19.視察の申し出
知事のインリーは、アルフォンスが収容所を視察したいと申し出ると少し躊躇ったが―――ルトヘルが想像したよりずっと早く、色好い返事を返して来た。
アルフォンスは終始一貫してインリーの前では血気盛んな少年、少し前のめりなヤル気を見せる世間知らずな大国の王弟……と言う姿勢を貫いていた。ルトヘルはその演技に乗っかって、遠征軍の将軍と言う大任を担うにはまだ時期尚早な若い王弟の我儘に付き合う側近、と言う立場を演じ通した。アルフォンスに聞こえないように「苦労を掛けます、すいません好奇心旺盛で」などとインリーの耳元で呟き、苦笑して見せたりもした。
しかしルトヘルは実際、アルフォンスの行動を好ましいものとは思っていなかった。余計な事に首を突っ込まず、課せられた義務を一通りこなした後は速やかに撤収するのが望ましいと考えていたからだ。
同盟国の苦難を救うと言えば聞こえは良いが、所詮他国の問題である。要するに今回はホフマン首長国に貸しを一つ作り、いずれ何等かの形でその貸しを返して貰う事が目的だ。元々ホフマン首長国から側妃を受け入れるよう公なものでは無いが幾度か打診を受けて来て、それをズワルトゥ国王であるフェリクスが個人の事情で跳ねつけて来た経緯がある。その負い目もあって、今回援軍の要請をすんなり受け入れざるを得なかった、と言うのが結局のところ一番裏の理由としては大きい。
だから、要請を受けた蛮族討伐を果たした事で―――既にフェリクスの面目は立っている。
シーアンの対応に違和感があろうがインリーとシーアンが密かに繋がっていようが、ルトヘルにとっては結局は対岸の火事。既に各地の情勢が落ち着きを見せているとの情報は掴んでいる。このまま違和感になど気付かなかった振りを装い、巫女姫に成果を報告し更なる要請がなければ……例えあったとしても事前の約束は果たしたのだと約定について確認し合い、出港する船に直ぐにでもアルフォンスを押し込んで帰国の途についてしまいたい、と言うのが正直なところだ。
つまりルトヘルの気分、本心は『演技そのまま』と言っても―――実際決して過言ではない。
要は大事な大事なズワルトゥの王弟、王宮の太陽たるアルフォンスに何等かの手柄を立てさせ、ホフマンへの義務をある程度果たした後は、彼を無事に本国へ帰国させる事がルトヘルにとっては重要な事だった。遠征軍に死傷者がなければなお、良い。幸い現時点では負傷者はいるものの死者はゼロ。ホフマンの要請に応じた成果も既に上げた。次は安全にアルフォンスを本国に連れ帰るのが肝要だ。
もしホフマンの内政に問題があり、それがズワルトゥの国益に反するならば―――その時は改めてアルフォンスの安全を確保してから対処すれば良い。
だからアルフォンスが何かに気が付き、その疑念を解決したい一心で他国の問題に足を踏み入れようとしている事にはあまり賛成できない。第一本人が動いてどうする、と思う。信頼できる部下に諜報活動なり秘密裡な工作なりを任せてしまえば良いのだ。将は泰然として軍師を登用し決定を下すものであって―――決して自ら駒となって動くべきものではない。第一そんな将を抱えた隊の軍師や兵は、全く気が休まらないではないか。
そんなルトヘルの胸の内は十分アルフォンスは分かっているのだろう―――これまでルトヘルは自分の知識や考えを後輩騎士であるアルフォンスに逐一ネチネチと説いて来たのだ。将来軍を率いる立場とはどういうものか、旗印の役割はこうあるべきだと教えて来たつもりだった。しかし―――
「そんな苦い表情をするな。演技過剰だぞ」
「……本心から、賛成できかねるのです」
手続きの手配の為応接室に二人を残してインリーが部屋を出た後、柔らかな素材で作られた背もたれに背中をズシンとあずけ相好を崩したアルフォンスが、笑いを噛み殺したような声で、隣に腰掛けるくせのある黒毛を丁寧に撫で付け秀麗な眉根を顰める、体格の非常に立派な青い目の男に囁いた。ルトヘルが苦々しい口調でそう返すと―――崩れた姿勢のまま彼の上司に当たる王弟は噴き出すのを堪えているような嫌な嗤いを口元に浮かべていた。その様子を目にしたルトヘルは―――あからさまに溜息を吐いて見せた。
するとククク……と堪えきれずに嗤いを漏らして、銀髪を煌かせた王弟は如何にも楽しそうに口を開いた。
「お前だっておかしいと言っていただろう」
「ソレはソレ、コレはコレです。まずはアルフォンス様を安全に本国に送り帰す事が先決ですから」
「ルトヘル、お前仕事とプライベートは分けるタイプか。悪い遊びや危険な賭け事に興じる楽しみを教えてくれた……あの蒼の騎士様とはまるで別人だな」
「……仕事は仕事ですから」
するとフッと軽く口角を上げて、アルフォンスは空を見つめた。
「まあ俺も少し気になっただけだ。……深入りするとは限らないから……」
そんなに心配はするな、そう言い掛けて口を閉ざす。
インリーが戻って来る気配があって、アルフォンスはすっと悪い嗤いを引っ込め姿勢を正し、見方によっては無邪気にも見えるような真摯な表情を取り繕った。扉が開き、インリーが何やら書類を手にした部下を伴って来るのを目にした途端、はじけるように席を立ち嬉しそうに朗らかな声で礼を述べたのだった。
全く、大したものだ。
ルトヘルは再び溜息を吐き、本心から滲む苦笑でもってアルフォンスに並び立ち、インリーの労をねぎらい心からの謝辞を述べたのだった。




