第一章 2 『路地裏での一戦』
この街、『冒険街フォルティス』は大きく分けて五つの地区に分けられていた。
他の町との交易を行なう、玄関口となっている東部。物を加工したりその販売が盛んな西部。冒険者協会の支部があり、地下ダンジョンへの入り口がある中央部。モンスターの研究施設がある北部。そして南部は様々な人が住む居住区となっている。
冒険街の名の通り、この街は冒険者によって発展した街であるため、戦えるものは身分が高く、そうでない者は虐げられる傾向にある。そしてその貧富の差は、治安の悪い地区を生み出す元凶となっている。
ツンデレ少女の認定書にはその治安の悪い住所が記載されていた。近づけば近づくほど道路は起伏を持ち、周りの家の塗装は剥がれていく。正直このまま帰りたくなるくらいには不穏な場所だった。
雰囲気や立ち振る舞いなどからそういった印象はまったくなかったから、意外だなと手元の顔写真を覗きながら考えていた――――その時だった。
「――」
誰かが追われている。ここらは不気味なぐらい静かな場所であるから、離れた場所であっても足音が聞こえやすい。
二人……いや、三人分の足音だろうか。しかし関わった所でどうこうできるような力はない。それは今まで生きてきた中で培った、自分なりの処世術だった。
そんな考えとは裏腹に足音はこちらに向かってきていた。
「っ、やべ」
危うく鉢合わせしそうになり、咄嗟に路地に入り身を隠す。物陰から様子を見ると、大事そうに何かを抱えながらフードを被った者がこちらに向かっていた。その後ろには盗賊風の恰好をした男が二人、しかも片方の男はナイフを手に持ち追いかけていた。
細い道で撒こうとしたのか、フードの人間は丁度向かい側の路地に入っていった。しかし、そちらの道の奥には大きな石や木の家具が散乱し、壁を作っているのが確認できる。とどのつまり、行き止まりである。
それを認識した瞬間、フードの人間が声にならない声を出しながら崩れていく。どうやら躓いてしまったらしい。その拍子にフードが脱げる。視界に入ってきたのは、綺麗な紫色の髪を持つ少女だった。
「ったく、手こずらせやがって」
ナイフを持った男は刃先を舌で舐めとりながらゆっくりと少女に、にじみ寄っていった。
「……だ、だれかっ」
声は空しく響いている。あの声量では助けはこないだろう。少女はナイフを突き立てられ、鮮血を流しながら許しを請うが、無残にも殺されるのだろうか。もしくは犯されるかもしれない。
――――それらは、許容できない気がした。
周りを見渡すと、空き瓶が転がっていた。それを手にし、ナイフ男に狙いを定め投擲する。投擲した時の反動を殺さないように身を低く保ち、もう一方の男の元へ走る。
足音に気づいた二人はこちらを振り返ろうとするが、その瞬間に瓶が男に激突する。
「っっ—―――――!!!!」
瓶は衝撃で粉々になり、ナイフ男は声を上げ、頭を押さえながら態勢を崩している。どうやら破片により出血したようだ。もう一人の男は状況を呑み込めず、自らのもとに走ってくる何かに対しての注意が一瞬逸れた。
「くらえ――――」
大きく振りかぶって殴りかかる。が、結果は空振り。俺は態勢を崩したまま男に突進するが、その勢いを殺さないまま受け流され、奥の瓦礫に投げ飛ばされる。
「くそっ—――――がはッ!」
「だ、大丈夫ですか!」
目を開けるとそこには不安そうにこちらを見つめる少女がいた。正直全然大丈夫じゃないが、ともかくウインクをしておいた。
完全に不意をついたつもりだった攻撃が躱されるだけでなく、反撃までくらった。どちらが強いかは一目瞭然だった。
「も、もうやめてください! これなら、差し上げますから……」
少女は泣きそうになりながら、大事そうに抱えていた荷物を差し出す。
「最初っからおとなしく渡せってんだよ……あぁ?」
しかし、男は少女の髪の毛を掴み上げ、睨みつけた後に投げ飛ばした。その頃、俺はまた無力感を感じていた。幼少期から何度味わったかわからないこの屈辱を、ごまかすように立ち上がる。
それと同時に、立ち直ったらしいナイフ男が怒りの形相でこちらに走り出していた。
(この程度でくらくらしてらぁ……本当に情けないな俺は)
「「「よくもやりやがったな! ぶっ殺してやる!」」」
頭の中で言葉がリフレインされながら、風景が白く濁りコマ送りになる。
――殺される。そう思って、目を閉じた。
……しかし、いつまで経ってもナイフが体に到達することはなかった。恐る恐る目を開けると、路地の先からこちらに右手をかざす白髪の男がいた。
「やあ。助けが必要かな?」
ニッコリと笑顔でかざす手の先には術式が発動していた。先ほどから指一本動かないナイフ男を見るに、束縛の呪文でも使っているらしい。
「なんだお前は!」
「いやなに、ここら辺を歩いてると物騒な音がするじゃないか――」
男の問いかけに答えながら、優雅な足取りでこちらに向かってくる。
「気になって来てみると、いたいけな少女が投げ飛ばされ、終いにはナイフで少年を刺そうとしている。状況把握は捨てて、止めに入った次第だが?」
「この……クソ魔術師めッ」
分が悪いと判断したのか、動ける方の男は即座に懐からナイフを取り出し白髪の方に投げる。白髪の男がそのナイフをよけている間に人質でも取るつもりだったのだろう、体を反転させて向かってくる――はずだったが、不自然な態勢で停止している。
「おっと。君の事は、べつに自由にさせてたわけじゃないよ」
「…………かっ……は……」
「こうすると喋れなくなるからね。できれば話し合いがしたかったんだが」
よくよく見ると止まっているのは男たちだけではなく、投げ込まれたナイフまで止まっていた。
(これは……空間束縛!?)
