べる訳にもいかないようなので、痛む耳を押さえながらアルムはイオンに指示をした。
「イオン、この女を隅々まで調べて鍵を持ってないか確認してくれ。」
「かしこまりました、マスター。」
アルムの指示を受け、イオンは装束の内側や袖の中などを細かく調べ始めた。下の装束を調べ始めたところで、イオンは何かに気付いた様子を見せる。
「何かありました、マスター。これではないでしょうか?」
イオンがアルムに見せたのは、持ち手に金色の装飾が施された大きめの鍵であった。扉の鍵にしては大きすぎるので、これが飛行船の鍵であるのはまず間違いないだろう。
「待て、それを返せ!」
イオンが手に持った鍵を見て必死に叫ぶ盗賊であったが、ミラはそんな彼女を見下ろしながら冷ややかに返す。
「返すも何も、元々あんたらが盗ったんでしょうが。」
確かにミラの言う通りだ。元々あの飛行船ターミナルにあったものをこの盗賊団が盗んだのだから、返せというのは御門違いとしか言いようがない。それでも尚、盗賊の長は食い下がろうとはしなかった。
「お前たちはあの飛行船で幸福の蜜を運ぶつもりなんだろう!?させるものか!」
盗賊の口から、先程のアルムとの攻防の最中にも聞いた幸福の蜜という単語が発せられた。完全に誤解されているのは間違いないが、そもそもその幸福の蜜というのが一体何なのかがわからない。今なら聞き出すのも無理ではないだろうと思い、アルムは彼女に尋ねた。
「さっきから言ってるけど、幸福の蜜って何の話だよ?俺たちは単に依頼を受けてきただけで、あの飛行船ターミナルの人間じゃねえぞ。」
「まだシラを切る気か!どこまでアトランドを滅茶苦茶にする気だ、貴様らは!?」
興奮しているのか、まともに取り合おうとはしない。しかし信用してもらおうにも、アルムは自分があの飛行船ターミナルとは無関係な人間であると証明する手段も持ち合わせていない。
だがここで、アルムはふと思い付いた。
「ミラ、お前身分証明書とか持ってないか?何かネクロマンサーの許可証的なヤツとかさ。」
「身分証明書?あるけど。」
そう言ってミラはポーチから小さな厚紙を取り出す。だが、アルムにはその厚紙に見覚えがあった。国境を通過する際にミラが兵士に見せていたものだ。表面にはミラの名前や女王のサインが書かれており、擦ったり滲んだ形跡が全くない。おそらくただのインクではなく、魔法で書かれた文字であろうことはアルムにもわかった。
「これをどうするの?」
「あの女に見せてみろ。もしかしたら信用するかも。」
ミラは言われるがまま、まだ身体が上手く動かせない様子の盗賊に証明書を見せる。盗賊も最初は怪訝そうな顔をしていたが、証明書のとある部分を見て顔色が変わった。
「女王直々のサインだと!?貴様、何者だ?」
「証明書に書いてあるでしょ。あたしはネクロマンサーのミラ・イプスウィッチよ。」
ミラの名前を聞き、盗賊は思い出したように呟いた。
「ミラ・イプスウィッチ…聞いたことがある。確かアザレアの街のレストランを不味いという理由だけで半壊させたとか…。」
盗賊は単に噂に聞いた話を口にしただけだったのだろうが、サラッととんでもない話が含まれていた。それを聞いたアルムはドン引きし、ミラは少し焦ったような表情で弁解する。
「デタラメ言わないでよ!それにあれは元はと言えば向こうが悪いのよ!」
「向こうが悪いって言ってることは、半壊させた事自体は事実なんじゃねえのか?」
ミラの発言に、アルムは冷静に突っ込みを入れた。それに対しミラは怒りを剥き出しにしながら八つ当たりするかの如くアルムへと怒鳴る。
「不正な食品を扱う悪徳業者だったのよ!?おまけにあたしのドレスにトマトソースまで飛ばして!謝るどころか“洗えば落ちます”ですって!?ふざけんじゃないわよ!!」
