20.視察
疲弊した兵達に休養を取らせ、アルフォンスはルトヘルだけを連れてウンチュウの外れにある収容所を訪れた。辺境と雖も周辺一帯の広い地域を統括している知事のインリーは多忙であるらしい、二人の案内役はヒョロリとしたいかにも事務方といった目の細い男に託された。
その男はアルフォンスが視察を願い出た際、インリーの後に付き従い書類を抱えて応接室に入って来た事務担当者らしい男だった。
収容所は古いがしっかりとした作りの堅牢な建物だった。浅黒い肌で髭面の蛮族の男達は数名ずつ分けられ収容されている。石造りの厚い壁と鉄製の重い扉で房と廊下は仕切られており、扉に就いている小窓から中を覗く事が出来た。物音はあまり中に響かないらしく、アルフォンス達が廊下にいる事には収容されている彼等は気が付いていないようだ。言葉を交わしている者は少なく、ボンヤリと床に座り込んでいる者が大半だった。
「随分大人しいな」
「……暴れたりしないよう薬湯を飲ませています」
小窓を覗き身を引いたアルフォンスの呟きに、案内役のジュエは細い目をますます細くして応答した。恐縮しているのか、言葉毎に頭を下げる癖があるらしい。
「いちいち頭を下げなくても構わない、貴方は私の部下では無いのだから。ほら、私の部下の方がよほど私より偉そうだろう?」
アルフォンスが苦笑しながらそう言うと、ジュエは「は、はい!」と益々恐縮したように頭を下げた。ルトヘルはこれでは自分は落とされ損だ、とは思ったが恐縮する様子のジュエをこれ以上怯えさせるのも上手くないと、言われるがままにして不機嫌そうに沈黙を貫いた。
ジュエは細くてヒョロヒョロとした若い男だ。見るからに剣も握った事も無いように見える。
きっとアルフォンスのような、高貴に生まれ出でた者がしばしば持つ衒いの無い突き抜けた明るさと、黙っていれば威圧感ばかりが目立つ体格の良い厳つい自分のような如何にも騎士然とした人間などには芯から委縮せずにはいられないのだろうと、ルトヘルは推測した。
幾つか房を確認したが、どの房にいる蛮族も大人しいものだった。
収容棟を出て事務室のある監視塔に戻り、古いソファを勧められた。焦って茶を用意しようとするジュエを制止して、アルフォンスは世間話のように尋ねた。
「知事は首都から新しく赴任されたと聞いたのですが―――実務は滞こおりなく進めていらっしゃるようですね。ジュエと言いましたね、貴方も首都から?」
「ええ、知事が赴任されるのと同時期にこちらに配属されました」
ジュエは額の汗をポケットに入れていた手巾で拭った。アルフォンスはその様子を微笑んで眺める。
「大変でしたね、いきなり知らない土地で執政を行うのも事務を取り仕切るのも、慣れるまではなかなかな手間ではないですか?」
丁寧な言葉で労う高貴な身分の少年に、只管恐縮した様子のジュエは一度しまった手巾を再び出して、もう一度額と顎を拭った。
「いえ、私は元々こちらの出身ですから……」
「へえ!じゃあ、事務所にも知合いが多いのですか?」
「そうですね、基本的に事務所に働いている者は地元の者ばかりですので」
「では……前任の知事についても、よくご存じなのですか」
「え?」
不意に前知事の話題を振られ、ジュエはキョトンと目を見開いた。
「前任の知事もこの土地の方だと、宴席で可愛い女の子が言っていました。なかなか蛮族のアジトに関する情報が届かなかった間少しジリジリしたものですが……知事にお気遣いいただき色々ともてなしていただけたので、酒の席でこの土地の話を聞く機会に恵まれて―――なかなか興味深い話が効けました。……その子の話だと何か不祥事を起こして左遷された前知事は、仕事を辞めてひっそりと暮らしているそうですね?前知事は市民にはかなり好かれていたと聞いたので―――その尻拭いに着任したとはいえ、ある意味余所者であるインリー知事はかなりご苦労されているのではないですか?」
「あ、ああ……そうですね。前知事は……しかし、今の知事もお優しい方ですので。今は慣れない気持ちが大きくて反発する市民もあるでしょうが……慣れればきっと大丈夫ですよ」
ジュエはそう言うと、アルフォンスに曖昧な笑みを返した。
緊張しているのか、何かを警戒しているのか。どちらにせよ、この男からインリーの事は何も引き出せそうにない、と彼は思った。ルトヘルが踏み込み過ぎる主に眉を顰めた。
「アルフォンス様、他国の内情をあまり詮索なさいますな」
如何にも窘めるお守役―――と言った調子で話すが、その本人が自らこの情報を調べて主であるアルフォンスに伝えたのだ。顔には出さずにアルフォンスは内心苦笑した。
「分かった、分かった!ただちょっと気になっただけだ」
煩そうな素振りで、軽く手を振って話を切り上げる。しかしまだまだ好奇心を隠し切れない、初めての行軍に興奮した若い王族と言った仮面を被り、アルフォンスは新たな疑問をジュエに投げ掛けた。
