第1話「異世界転移」
八月九日。僕は高校の夏休みを、基本的に部屋に引きこもって過ごしていた。
部屋は洋室で、隅に適当に畳んだ布団、あとはクローゼットとその横に立て掛けてある剣道用の竹刀、勉強机が置いてあるだけという我ながら寂しい部屋だ。
竹刀を持ってはいるが、剣道部に所属している訳ではない(勧誘されたことは多々あるが)。
これを買った理由は、小学生の頃に休みに家でごろごろしていた僕を見て母さんが「子供なら外で体を動かしなさい。」と言われたからだ。
両親はまさか剣道をやると言い出すとは思わなかったらしく、開いた口が塞がらない状態だったことは鮮明に覚えている。
当然両親は反対して買ってくれなかったが、家の手伝いなどで小遣いをコツコツ稼ぎ、九歳の頃に購入することができた。
とはいっても剣道に興味があった訳ではない。
僕が竹刀を欲しかったのは、小学校に入学する前に剣術を教えてくれた人がいたからだ。
もう死んでしまったが、その人と一緒にいた時間は忘れられない思い出だ。
午後一時になり、腹の虫がなったところで昼ごはんを食べようと階段を降りてリビングにやって来た。
両親は仕事でいないが、普段は母さんが昼ごはんを作ってくれている。
だがテーブルの上にはそれらしき物は置いてなく、代わりに書き置きと千円札置いてあった。
書き置きには、「ごめん。昼ごはん作る余裕なかったからこれでなにか買って食べて。」と書かれていた。
そういえば朝起きたとき、ちょっと慌ててるようにも見えた。
このままでは腹の虫をおさめることができないので、近くのコンビニにでも行くことにする。
書き置きと一緒に置いてあった千円札を財布にいれて、家を出る。
僕はコンビニで会計を済まし、さっさと出ていく。
やっぱり外は人が少ない。見渡す限り数人しか見当たらない。
原因としては、人が行方不明になる事件が多発している。
母さんが昼ごはんを用意してくれるのはこのためだ。
この事件は僕が生まれる前から起きていて、最初のうちは二、三人程度だったらしいが、日に日に行方不明者の数が増えてきていて、今年だけでも十七人は行方不明になっている。
警察も調査はしているが、未だに進展がなく、安心して外にも出られない状態だ。
しばらく歩いていくと、突然視界が歪み頭痛が起こる。
(何、これ。)
時間が経つにつれて、歪みがどんどん激しくなり、痛みも増してくる。
(この感覚、まるであの時と同じ…)
頭痛がしなくなり、顔を上げると、僕の知らないところに立っていた。
見渡す限りここは森のようだが、さっきまで僕は町の道路を歩いていた。なのに突然こんな森の中にいるなんて…
(もしもさっきの頭痛があの時の症状と同じならここはおそらく…)
とにかくここがどこか知る必要がある。人があるところにいけばなにかわかるかもしれない。
薄暗いが、なにもしないよりはマシだろう。僕は森の中を進む。
森の中を進んで十分ほど経つが、森を出られる気配がない。
どれだけ進んでも似たような景色ばかりで、どこを進んでるのかもわからない。
「うわぁーーーー!」
突然男の悲鳴が聞こえた!
悲鳴の聞こえた方向へ向かうとそこには狼が爪についた血を舐めていた。
その周りには人間の死体がいくつか転がっていた。
狼がこちらに気付き、こちらに襲いかかってきた。
僕は辺りを見渡し、どうすればいいか考える。
(なにか、なにかないか…あの狼を倒せるなにか…!)
僕が見つけたのは、倒れている人が使っていたであろう剣だった。
僕は狼の突進を回避し、その先にあった剣を手に取る。
狼は再び突進を仕掛けてきたが、僕はそれを避け、隙をついて狼に剣での攻撃を叩き込む。
狼は「グォォ…」と唸りながら動きが一瞬止まり、僕はその間に距離をとる。
再度突進に備え、カウンターを狙うが、その横の茂みからガサガサと音が聞こえた。
音のなる方に視線を向けると、そこから二匹目の狼が突然襲いかかってきた!
「ぐぁ…!」
突然のことでガードが間に合わず、狼の引っ掻き攻撃で左腕を負傷してしまう。
傷は深く、傷口から血があふれでる。
ただひとつわかったことがある。
痛みを感じるということは、これは夢ではないということだ。
つまりここで負けたら僕は死ぬ…
(くっ…このままじゃまずい…)
二匹の狼が同時に襲いかかり、死を覚悟したその時、
「『トルベジーノ』!」
女の子の声が聞こえた瞬間、後ろから強い風が吹き荒れ、二匹の狼が突然切り刻まれた。
切り刻まれた二匹の狼は霧散し、残ったのはよくわからないことが彫られた石だけだった。
「大丈夫?怪我はない?」
薄い桃色の半袖Tシャツに赤色の短いマントを纏った黒いショートヘアーの少女は、僕のもとに駆け寄ってそう尋ねた。
「大丈夫、平気だよ…ッ!」
「大変!腕怪我してるじゃない!ほら、治してあげるから見せて。」
僕はそう言われ、負傷した左腕を見せる。
すると彼女の右手の人差し指にはめている指輪が光り、左腕の傷が塞がっていく。
「これは一体どうなってるの?」
「魔法だけど、もしかして知らないの?」
意外そうに訪ねられ、僕は首を縦に振る。
「でもあなたたちは今魔獣と戦ってたでしょ?それなのに…」
あなた「たち」と言ったのは、恐らく僕がそこで倒れている人たちの仲間だと勘違いしているのだろう。
まあ状況を見ればそう考えるのが自然だとは思うが。
「僕は悲鳴が聞こえたからここに来たらその魔獣ってやつがいたから戦っただけだよ。そもそもこの剣だって僕のじゃないし。」
彼女は目を点にしたような顔をしていた。
「じゃああなたはこの世界に来て間もないの?」
僕は彼女の言い回しが気になった。
この『世界』に来て、と言うことはやっぱり…
「ねえ、やっぱりここは僕がいたのとは違う世界なの?」
彼女は首を縦に振る。
「そうだよ。ここは私たちが以前いた世界じゃない。いってみれば、ここは異世界。ここに来たら、元の世界に戻ることはできない。」
彼女が伝えた真実。
夢でなければ勘違いでもなかった…
僕は異世界転移をしたのだ。
あの時と同じように…