14話【ネクロマンサー・ミラ】
オニークスの街の大通りには、宿屋『白い子羊亭』がある。バーテンダーの夫と、料理上手な女将が2人で営んでいる小さな宿屋だ。その宿屋の扉を、一人の若い女性が叩いた。
「ごめんください。」
「はい、いらっしゃい。」
カウンターに座っていた恰幅の良い女性が出迎えた。年は40ぐらいで、おそらくはこの宿の女将なのだろう。
「えっと、女将さんですか?」
「女将のメリアスだよ、よろしくね。それで、宿泊かい?」
「予約していた者なんですけど。」
それを聞いた女将は目の前に置いてある宿の帳簿を開く。そして客のリストを見ながら、女性に尋ねた。
「お名前は?」
「ミラ・イプスウィッチです。」
それを聞いた女将は、帳簿に書かれていた同じ名前の横に印を付けた。だがその名前に覚えがあったようで、ミラと名乗った女性に尋ねる。
「おや、もしかしてあんたがアトランドで噂のネクロマンサーかい?」
「ええ、そうです。」
ネクロマンサー・ミラといえば、最近アトランドで名を轟かせている魔法使いだった。隣国の事なので詳しいことまでは知らないが、女将も新聞や宿泊客の噂話などで何度か見聞きしていた。
「ネクロマンサーっていうと熟練の魔法使いみたいなイメージがあったからさ、もっと上の年齢なのかと思ったよ。」
「よく言われます。」
女将がそう思うのも無理はなかった。そもそも高名な魔法使いといえばほとんどが偉業を成し遂げた老齢で熟練の魔法使いばかりだ。その上ネクロマンサーといえば魔法使いの中でも死霊やゾンビを操るような職業であり、どうしても暗いイメージを持たれがちだ。
女将自身も今までに客としてやってきたネクロマンサーを2、3人見たことがあったが、いずれも黒いローブを纏った老婆であったために自然とネクロマンサーに対してはそういうイメージを持っていた。しかし目の前にいるネクロマンサーはまだ20歳にもなっていないような見た目で、服装も踊り子が着るような露出の多いドレスに、大きな宝石の付いたイヤリングを付けている。
またとない機会であるため女将は他にも色々話を聞いてみたい気はしたものの、相手は宿泊客だ。食事の時にまた聞けるだろうと思い、好奇心を抑えてこの場は仕事を最優先にすることにした。
「部屋の用意はできてるけど、すぐにお通しするかい?」
女将が尋ねたが、ミラは首を横に振る。
「荷物だけ置かせてください。まだ日が暮れるまで時間はあるし、この街を色々と見て回りたいし。」
そう言うとミラは肩にかけていた布の鞄を見せる。彼女の趣味だろうかあちこちに金色の刺繍が施されており、ブローチがいくつか付けられている。そこまで大きな鞄ではなかったが、確かに観光に持って回るには些か不便であろう。
「じゃあ荷物は預かっとくよ。部屋に運んでおくからね。」
「ありがとう、女将さん。」
ミラは礼を言いながら女将に鞄を渡した。女将は受け取った鞄を壁際の棚に置くと、ミラの方に向き直る。
「とりあえず荷物は部屋に置いておくけど、他に何か聞いておきたいことはあるかい?」
「この街に有名なスイーツってあります?」
実はミラは超が付く程の甘党だった。まだ若いがネクロマンサーの仕事で各地を転々とすることが多く、立ち寄った各所で有名なスイーツを食べ歩くことが彼女の一番の趣味であった。
今回も仕事でレムリアルまでやって来て、祖国アトランドへ帰る道中にこのオニークスに立ち寄ることになった。なので、折角だからこの街でも名物となっているようなスイーツを食べておこうと思ったのだ。
「スイーツ、ねぇ…。」
ミラの質問に対して女将は少し考え込むが、どうやら心当たりがあったようですぐに答える。
「オニークスで美味しいスイーツっていうと、やっぱり噴水広場近くの店のクリームパイとブドウ農園で作ってるシャーベットかねぇ。」
「あ、おいしそう。」
スイーツの情報が聞けたミラは思わず両手を合わせて笑顔になる。
「他に聞きたいことは?」
女将が再び尋ねた。ミラはあと服やアクセサリーも見たいと思っていたが、それは自分で探すつもりだから聞く必要はない。もう聞くことはないと思ったが、ふとあることを思い出す。