「ところで話は戻りますが、こちらに収容している男達はこの後どうされるのですか?まさかこのままここで飼い殺しにする訳にも行かないでしょう?―――纏めて処分されるのですか」
「処分―――いえ!そんな!」
慌てるジュエに、アルフォンスは無邪気な様子で首を捻った。如何にも分からない、と言った調子で―――それは、高貴であるがゆえに他の存在を軽んじる事が当たりまえになっている、と言うような無邪気さだった。
「討伐と言いつつ、実際は捕縛するよう依頼されたのが不思議だったのです。その場でバッサリ処分してしまえば、ワザワザ運ぶ手間も省けるし収容所での維持費も削れる。私もそれを期待してここまでやって来たですが……」
ニコリとワザと優し気な微笑みを浮かべてみる。すると血なまぐさい事に如何にも免疫が無いように見えるヒョロリとした男は見るからに蒼くなった。
「あ……あの……我が国では……」
ゴクリと唾を飲み込み、膝の上で拳を握ったジュエは、気持ちを奮い立たせるように弁明した。
「殺生はなるべく行わない事が―――巫女姫様の御意志なのです。殺生を行うと、相手を倒し、排除する事は可能ですが―――同時にこちらの手も心も血で汚れてしまう。……そう言った穢れを巫女姫様は厭うのです。私共巫女姫様の臣民達の手と心が穢れてしまえば―――臣民の安寧を願う巫女姫様の心にも穢れが忍び寄ると言われています。実際、穢れた者の浄化を行う数が増え、巫女姫様が神力を多く振るわなければならなくなるため、その大事なお体に対する負担も大きくなります」
言い募るジュエの瞳に籠った熱心さは、冗談の欠片も感じられない。アルフォンスは予想とは違う回答に少し戸惑ったが、興味を失った様子を見せずにもう一言質問を重ねた。
「では、収容した男達はこのままここで一生監視していくのですか?」
かなり効率も悪いし、負担も大きい。国ごとの考え方の違いと言い切ってしまえばそれまでだが、予算が無尽蔵に湧き出て来るようなそんな余裕のある国がワザワザ他国に援軍を頼むとは思えない。蛮族を捕まえる傍から籠に入れ、虫のように飼い殺すなんて不可能だとアルフォンスは考えた。ルトヘルも同じらしく少し驚いた様子で、口は挟まないもののオロオロと弁明するジュエを眺めていた。
するとオズオズと顔を上げたジュエは、首を振って否定した。
「ここに収容されたものは、首都に近い町に送られ再教育を受ける事になっています。これは他民族に関わらず、犯罪を犯した者も同様です。無事に再教育を受ければ、元の場所に戻されるなり、別の土地に移すなりして収容所を出て暮らす事も可能になります」
「再教育……?こちらに侵攻して来た他民族に対して?もしかして普通に市民として市井で生きて行く事も可能なのですか?」
「ええと……そう、聞いております。ただホフマン首長国に元々住んでいた一般市民と違い、常識や言葉も獲得していない他民族ですし、最近多く収容されることになったばかりで再教育が上手く行って解放された例はまだないそうですが―――少なくとも努力を続けているのだと、私どもは伺っています」
少し自信なさげに言葉を繋ぐのは、ジュエが完全に全体を把握している訳では無いからだろう。それなりに物を知っているし気が遣える男なのだろうが、深い事情を把握し立ち回っていると言うような老獪さは弱々しいその態度からは感じられなかった。
ルトヘルはこの遣り取りを目にしてこう思った。ジュエは見知らぬ土地に慣れないインリーの、便利に使える手駒として首都から連れてこられたのだと。きっと彼に鎌をかけても、これ以上の情報は引き出せないだろう、とも。
果たしてアルフォンスは思った通り、乗り出していた身を引いて姿勢を正した。
「ジュエ、有難う。よく分かったよ。ホフマンには面白い制度があるんだね。首都に戻ったらその再教育施設も視察させて貰おうかな?その制度をズワルトゥの犯罪抑制にも生かしたいと思ったよ。他国の仕組みと言うのは本当に勉強になるなぁ……!」
無邪気に瞳を輝かすアルフォンスを見て、ルトヘルはヒヤリとした。
まるで本気でそう言っているような、明るい様子に嫌な予感を掻き立てられた。
「アルフォンス様、あまり長居をしてはご迷惑では……」
溜息を吐いてそう進言すると「そうだったな!いや、あまりにジュエの話が面白くて夢中になってしまったよ!」とワザとらしく笑ったアルフォンスが席を立った。続けて席を立つと、慌てたようにジュエもヨロヨロと立ち上がった。そして話が終わる事にあからさまにホッとしたように、肩を下げて息を吐いていた。
明日一日、ルトヘルは兵達に休養を取らせ自由を与える予定だった。
翌々日首都へ向かって出立するつもりだったのだが―――その後スムーズに港町へ旅立ちたいとのルトヘルの絵図は変更されるのだろう、溜息を吐くジュエを見てルトヘルは自分も盛大に大きな溜息を、アルフォンスの前で吐いてみせたい衝動に駆られたのだった。




