18話【大きな過ち】
シルヴィア…もとい自分が生み出したホムンクルスの少女を伯爵に会わせることに決めたアルムは、すぐに支度を始める。
とはいえ、裸のまま連れ回すわけにもいかないのでまずは服を着せることにした。もっとも男の1人暮らし故に工房には女性用の衣類は一切無かったので、サイズはやや大きめだが仕方なく自分の着替えを着てもらう他なかった。
「これを着てくれ。」
「わかりました。」
上下一式と下着、フードの付いた雨除けのマントを渡す。渡したのは全てどう見ても男物の服であったが、少女は何の抵抗もなく、文句一つ言わずに黙って渡された服を着る。
普通の少女であれば間違いなく嫌がるなり文句を言う筈だろうが、黙って従うあたりやはり彼女は主の命に従順なホムンクルスでしかないのだろうかと嫌でも思ってしまう。
「真夜中だけど、万が一街の人に見られると色々と騒ぎになりそうだから、フードは深く被ってくれ。」
「はい、マスター。」
工房の外に出ると、雨は土砂降りとまではいかないもののまだ降り続けている。2人は真夜中の雨の中、伯爵の屋敷へと歩いていった。
屋敷の前まで来ると、まだ雨が降っているにも関わらず兵士達が慌ただしく動いていた。おそらくではあるが、シルヴィアの墓が掘り返されているのを誰かが見つけて伯爵に伝えたのだろうとアルムは考えた。朝になれば間違いなく気付かれるだろうとは思っていたが、こんなにも早いとは予想外であった。
「ロバートさんは…いないな。」
普段であれば門前には兵士のロバートが立っている筈なのだが、今はいなかった。もっとも今の時間帯は深夜であるし、もし勤務中だったとしてもシルヴィアの墓荒らしの件で門番まで手が回らないほど忙しいのに違いない。
屋敷の入口前にはラッセルハイム伯爵が立っていた。物凄い剣幕で怒鳴りながら兵士に指示を出している。兵士が頭を下げて走り去っていくと、伯爵は門の近くにいたアルムに気付き、慌てた様子で声をかけた。
「あぁアルム君、大変なんだ!!実はシルヴィアの墓が誰かに荒らされて…」
「知ってます。」
「知っている?」
アルムから思いもよらない言葉が返ってきたので、思わず伯爵は目を見開く。しかしそれについての理由を聞くよりも先に、後ろにいた人物に気が付いたようだ。
「アルム君、後ろにいるのは?」
アルムは口では答えず、少女を自分の隣に立たせてフードを上げる。その少女の顔を見た伯爵は思わず息を飲んだ。
「シル…ヴィア…なのか?」
伯爵の目の前に現れたのは、2年前に病死した筈の自分の娘であった。信じがたい光景に戸惑う伯爵はアルムに問う。
「アルム君、これは一体…!?」
「彼女は、俺が造りました。」
「君が…造った…?」
伯爵は最初、アルムの言った“造った”という言葉の意味が理解できなかった。だが頭を巡らせると、ある1つの可能性がよぎる。そしてその可能性は、アルムの言葉で真実であると知ることになる。
「…禁術です。」
「本当に、やったのか!?」
信じられなかった。死者を蘇らせるなどできる筈もない、そう思うのが普通なのだが、現に死んだ筈の娘が目の前にいる。
伯爵もアルムに質問したいことが山程あったが、それよりも今はもう一度シルヴィアに会えたという喜びの方が大きかった。はやる気持ちをおさえ、目の前の少女に話しかける。
「シルヴィア、私がわかるか?」
「貴方は?」
少女は伯爵の顔を見上げた。しかし、伯爵の期待に反して全くと言っていいほど反応がない。そのことに少しイライラしたのか、興奮した様子の伯爵は少女の肩を掴み、先程より強い口調で呼びかけた。
「シルヴィア、私だ!自分の父親のことがわからないのか!?」
「父親?」
目の前の男性に父親だと言われ、少女は一瞬首を傾げる。しかし、すぐに向き直ると伯爵に言い放った。
「いいえ、私に父親はおりません。私を生み出したのは、ここにいるマスター・アルムです。」
その言葉を聞いた瞬間に、伯爵の顔から血の気が引いた。絶望と怒りが混じったような複雑な表情を浮かべている。しかし伯爵は声を荒げることはせず、静かにアルムに尋ねた。
「…アルム君、これは一体どういうことなのかね。」
「シルヴィアを蘇らせる為に、俺はホムンクルスの技術と彼女の遺体を使いました。」
アルムはできるだけ伯爵を傷付けないような言葉を選ぼうと慎重になるが、最早こんな状態になってはどう言っていいのかもわからない。結局、アルムにできたのはありのままの真実を伝えることだけであった。
「結果として出来たのはシルヴィアではなく、彼女と瓜二つの姿をしただけのホムンクルスだった、ということです。」
