7
「近い」
ともすれば頬がふれあってしまうんじゃないか、というくらい近い顔を手のひらで押し返す。はたから見たらおそれ多いのか、周囲がざわつく。確かにこのキレイな顔をむぎゅっと潰す人はそういないのだろう。でも、そんなのは私には日常の一齣。
幼い頃から彼は私に対してだけ、距離零。
一緒に本を読む時はもとより、折り紙等の工作をするとき、勉強ノートを見せあいっこするとき、公園のベンチに座る時も、ピッタリと隙間なく横にいた。
周りも小さい頃からの付き合い。だから、世間に出たとき、それがちょっと尋常じゃないことを忘れていた。
「ん、最後の一口」
そう言って恭太はナゲットのかけらを差し出してきた。むぎゅっとされてもめげずに近い。
お昼過ぎの学食。構内にいくつかある飲食店だが、ここは軽食メインなため、午後のひとときを過ごす学生でそこそこ混雑してた。
躊躇なくそれをそのまま口でパクリと食べると、一瞬周りが驚愕に固まった…ような気がする。だって、フリック入力が出来ない私はスマホの操作に両手を使ってたから。
そんな視線をものともせず、恭太は指に付いたかけらをなめとりながら、伏せていた瞳をつい、と上げて私を見た。
それはもう壮絶な色気をはらみながら。
私の後方、遠くの方でちょっとした悲鳴が聞こえた気がするのは聞こえなかったことにしておこう。気がするだけだ。色気にあてられ赤面しそうになったけど、後ろの悲鳴で我に帰った。危なかった。
結局、恭太とは元のように一緒にいる。
それまで駅で待ち合わせしてたのが、家までお迎えに来るようになって、心配するお母さんの手前、もう逃げるわけに行かなくなったのだ。
あの後、お姉ちゃんと何を話したのか気になるところだが、独り暮らしをしてる姉はそのまま帰ってしまった。
っていうか、なんでこんなに注目されてんの?学食じゅうの目線を全て浴びてるような気になっていたたまれない。
追い討ちをかけるように、恭太は今まで以上に私にかまってくるようになったし。
距離零は昔からだったが、やたらとスキンシップが増えたし、今みたいに手ずから食べ物を与えようとする。なんだこれ?鳥の給餌行動?
それまで恭太といても誰も気にしてるようには思えなかった。なのに見目が変わっただけでこうか。そんな世間の対応にちょっと空恐ろしくなるくらいだった。
もっさい時から常に私と一緒にいたし、家にも行き来してるし、誕生日やクリスマスのイベントごとにはプレゼントをあげあったり…。
してたんだけど、今同じことをしてるだけで周りから好奇の目で見られるのは……なんか理不尽だ。
立ち上がった私の腕をすかざず取られる。
「どこいくの?」
焦燥と不安が入り交じった瞳で見上げる恭太は、捨てられた仔犬みたいだ。
私が逃げたのがそんなにショックだったのか、あれ以来ちょっとでも離れようとするとこういう顔をする。
「トイレ」
「あっ、ごめん…」
そう言って手を離してくれるが、トイレに行くたびにこの一連の流れをやってる気がする。
「ねぇ、上村くんといつも一緒なの?」
トイレで手を洗い、鏡でちょっと髪を直してたら、突然見覚えはあるけどしゃべったこともない女子から話しかけられた。
きたコレ。
ちょっと懐かしさすら覚える、一人になると絡まれるパターン。
小学生の頃は数人で来てたが、さすがは大人、今回はお一人様だわ。
「そうですね」
なるべく感情を出さないように、簡潔に答える。
こういうとき、対応を間違えるとめんどくさいことになるのは経験済み。
そして大概次には二人の関係性を聞いてくるのだ。
「あのさあ、上村くんと一緒にコンパに参加してくれない?」
「はい?」
予想外の質問で、しばし頭が回らない。
コンパ?
コンパって言いました?今?
「あ、ごめん、説明ぶっ飛ばしてた。
私、中山理穂。2年だけどテニスサークルの副部長してるの。」
あ、それ、なんか聞いたことある。
2年生なのに副部長。
そのあまりの行動力と統率力で副部長に任命されるも、今までナンパサークルと揶揄されていたテニスサークルをしっかり建て直し、今やダイエットしたいならテニスサークルへ、と言われるまでの健全なるスポーツサークルへと変換させた…と。
改めてよく見てみると、胸元までの長めのストレートの黒髪を後で1つにまとめ、意思の強そうなちょっとつり目のクール系美人さん。テニスをやってるだけあって、スラリとした体つきは健康的だ。
とても女子特有のネチネチした嫌がらせをするようには見えない。
さっきは良く見てなかった。ごめん。
「で、今度サークルメインでコンパするんだけど、あなたたちにも参加して欲しいの。」
サークルメインでやるのにどうしてサークルに入ってもいない私達を誘うのか?
不信な顔を読まれたのか、ちょっと言い淀みながら
「ごめん、先に言うけど、いわゆる客寄せパンダよ。今回は部員勧誘も兼ねてて、サークル以外の人も参加出来るの。で、沢山の人に参加して欲しいから、多方面から話題の人を勧誘してるのよ。」
その中には人気の臨時講師や、卒業後に有名ベンチャー企業を立ち上げた先輩、高校のミスコン優勝者など、私でも会ってみたい人ばかりを呼んでいた。
「でも、なんでそこで私と恭太?」
そうそうたるメンバーに臆してると
「やだ、自覚ないのね。今や大学内では、あなたがどんなプロデュース能力で彼をあそこまで変身させたかみんな興味津々よ」
プロデュースしてないしーーー!
「しかも彼、すごいイケメンでしょ?芸能人を飛び越えて、どこかの貴族とか血筋のいい高貴な人に見えるわ」
恭太のお父さん、フツーに会社員だからーーー!
「ま、そんなわけで話しかけたい人は沢山いるのに、いつもあなたと二人でいてバリア張ってるからたまには外の世界も体験してみない?っていうのは建前で、パンダになって欲しいだけなんだけど…どうかな?あ、もちろん参加費は頂きません!他のパンダさん達もこちらもちだから気にしないで。」
悪びれる様子もなく自分の都合をぶっちゃけてくれる彼女は、この時は私の中ではなかなかの好印象だったのに…。