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5.王子様の登場



「ところで、カルス少尉。君とリーフェは―――どういう関係なんだ?」



射抜くような視線が突き刺さって来て、ニークはヒヤリとする。

先刻までリーフェに向けていたルトヘルの優しい微笑みが、氷の様な無表情に変わっていた。クラースの口元も―――薄く弧を描いているが目が笑っていない。

緊張の面持ちで見返すニークの背筋を、ツゥッと冷たい物が伝った。


「彼は、私の従兄いとこなんです。今日は父が仕事の都合で出席できないので、エスコートをお願いしました。私が夜会に慣れていないので、父が気を回してくれたのです」


淡々とした口調で、リーフェがニークが口を開く前に説明を行った。


「そうか、君はリーフェの従兄なのか。じゃあ、これから仲良くさせて貰おうか。……よろしく、ニーク」


ニークはこれ程言葉通りに聞こえない台詞も珍しいと思った。

冷気の籠ったルトヘルの眼差しに、『仲良くする』事を思わず断りたくなった。

ルトヘルの横でニヤニヤ嗤っているクラースからも、何やら剣呑な空気が漂っている気がする。


「……よろしくお願いします……」


ニークは、ゴクリと生唾を呑み込んだ。


その時、ホールの人だかりから熱気が伝わってきた。

楽隊が、貴人の登場を促す荘厳な音楽を奏で始めたのだ。自然と会場に集まる人々の視線が、広間に張りだしたバルコニーに集まり始める。


国王陛下のお目見えだった。


バルコニーに繋がる扉が開かれ、ズワルトゥ王国の若き国王フェリクス=ファン=デル=レーデン=ズワルトゥが現れた。

彼に伴われ王妃が、その後ろに王弟アルフォンスが続く。


フェリクスとアルフォンスの銀髪はキラキラと輝き、その心の底を見通すような薄い灰色の瞳は、有史に五百年続くと記録されている王族の血が、確かにそこに受け継がれている事を主張していた。


広間は歓声に包まれた。

フェリクスが王弟の誕生日に祝福の言葉を唱え、皆への労いの言葉を掛ける。これが、この夜会を始める合図となる。楽隊が寿ことほぎの歌を奏で、バルコニーからズワルトゥ王国の頂点に君臨する王族達が、まるで天井から地上へ降り立つかのように柔らかい絨毯を敷き詰めた瀟洒な階段を伝って広間にゆっくりと降り立つ。


そして若き国王と王妃のダンスで―――王弟アルフォンス=ファン=デ=ヴェールト=ズワルトゥが十四歳となる誕生祝の幕が上がったのだった。


美しい二人の巧みなダンスは、見る者全てを魅了していた。王妃はファン=デーレン公爵家出身で、クラースの姉だった。少し垂れ目がちな瞳を細める妖艶な美女の微笑みに、うっかり見惚れるあまり口を開けたままボンヤリする者、手に持ったグラスを取り落としそうになる者―――熱に浮かされた貴族子弟がそこここに見受けられる。女性陣も一つに纏められた若い国王の長い銀髪が揺れ、妻を気遣うように細められた端正な眼差しに熱い溜息を吐き胸をときめかせた。『王宮の月』と呼ばれる女神のような冷たい容貌が、僅かに和らいで見える。そのむつまじい様子が、何とも言えず若い女性の妄想を掻き立てるのだった。




「眼福ですねぇ」

「だな……」




ホウっと魅入るリーフェに、ニークは激しく同意した。

二人とも御伽噺の様な美しい光景に暫くの間、目を奪われる。

国王陛下の忠実な臣下であるルトヘルとクラースも、見事な一対が紡ぎ出す極上の光景を見守った。


朴念仁のリーフェだが、美しい物に対して感動する気持ちも普通に持ち合わせている。ましてやこれはデビュー後二度目の夜会なのだ。物珍しさも相まって、この最初の豪華な演目に、ついつい目が釘付けになってしまった。