「あ、そうだ!」
ミラは死霊術に使う香油などが不足していたことを思い出した。だが、普通はそんなもの市場には置いていない。扱っているとしたら、せいぜい呪術師か錬金術師ぐらいのものだ。あまり期待はできないが、一応女将に聞いてみることにした。
「この街に呪術師か錬金術師っていませんか?」
ダメ元で聞いてみたのだが、尋ねられた女将の表情が変わった。何だか嬉しそうで、いかにも「よくぞ聞いてくれた」とでも言わんばかりの顔だ。
「呪術師は聞いたことないけど、錬金術師なら1人いるよ。優秀な子がね。」
女将は胸を張って言った。まるで自分の子供のことであるかのように得意げである。逆にミラは女将の言葉に少し疑問に思った部分があったので、更に聞いてみた。
「優秀な子?子供なんですか?」
「お前さんより少し年上ぐらいかねぇ。ま、私みたいなおばさんにしてみればどっちもあんまり変わんないけどさ。」
女将は笑いながら言った。どうやら話を聞く限りでは若いが優秀な錬金術師だそうである。とりあえず必要な用事は済ませることができそうだ。
「その錬金術師って、どこに行けば会えますか?」
「少し待ってなさい、地図描いてあげるから。さっきのクリームパイの店とブドウ農園も一緒にね。」
そう言うと女将は紙とペンを手に取り、簡単な地図を描き始めた。待っている間、ふとカウンターの向かいに飾られている肖像画がミラの目に留まった。
絵の中では椅子に座っている銀髪の少女が微笑んでいる。絵だから正確にはわからないが、おそらく十代前半くらいであろうか。その美しくもどこか儚げな少女の絵を、ミラはしばらくの間見つめていた。
「その絵の女の子が気になるかい?」
声に振り返ると、女将が紙をひらひらさせていた。どうやら地図が描き終わったようだ。
「その子はこの街の領主のラッセルハイム伯爵の一人娘、シルヴィアお嬢様だよ。」
そう言いながら女将は絵を眺めていたミラの隣に並ぶ。
「美人だろう?その上領主の娘ってのもあったから、昔は街のどの男の子が彼女を射止めて逆玉になるのかって話題もよくしたもんだよ。だけどね…」
女将の顔が少し曇った。それを見たミラは何となく察しがついたが、尋ねる前に女将の方が話を続けた。
「生まれつき身体が弱くってね。有名なお医者さんに診てもらったりもしたらしいんだけど、結局良くならずに2年ほど前に亡くなってしまわれたんだよ。」
女将の話は大体がミラの予想通りであった。だが、女将は話を続ける。
「さっき話した錬金術師の子ね、シルヴィアお嬢様の恋人だったんだよ。」
唐突に先程の錬金術師の話が出てきたので、ミラにとってもこれは予想外であった。
「まったく偉いよねぇ。16歳で育ての親である師匠を亡くしたってのに、その一年後には今度は恋人まで亡くなって。それなのに泣き言一つ言わずに街の為に働いてるんだからさ。」
女将がそう言うと、それまで女将の話を黙って聞いていたミラが唐突に口を開いた。
「大切な人がいなくなった時、残された人は変わってしまうことが多いです。良い方にも…悪い方にも。」
女将は驚いたような表情でミラを見る。しかしミラの眼差しは真剣なものだった。
元々ミラはネクロマンサーという職業上、人の死や別れに関わることが多い。戦争で夫を亡くした妻、事故で子供を亡くした夫婦、病で妻に先立たれた老人など、挙げればキリがない。そういった人の死が残された人を変えてしまうという事実を、ミラはこれまで嫌という程目の当たりにしてきた。
ミラの言葉に最初は驚いていた女将も、やがて納得したかのように目を閉じながら言った。
「そうだね、あの子もシルヴィアお嬢様が亡くなったことで何か変わったのかもしれないねぇ。」
その言葉を最後に、長い沈黙が続く。2人はしばらく肖像画を眺めたままであったが、やがてミラの方がその沈黙を破った。
「じゃあ行ってきますね。」
「大通りは馬車が多いから気を付けてね。7時には夕食の用意ができてるからそれまでに戻っておいで。」
「ありがと、女将さん。」
そう言ってミラは扉を開けた。まだ日は高く、街には活気が溢れている。