対象を点で捉えるのではなく空間で捉える魔術、それは高位な魔術だ。それを特に詠唱もなしに行使している。尋常ではない人物のようだった。
「くくく、いいね、少年達の驚いているその顔。助けた甲斐があった」
そういいながら今度は右手を前にかざし始める。途端に術式が展開される。
「それと、僕は君の言うクソ魔術師じゃないよ。《言霊使いの荒野狼》、職業は『名付け士』……さ!」
そのまま右手を地面に振りかざすと、男たちはまるで重力に押しつぶされるかのように床に伏せさせられた。しばらくその状態が続き、あまりの圧迫感から気を失ったようだった。
「……ふう。平気だったかい?」
「その、ありがとうございます……助かった」
礼を述べながら後ろの少女を確認する、が先ほどの衝撃でまだ気絶しているらしい。
「いやー、僕が来なかったら終わってたね。はっはっは」
バシバシと背中を叩いてくる。そこは負傷していてとても痛いので辞めてほしい。
「本当に助かりました。その、正直カッコよかったです。俺一人じゃ何もできなくて……」
「君はその子を守ろうとしたんだろう? 君だって十分カッコよかったさ」
正直に感想を言った恥ずかしさと、自分の不甲斐なさでそれきり俯いてしまった。
しばらく沈黙が続いたのちに、そういえば、と思い出す。
「『名付け士』って、そんな職業あるんですか?」
今まで剣士や魔術師など様々な職業に挑戦したきたが、そんな職業は初めて聞いた。
「ああ、あれはまあ、僕が作った職業だから……『自称』ではあるね。僕の正式な職は、魔術師になっている」
そう前置きした上で。
「魔術に名前をつけて効力を変えたり、誰かに二つ名を与えて支援効果を付与する――それが『名付け士』さ」
「……そんなことが可能なんですか」
俺も現在は冒険者に二つ名を与える仕事をしている身、だがそんな効果があるなんて聞いたことがなかった。
ちっちっち、と指を左右に振りながら白髪の青年は嬉しそうな顔をする。
「言葉を軽視してはいけないよ。僕らはイメージとかそういったものに大きく左右される生物だからね。ちょっとコツはいるけど、できるんだなこれが」
「その、コツってのは――――?」
「――――げ、まずい。騒ぎすぎたかな。話の途中で悪いんだけど、僕はお暇するよ!」
何かあったのだろうか、嬉しそうだった顔が途端に焦りの表情に変わり足早と路地から出て行ってしまった。
えらく忙しい人だな、とか名前とかいろいろ聞いておけばよかった、とか色々後悔していると遠慮がちな力で肩を叩かれた。
「あ、あの……」
「ん? あ、平気だったか?」
どうやら少女も目を覚ましたらしい。
「ありがとうございました!」
急に立ち上がって綺麗な九〇度のお辞儀を見せてくれる。そしてその後、立ち眩みを起こしたらしくフラフラと態勢を崩したのを咄嗟に体で支える。
「……あ、あはは、ごめんなさい……」
恥ずかしさからか頬を紅潮させながら謝る少女の顔を覗くと、どこか既視感を覚えた。
「あ、あ、あ、あ、あなた……私の妹になにしてるの……」
「へっ?」
突然後方から震えた声が聞こえる。
次から次に、今度はなんだと後ろを振り返ると、目の前には拳が広がっていた。
「へぶしっ――――!」
今度はコマ送りになる余裕もなく吹っ飛ばされ、薄れていく意識の中「待って、お姉ちゃん!」と叫ぶ声が聞こえていた。