だからその時、あまりリーフェは周囲のざわめきに意識を向けていなかった。ホールの中心で踊る二つの完璧な作品に心を奪われるまま……ニークに後ろから腰を何度か小突かれても、気付かず見入っていたくらいだ。


が、終に焦れ切った彼に脇腹の余分な肉をギュっと摘ままれ、飛び上がった。




「……ニーク!」




キッと批難の目を従兄に向ける。すると切羽詰まったような彼の真剣な表情に、漸く彼女はこの場で何かが起こっていると言う事に気が付いたのだった。


いつの間にか周囲の人垣がざっと割れて、風通しが良くなっている。引き潮のように人が引いた跡に―――現れた一本道の中心をユッタリと歩み寄ってくる人物がいた。その場にいる全ての人間が息を呑んでその煌びやかな少年に注目している。


リーフェは思わず……瞬きを繰り返した。


王弟アルフォンスが、リーフェの前に進み出て来る。

リーフェが居たのはこの広い舞台の端っこで、目立たない場所の筈だった。

尤も『蒼の騎士』と『薔薇の騎士』、二人の人気騎士が佇んでいると言うだけで周囲の貴族女性の意識を強烈に集める事となってはいたが。




「殿下……」




何故今日の主役がこのような広間の端まで足を運んだのだろう。

自分の元にワザワザやって来たのだと言う事は、その視線が真っすぐこちらに固定されている事で理解できたのだが―――リーフェはまるで夢の中の出来事か何かのように、輝くばかりに眩しい銀髪の少年が歩み寄って来る様子をポカンと見守っていた。


アルフォンスは呆けるリーフェの正面まで来ると歩みを止める。そして彼女の隣に並び立つニークに、ちらりと一瞥をを与えた。

ニークは心得たように腰を折って、一歩下がった。するとリーフェの背後にも、アルフォンスはもの言いたげな視線を向ける。そこに控えていたルトヘルとクラースが……少し皮肉な微笑みを返しつつ腰を折った。今この場所では軍隊内における気安い様子は、二人から払拭されている。王国軍切っての精鋭達は、公式な場で親し気に振舞うような愚は犯さない。―――それをお互い承知していた上での遣り取りだった。


アルフォンスは、一面に銀糸で刺繍が施された白い夜会服を着用していた。本日の主役である王弟の召し物としては、豪華さに欠けるように見える。だがそう思うのは一瞬で、直ぐに皆その仕立ての良さに気付くであろう。なによりその衣装は―――彼の輝くばかりの魅力的な風貌と稀少な銀髪の美しさを、より一層引き立てる役割を見事に果たしていた。アルフォンスの内側から発せられる煌びやかな王者の資質は、零れ落ちるような輝きを放っている。敢えて飾り立てる必要などない、衣装は添え物でしかないと―――その場にいる誰もが理解できるほどに。




「リーフェ、来てくれて有難う」

「こちらこそ、お招きいただき有難うございます」




ふわりと微笑むアルフォンスに、リーフェは丁寧にお辞儀をした。


少し鼓動が早くなった。緊張もしている……しかしそれ以上に彼女の胸を高鳴らせるのは、彼の思った以上の成長振りだった。


こうして今日目の前に現れたアルフォンスは―――立派な紳士だった。一瞬、自分がこれまで見守って来た『大事な弟』と同一人物だという事が認識できないほど……青年に羽化しようとしている凛々しい少年は、その場所で堂々と存在感を溢れさせていた。


初めて会った時……彼は項垂うなだれて、水を失い枯れる寸前の花のように萎れていた。暫くすると―――元来のやんちゃな悪戯坊主が顔を出し始め辟易する事もしばしばだった。

そして今では……彼は大人の男性として確実に一歩踏み出している。

鈍いリーフェも薄々感じていた。彼が自分に見せる子供っぽさや甘えは……戯れのようなもので、一種の擬態なのかもしれないと。彼女の『姉』としての居場所を確保するための彼の優しさなのではないかと。


