4.ルトヘルとクラース
「リーフェ、久し振り。珍しいね、君が夜会に参加するなんて」
ルトヘル=デ=クヴァイ少佐は、長身の鍛え上げられた軍人らしい体躯を濃紺の夜会服にピッタリと包み、長い手足を組んでいた。彼は妙齢の貴族女性達の間で『蒼い騎士』呼称され、その誠実な人柄と端正な容貌で絶大な人気を誇っている二十三歳の王国軍に所属する騎士である。
黒いクセのある髪を撫で付けた精悍な面差しに光る、湖の底のような蒼く鋭い双眸の美しい若者だった。
「まるで小白草の妖精のようだ。リーフェ、元気そうだね」
ルトヘルの肩に腕をかけて嫣然と微笑んでいる彼より一つ年下のクラース=ファン=デーレン大尉は、王家の血族の証である銀髪をサラリと靡かせてそう言った。少し垂れ気味で優し気な印象を与える榛色の瞳の、端正な美人である。学生の頃から女性と相対する場合、美辞麗句を用いるのが通常運転であった為、リーフェは彼の勿体ぶった褒め言葉には全く何の反応も見せなかった。
『薔薇の騎士』の微笑みはまさに匂うように色気があり、まるでそれが雫となって溢れてくるような錯覚を見る者に抱かせる。男のニークでもついクラリと眩暈を覚えそうになるのに―――リーフェは何事も無かったように気持ち良く応じている。
「ルトヘル様、クラース様。お久しぶりです」
淑女の礼をとって、リーフェは微笑んだ。
ルトヘルとクラースもニコリと彼女に笑い掛け―――それから傍らのニークに視線を移した。
「君は確か、鷹の軍に所属していたよね。カルス家の……」
「はい、少尉のニーク=カルスです」
ニークは軍の敬礼にあたる、足をカツンと揃えて胸に手を当てる仕草を示した。
「リーフェは夜会が苦手だと思っていたよ。出席できるなら私にもエスコートの機会を与えて欲しいな」
ルトヘルが精悍な顔をふわりと和らげて、そう言った。
「苦手ですよ。今日は……王弟殿下のご用命があって馳せ参じました」
「殿下の家庭教師はまだ続けているんだよね」
「はい」
クラースが美しい顔を綻ばせて言った。
「そろそろ家庭教師を辞しても良い頃合いじゃないか?殿下ももう十四、あと二年で立派な成人男性なんだ。君の実力は勿論承知しているけれど―――十四にもなる立派な『男』が、妙齢の令嬢とべったりというのもあんまり褒められる事じゃないよね。特にこれからは……お妃選びが始まるだろうから」
そう言って彼は、少し眉根を寄せて苦笑した。
リーフェも僅かに頷き、表情を曇らせた。
「そうですね……」
タイムリミットを意識させるクラースの台詞は、リーフェの心に一抹の寂しさを呼び起こした。すると隣に立っているルトヘルが、クラースを肘で小突いた。
「クラース!……余計な事を言うな」
リーフェの気落ちした様子を目にし、ルトヘルはクラースを咎める。そして気づかわし気に小柄なリーフェの顔を、背を屈めて覗き込んだ。
「クラースの穿った見方なんて、気にする事は無い。リーフェは仕事でやっている事なのだから、誰に責められるとか……口さがない周囲の野次など考慮する価値もないだろう」
ルトヘルの思い遣りを感じて、顔を上げたリーフェがはにかんだ。
すると、彼はホッとしたように顰めた眉根を解いてニコリと笑う。
その様子を黙って眺めていたクラースがルトヘルに冷たい視線を送り、平坦な声で囁いた。
「無理しちゃって。ルトヘルのほうが、面白くないくせに……うぐっ」
「いい加減にしろ、クラース」
ルトヘルは腰を起こして、クラースの首を乱暴に掴んだ。
クラースはそんな扱いを物ともせず、呻きつつもルトヘルを挑発するようにニヤニヤしている。
リーフェは苦笑しながらも、二人のじゃれあいを一歩引いた姿勢で見守っていた。
ルトヘルとクラースについて、軍での厳しい姿と夜会での華やかな姿しか目にしていないニークは、目を丸くした。リーフェの動じない様子も、立派な体格の精悍な騎士たちが、少年のように小突き合う姿にも、彼は驚きを隠せない。
「随分……仲が良いんだね」
リーフェはニコニコしながら、ニークの質問に答えた。
「そうですね。お二人はいっつも、こんな感じですね」
学院と王宮、自邸を往復するほか野草採取に野山を歩き回る……社交界から隔絶した生活をしているリーフェにとっては、学院時代以来こういった二人の遣り取りは見慣れた光景となっている。
彼等と社交場で顔を合わせるのは、今回が初めてだった。だから社交場で彼らがどのようにスマートに女性達をあしらっているかとか、政敵相手に辛辣な駆け引きを繰り広げているかなど―――社交界の貴族達が一般的に彼等に抱いているイメージについて、リーフェは全く無知な状態だった。彼等の有名な通り名さえ、さきほどニークに聞いて初めて知ったばかりである。
ましてや軍隊内において、ルトヘルが厳しい指導で有名な威圧感の塊で、クラースが笑いながら不要な物を切り捨てる冷酷な上司であると―――部下達に畏怖されているなどとはは全く想像もしていなかった。
「ふーん……」
どうやらリーフェにとって二人に対する世間の評判はそれほど重要な物ではないらしい。そうニークは了解すると、傍観を決め込む事にした。下手な事を言って権力も実力も兼ね備えている上司に睨まれたくないと思ったからだ。
ところが、そんなニークに向かって唐突にルトヘルが水を向けた。
「ところで、カルス少尉。君とリーフェは―――どういう関係なんだ?」
射抜くような視線にニークはヒヤリとし、緊張した面持ちで冷たい碧い瞳を見返した。