8話【突然の別れ】
シルヴィアが死んだ。アルムは唐突に聞かされたその事実をすぐには理解することができなかった。
「…何の冗談だよ?」
問い詰めるようにアルムは聞いた。しかし、メイドは首を横に振りながら答える。
「ですから、申し上げた通りでございます。シルヴィアお嬢様は今日の明け方に容態が急変し、30分程前に息を引き取られました。」
口調こそしっかりしていたものの、唇を噛み、必死に涙を堪えているようだった。いや、よく見ると目元が少し赤いので、もう既に一度は泣いたのだろう。
とにかく、ここで話していても埒があかない。幸いにも出掛ける準備はできていたので、すぐに屋敷へ向かうことにした。
呼びに来たメイドと一緒に屋敷の前まで行くと、門の前に兵士のロバートが立っていた。しかしいつものようなキッチリとした佇まいではなく、顔を伏せてうなだれているような姿だった。
「ロバートさん!シルヴィアは!?」
アルムは声をかける。それに気付いたロバートは、絞り出すような声で答える。
「あぁ、アルムか。とにかく入ってくれ。」
「そうじゃねえよ、シルヴィアは!?」
怒鳴るような声で問いただしたが、ロバートは答えない。アルムもこれ以上の問答は無駄だと判断したのか、メイドと共にそのまま屋敷の中へ入っていった。
屋敷のエントランスには合わせて10人程のメイドや兵士がいたが、いずれも皆暗い表情を浮かべている。若いメイドに至ってはハンカチを口元に当てて大泣きしている者さえいた。
アルムは何か声をかけようとしたが、言葉が見つからない。それを察したのか、工房から一緒に来ていたメイドがアルムの手を引きながら言った。
「お嬢様のお部屋で旦那様がお待ちです、急ぎましょう。」
そう言われアルムは階段の横ですすり泣くメイドを横目に、2階へと急いだ。
シルヴィアの部屋は長い廊下の一番奥だ。廊下を走るのはマナーが悪いとしょっちゅう彼女に咎められていたアルムは、普段からなるべく廊下は静かに歩くよう心掛けていた。しかし今はそんな悠長なことを言っている場合ではない。急いで一番奥の部屋へと向かう。
一番奥の豪華なドアの前に着くと、そこには2人のメイドがいた。1人は手で顔を覆い、もう1人がそれを慰めているようだ。ここまで来たのなら今更この2人に話を聞いても仕方ないと、アルムはドアを開ける。
部屋に入ると、いつもの大きなベッドが目に入った。ベッドのすぐ側には、ラッセルハイム伯爵が立っている。伯爵はアルムが来たことに気付くと、震えるような声で口を開いた。
「アルム君…よく来てくれたね。」
「伯爵…。」
伯爵の顔からは生気が感じられない。アルムが近寄ると、伯爵はアルムの背に手を当てベッドの側へ行くよう促した。
「シルヴィア…?」
アルムの眼前には、目を閉じたままのシルヴィアがいた。当たり前ではあるが、アルムの呼びかけに答える様子もない。メイドから事前に告げられていたものの、いざそれを目の当たりにするとアルムは頭の中が真っ白になったようだった。
呆然とするアルムの横で、伯爵が口を開く。
「ついに、この時が来てしまったよ。」
アルムは伯爵を見る。表情は穏やかであったが、依然として生気が感じられない。伯爵はそのまま言葉を続ける。
「君には話していなかったが、医者からはシルヴィアは20歳まで生きることは難しいと言われていてね。」
そう言いながら、娘の亡骸の頬を撫でる。
「ある程度の覚悟はできているつもりだったが、やはりいざ直面すると辛いものだね。」
アルムは伯爵に聞きたい事が山程あったが、どれもこれもシルヴィアの亡骸を前に頭の中から吹っ飛んでしまった。結局、それが本当に一番聞きたかった事なのかどうかもわからぬまま、自然と口を開いていた。
「シルヴィアは…最期、どんな様子でしたか…?」
「容態が急変した時は少し苦しそうだったが、最期は穏やかな様子で息を引き取ったよ。それと…」
伯爵は一瞬言葉を止め、アルムの顔を見た。
「息を引き取るほんの少し前に、“アルム、ありがとう”と呟いていた。」
それを聞いたアルムは膝をついた。身体に力が入らない。隣にいる伯爵を見ながら、震える声で言葉を絞り出す。
「伯爵…俺、シルヴィアに…いつか病気を錬金術で治すって…約束…」
アルムはポツポツと言葉を発するが、本当に言いたいことが口から出てこない。伯爵もそれを察したのか、アルムの肩に手を置く。
「君が悪いんじゃない。これは運命だったのだ。この子は今日、18年の生涯を終えると定められていたのだよ。」
アルムはうなだれたまま、ただ黙って伯爵の言葉を聞いていた。
少しの間沈黙が続いていたが、その沈黙を破るように伯爵はベッドの横のテーブルに置かれたネックレスを見ながら言った。
「あのネックレス、君がシルヴィアに贈ったものだろう?」
伯爵の問いに、アルムは静かに頷く。
「誕生日の夜、あの子は貰ったばかりのネックレスを私も含めた屋敷中の人間に見せびらかしていたよ。大層嬉しそうだった。」
それまで穏やかな表情をしていた伯爵の目に涙が浮かぶ。
「君のおかげで、娘は最後にあんな笑顔になることができたんだよ。」
伯爵はアルムの両肩に手を乗せ、小さな声でアルムに呟いた。
「シルヴィアに生きる喜びを、楽しさを与えてくれてありがとう、アルム君。」
伯爵は精一杯の感謝の意をアルムに述べたつもりであったが、結局どの言葉も今のアルムに届くことはなかった。
翌日、シルヴィアの葬儀が執り行われた。領主の娘が亡くなったということもあり、街中から多くの人々が参列している。
「皆様、本日は娘の葬儀の為にお集まりいただき誠にありがとうございます。」
伯爵が参列した人々に挨拶をする。その後も伯爵がシルヴィアとの思い出話を細々と語っていたが、どれもアルムの耳には一切入っていなかった。
いよいよ、シルヴィアが埋葬される時が来た。人々は彼女の亡骸の周りに次々と花を手向ける。周りには花の他にも手鏡、櫛など愛用の品がいくつも並べられ、そして首元にはアルムがついこの前贈ったネックレスが静かに輝いていた。
花が手向けられた棺に蓋をされ、数人で土を被せていく。棺が完全に埋められると、最後に暮石の前に花束が置かれ葬儀は終えられた。
屋敷の使用人の中には最後まで涙が止まらない者もいた程であったが、この葬儀の間アルムは言葉を発することも、泣くこともついに一度もなかった。
葬儀が終わり、参列した街の人々は皆帰って行った。伯爵や使用人達も後片付けがあるからと屋敷へと戻ったが、ただ一人アルムだけは、未だにシルヴィアの墓前に立っていた。
一年前に師匠が亡くなった時にも似たような喪失感があったが、あの時はこれから自分が師匠の跡を継いで頑張らなければという気持ちが強かった。
ところが今のアルムの胸中にあるのはそういった前向きな気持ちではない。ただただ大切な人との約束を守れなかったという後悔の念と、何もできなかった己の無力さを感じるだけであった。
「シルヴィア、俺は…」
アルムは自分の左手を見る。今はアルケミーグローブも外しているので、手には何もない。そしてその手を強く握ると、1人呟いた。
「俺は、諦めない。」
アルムは静かに顔を上げ、シルヴィアの墓前から立ち去った。その眼には哀しみに満ちた涙ではなく、何かを決意した炎が宿っていた。