少年というさなぎが本物の紳士に羽化して行く様を―――リーフェは日々感じていたのだ。

そして今。こうして十四歳の誕生日を迎えて、立派に成長した大人になりつつある男性として―――今リーフェの前に姿を現したのだ。


顔を上げたリーフェの瞳は堪え切れず滲みだした涙で、潤んでしまう。


彼の巣立ちは間近だ。


そう思うと昂揚と寂寥が綯い交ぜになって彼女の心臓を震わせる。様々な感情と感動が、リーフェの胸にせり上がって来て彼女の小柄な体いっぱいに満ち、あふれ出しそうになった。


アルフォンスは瞳を潤ますリーフェに、少し恥ずかしげな表情を浮かべた。


「着飾った所、初めて見たけど……とっても綺麗だ」

「殿下も……ご立派です」

「リーフェ、踊ってくれる?」

「え?」


アルフォンスは、すっと右手を差し出した。リーフェは戸惑う。


「私は……あまりダンスに自信がありません。それに、もっと相応しい方と踊られたほうが……」


会場にはおそらく身分の申し分無い、アルフォンスの年齢に見合った美しい令嬢達がひしめいている。彼女達のダンスの腕もリーフェの数倍、いや数十倍くらい素晴らしいものだろうと彼女は思った。それにリーフェの貧弱なダンスセンスを、レッスンの相手を時折務めたアルフォンスはよく把握している筈だった。


助けを求めるように、リーフェはニークを振り返る。


ニークは、その仕草にギョっとした。

まさか王弟殿下の申し出を断る気なのか……とリーフェの不安げな眼差しに鋭い視線を返した。社交経験の乏しい従妹が、衆目の前で本日の主役であり、かつズワルトゥ王国の頂点に鎮座する王族の申し出を無下にするかのような常識に欠けた振る舞いを示した事に、彼は心底動揺してしまった。


厳しい渋面で『避けられる事じゃないから!』と、彼は言葉にできない返事を返した。


そんなリーフェの、従兄を頼る仕草をアルフォンスが厳しい視線で見ていた事に彼女は気付かない。

アルフォンスは諦めたように溜息を吐いて―――彼がいつも使うリーフェを陥落する為の手段を用いる事にする。彼はリーフェに今一歩近づき、周囲に聞こえないよう声を潜めて彼女に甘えた。


「リーフェ、私も緊張してるんだ。慣れた相手でないと、最初のダンスで躓いてしまうかもしれない。……いつも通りで良いんだ。今日はたくさんの相手と踊らなければならないかもしれないだろう?助けると思って、手を取ってくれないか?」


アルフォンスは、リーフェが折れる方向をよくよく心得ている。

大勢を相手にする事を匂わし特別感を薄くし、自分の弱さを支えてくれるよう庇護欲に訴えた。

何だかんだ言っても、いつも最後にはリーフェが彼の『お願い』を聞き入れてしまうと言う事を―――アルフォンスは経験上よく知っている。


「……承知しました」


リーフェが観念して左手をアルフォンスの手に伸ばすと、アルフォンスはホッと安堵の息を吐いて見せた。


「……ありがとう」

「こちらこそ、光栄です」


ダンスフロアとなっているホールの中央では国王と王妃のダンスが終わり、今まさに周囲から拍手喝采を浴びている所だった。

アルフォンスはリーフェの手を引き、ホールの中央に進み出る。その優雅な一連の仕草には一部の隙も見られない。

大勢の招待客が注目する中、フロアの中央に立ち彼と向かい合った途端―――リーフェは、アルフォンスに謀られたのかもしれないと思った。先ほど彼が子犬のように訴えてきた緊張の色が、彼の振る舞いのどこにも見られなかったからだ。


衆人環視の中でダンスを披露するような目立つ行為は、リーフェのあまり得意とする所では無い。それを、アルフォンスは承知しているはずだった。何組ものカップルが踊る輪の中に混じるのとはわけが違う!……と、気付いたがもう遅かった。



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