「お前の場合、100%個人的な理由でやったように思えるんだが。」
ギャーギャー騒ぐミラをよそに、幾分か冷静さを取り戻した様子の盗賊がアルムに向かって尋ねる。
「…本当に、お前たちは幸福の蜜が何なのか知らないのか?」
「そう言ってんだろ。まぁ名前からして、おそらく麻薬か媚薬のどっちかなんだろうが。」
幸福の蜜という名称からして、おそらくは薬、それも法に触れるようなものであろう事はアルムにも容易に想像がついていた。だが、盗賊から返ってきた答えはアルムの予想の上を行くものであった。
「幸福の蜜は単なる麻薬ではない。摂取した人間の魔法能力を強制的に引き上げる薬だ。」
「魔法能力を引き上げる?誰でも強力な魔法が使えるようになるって事か?」
アルムの質問に盗賊は頷く。もしその話が本当であればとんでもない事だ。仮に全てのアトランド人がミラ並みの魔法が使えるようになったとしたら、レムリアル共和国やムート帝国などあっという間に制圧されてしまうだろう。驚きを隠せないアルムを見ながら、盗賊は話を続けた。
「お前たちも知っているだろうが、このアトランドでは神官や政治家といった要職に就くことができるのは生まれつき類稀なる魔法の才能を持った者だけだ。」
「あたしみたいなね。」
「自分で言うなよ。」
さりげなく自慢するミラに、再びアルムが突っ込みを入れた。そんな2人をさて置いて、盗賊は話を進める。
「だが幸福の蜜さえ摂取すれば、生まれつき才能を持たない人間でも後天的に強大な魔法の能力を身に付ける事ができる。」
「なるほど、色んな奴らが欲しがりそうな薬だな。」
アルムはやや皮肉めいた口調で言う。確かに魅力的な話ではあるが、私利私欲にまみれた人間の汚い臭いがプンプンしていたからだ。
「そうだ。自分の出世の為だとか、子供に才能を与える為だとか目的はバラバラだが、幸福の蜜を求める人間はアトランド中に大勢いる。勿論、こんなもの公のルートでは流通していないがな。」
公のルートでは流通していない。そうなれば考えられるのは自ずと裏のルートという事になる。密輸、偽装、あらゆる手を使って闇のマーケットに売り出されているのは容易に想像ができる。
「要するに闇市場か。それでその薬、相場はどれくらいなんだ?」
「末端価格で一瓶100万ゴルトは下らない。」
「100万ゴルトですって!?そんなもの誰が買うのよ!?」
値段を聞いたミラは驚愕の声を上げた。一方でアルムは錬金術師という職業柄、麻薬を含めた薬品の市場に関してはある程度の知識を持っていたので、値段に関してはそこまで驚きはしなかった。
そんなミラの質問に対し、盗賊は皮肉を込めたように笑いながら答えた。
「誰でも買うさ。貴族ならそんな金額ぐらい平気で出すし、逆に貧しい人間でも出世の為に全財産をつぎ込んでも買おうとする。」
アルムの予想した通り、正に人間の汚い部分が前面に表れたような話だった。だがそれだけではなく、彼はもう1つ重大な部分に関しても薄々気付いていた。
「けどそんな出来過ぎた話、そうそうある筈がねえ。その幸福の蜜には、間違いなく何か副作用とか代償があるんだろ?」
アルムの言う事ももっともであった。それだけ強力な薬であれば、何かしらの副作用やリスクがあってもおかしくはない。
先程の麻薬の事も含め、職業柄アルムは薬品の成分や副作用に関してはそれなりに詳しい。一口に副作用といっても頭痛や吐き気を伴うだけの軽いものもあれば、視力を失ったり寿命を縮めたりと重いものまで様々だ。
だが彼女の口から発せられたのは、アルムの想像を遥かに超える程の重大な事であった。
「幸福の蜜を摂取した人間は…最終的にモンスターへと変貌する。」
「何だと!?」
「何ですって!?」
あまりにも衝撃的な事実に、思わず飛び出したアルムとミラの叫び声が洞窟中にこだました。