「つまり、彼女はシルヴィアではない…と?」
伯爵がうなだれたまま尋ねた。彼女がシルヴィアではないという事実は、本当はアルム自身が一番認めたくはない。しかしこの状況では、何を言ったとしても言い訳にしかならないだろう。アルムは、静かに肯定する。
「そういうことに…なります。」
「そうか、つまり…。」
伯爵の声色が変わった。
「つまり貴様は!シルヴィアの姿をした奴隷を作り出す為だけに!娘の骸を盗んだというのだな!?」
怒りと憎しみに満ちた目でアルムを問い詰める。しかし、シルヴィアの亡骸を盗んだのは間違いないが、奴隷にする為に造ったというのは誤解であった。
「違うんです!!俺はただ…」
アルムは弁解しようとしたが、伯爵は全く聞き入れずにその言葉を遮るように叫ぶ。
「衛兵!衛兵!!」
伯爵の叫ぶ声を聞きつけ、1人の兵士がすぐにやって来た。その兵士は、アルムもよく知っている人物である門番のロバートだった。
「旦那様、どうされました!?」
「その男を捕らえろ!禁術を犯した重罪人だ!!」
禁術という言葉にやや疑問を抱きながらも、ロバートはすぐさま槍を構え臨戦態勢に入る。だが伯爵の指差した人物を見て、彼は驚愕した。
「アルム!?」
「ロバート…さん。」
目の前にいたのは、彼がよく知っている人物であった。だが、それだけではない。その男の後ろの人物にも見覚えがあった。
「シルヴィアお嬢様!?何故!?」
いるはずのない人物がそこにいたことにロバートは驚愕する。まだ頭の中が少し混乱しているが、先程の禁術という言葉もあり只事ではないのはすぐにわかった。
「アルム、何かの間違いなんだろ?」
口調は穏やかだったが、それでもアルムに槍を向けたままだ。
「俺はお前を信じてる。だからここは一旦素直に捕まってくれないか?」
アルムは後退りした。ロバートが自分のことを信じているというのは本当かもしれないが、ここで捕まってしまうと自分が禁術を犯したことが明るみになるのは目に見えている。そう考えたアルムの答えは1つしかなかった。
「ごめん、ロバートさん!!」
言うや否やアルムは左手のグローブを起動し、術式を書き込んだ。咄嗟にロバートは足を踏み出すが、それよりも速くアルムは左手を地面の水溜まりに浸ける。すると水溜まりが一瞬にして蒸発し、真っ白な蒸気となった。
「走るぞ、シルヴィア!」
「待てアルム!」
ロバートが叫ぶが、それを聞かずアルムは少女の手を取って走り出す。
「逃がすな、追え!!」
後ろで伯爵の叫ぶ声が聞こえたが、アルムは構わず雨の中を走り続けた。
屋敷から逃げた2人は大通りまでたどり着いた。この辺りに住んでいる人達は顔見知りだらけであるが、幸いにも真夜中、しかもまだ雨が降っているということもあり人は誰もいない。
しかし、伯爵が屋敷の兵士達に自分達を探させているのはまず間違いないだろう。どこかに隠れたとしても知り合いだらけのこの街ではいずれ見つかるのがオチだ。アルムにとって、最早道は1つしか残されていない。
「街から出るしか…!」
そう決意したアルムは少女を連れ街の入口へと向かった。
街の入口に到着するまでは追っ手の姿も見えなかったが、門の手前まで来ると誰かが待ち伏せているのが目に入った。
「止まれ、アルム!」
数人の兵士達が街の入口を固めている。どれも皆、アルムの見知った顔だ。
「旦那様の命で、お前をここから先へ通すわけにはいかない。」
「ここはおとなしく捕まるんだ!」
兵士達は口々に呼びかけるが、アルムは答えない。代わりに、懐から黄色い液体の入ったガラス製の試験管を取り出した。
「何をする気だ、アルム!?」
「悪いけど、俺はもう後戻りできないんだ!」
アルムはそう叫びながら、兵士達の足元へ向けて試験管を投げた。
「伏せろ、シルヴィア!」
少女を抱きかかえると、地面に身体を伏せる。投げた試験管が地面に落ちて割れると、中に入っていた液体はたちまち気化して黄色い煙が辺りに立ちこめた。
「何だこの煙…うっ!?」
煙に包まれた兵士達は途端に咳込み始めた。苦しそうに唸っていたが、やがて次々に倒れていく。どうやら黄色い煙は毒のようだ。
数分して煙が晴れると、門の前に立っていた兵士達は全員倒れてしまっていた。それを見たアルムは、聞こえているかもわからない兵士達に謝罪の言葉を述べる。
「ごめん、みんな。しばらくの間は動けないだろうけど、命に別状はないから安心してくれ。」
そう言い残し、アルムは隣にいる少女と共に門の外へと出て行った。




