15.アダの失踪
リーフェの真剣な視線を、ウートウシュは受け止めるように向き直った。
「おそらく」
その声は少し声の低い女性と言われても不思議の無いトーンだった。こんな時だがリーフェは思った。この黒髪の美少女にしか見えないウートウシュはひどく若いのではないかと。ひょっとすると彼は……まだ声変わりをする前の少年なのかもしれない。
「……可能でしょうね。本来ならアダ様は未だに巫女姫として神殿の御簾の中にいらっしゃる筈でしたから」
「ええと、それはつまり……?」
「『巫女姫』は定期的に試験によって代替わりをします。神殿で巫女姫候補達が競い、その頂点になる者が当代の巫女姫と力比べをして、強い方が次代の巫女姫となります。本来であればアダ様がそのまま巫女姫をお続けになる筈でした」
「つまり先代巫女姫であるアダ様の方が現在の巫女姫様より強い神力をお持ち……と言う事なのですか?」
「はい」
「では、何故?あの……アダ様は力比べに手を抜かれたと言う事なのでしょうか」
リーフェは思った。アダが失踪したと言う事実を考え合わせればそれはすなわち、もう彼女が巫女姫を続ける気が無くなったのでワザと手を抜いたと言う意味なのでは無いか、と。
するとウートウシュは溜息を吐いた。
「そうとも言えますし……そうとばかりも言い切れないのです」
「ハッキリ言えよ。どういう意味だ?何故アダと言う能力者は巫女姫を降りて、失踪したんだ?」
謎掛けのような曖昧な返事に、ニークは焦れたようだった。
「力比べの際に不正があったのです。アダ様が負けるようにそれは仕組まれていました。そしておそらく―――アダ様はそれでもなお、私達を抑えつける事は可能だったのです。けれども其処までされてしがみ付く立場ではない、とアダ様は判断されたのでしょう……元々巫女姫になりたくてなった方ではありませんので」
「『不正』?『私達』とはどういう意味だ?」
ニークが訝し気にウートウシュを見た。まるでウートウシュそのものが巫女姫であるかのような物言いを不思議に思ったのだ。
「そう言えば巫女姫様はシーアン様の縁戚であられると伺いました。貴方も彼と関係があるのですか?ウートウシュ様」
「……私も……私と姉はシーアンの縁戚にある者に養子として迎えられました。」
「姉?」
「はい、姉は今御簾の中におります。私達は本来ならば一人でしか挑戦出来ない力比べに、二人がかりで参加したのです。しかもシーアンは念には念をいれて、その力比べに向けてアダ様の食事に神力を抑える作用があると言う薬草を混ぜて提供していたようです」
「え……じゃあ、先代巫女姫を辞めさせる企みにお前も関わっていたと言う事なのか?」
「はい」
ウートウシュはその黒いつぶらな瞳を、初めて辛そうに伏せた。
「それなのに、シーアンの手先だったお前や巫女姫が何故、先代巫女姫を呼び戻そうとしているんだ?」
「私達姉弟は食うや食わずだった所をシーアンに拾われたのです。受けた御恩を返す為に、それが正しい政治の為、ホフマン首長国の貧しい子供達の為なのだと言う彼の言葉を信じて、行うべき事を行ったつもりでした。しかし―――神殿に属し、決してシーアンの言う事ばかりが真実ではないと言う事を知ったのです。アダ様はシーアンにとって目の上のタンコブでした。これまで華族出身の御しやすい巫女姫が続いて来たのですが、アダ様は市井を、それから首都以外の辺境の蛮族の事をよくご存じでした。だからシーアンの思い通りにならない託宣を告げられる事も多く―――おそらく目障りだったのでその場を追われたのです」
「だから身を隠した……」
リーフェが呟くと、ウートウシュは苦々しい表情で頷いた。
「ではアダ様のご実家である村の方々も……蛮族に滅ぼされたと言う訳では無くて身を隠されているのですね」
「おそらく」
「何故放って置いてやらないんだ?」
ニークが憮然とした面持ちで言い放った。
「アダ様とやらの気持ちは要するに、もうアンタらに付き合ってられない、自分の身も危ないらしい、だから姿を消したって事なんだろう?追い出しておいて引き戻すなんて訳が分からない。それに何でそれに我が国の大事な王弟を巻き込むんだ。ズワルトゥを怒らせてホフマンがこのまま無事でいられるなんて―――甘い考えを持っているなら、今すぐその幼稚な認識を改めた方が良いぜ」
ニークが殺気の籠った視線をウートウシュに送った。ウートウシュは圧力に動じる姿勢は見せなかったものの、物憂げな表情のまま頷いた。
「これは賭けでした。アダ様の意志を変えられるのは―――アルフォンス様しかいないと巫女姫の易占に出たのです。ただ易占は幾つかの可能性を示すだけです、必ず未来が決まっている訳ではない。アルフォンス様は今後アダ様の運命に深くかかわって来るお方、彼の輝きを見捨てる事は未来を視る事が出来る者にとっては、とても難しい事なのです。……生命にはそれぞれ独自の輝きがあります。その光の強さも色も様々―――しかしその多くの命の中でもアルフォンス様は稀有な輝きを持つ存在なのです。それこそ無視する事が苦痛に感じられるほどの。アダ様が彼女の強い神力で結界を張り、私達の目を欺いているのは分かっていました。ただそれを破る事は何人もの神力を持つ者が束にならねば出来ない事です。とてもシーアンの目を誤魔化して行う事は無理……私共は、辺境の討伐でアルフォンス様が違和感に気付かれ、それを看過できずに確かめようとなさった時、この方なら私共の力になっていただけるのでは、と見込んだのです」
「違和感―――?」
それまでウートウシュの言葉に静に耳を傾けていたリーフェが、言葉を挟んだ。
「アルフォンス様が気付いた違和感とは―――何ですか?」




