14.質
「それで一体『質』とは何なんだ」
ニークが気を取り直したように、話題を戻した。
リーフェも気に掛かっていた。アルフォンスが依頼を途中で放り出さないように『質』を取ったとウートウシュは言った。確実に遂行させる為に取ったのなら、それは余程アルフォンスにとって重要な物なのだろう。
「それはそんなに大切な物なのか?遠征が終わって母国に凱旋しさえすれば、アルフォンス様は彼が待ち望んでいたリーフェとの婚約を公にする事が出来たんだ。なのに遠征の期限を延ばしてなおここに留まり……ホフマン首長国の為に尽力を続けている、と言う事なのだろう?」
リーフェもニークと同じ疑問を持っていた。長年の付き合いで彼女はアルフォンスの事をよく理解している。アルフォンスが固執するような品と言えば……出征前にリーフェに手渡してくれた亡き王妃の形見くらいしか思い浮かばない。
そこでリーフェはハッと気が付いた。
「まさか……彼の持っていたネックレスでは……?」
「ネックレス?」
微笑みを湛えるウートウシュよりも先にニークが尋ねた。
「緑色の石を使ったネックレスです。その……私が差し上げた……」
「ふふ、当たらずとも遠からず……と言った所ですね」
ウートウシュは楽し気に呟いた。
「……違うのですか?そ、そうですよね……だとは思ったんですけれども……」
自分が渡した品をアルフォンスが帰国と引き換えにする程大事にしているのだと言っているのと同じだった。リーフェは恥ずかしくなってしまい、思わず頬を染めた。自分が酷く己惚れた人間のように思えたからだ。だから色恋事などだから苦手なのだ、と心の中で一人ごちてしまう。
「隠したのは、もっとずっと彼にとって大切なものです」
「もっとずっと大切なもの?それは―――何ですか?」
リーフェが尋ねると、ウートウシュは目を細めて答えた。
「―――貴女です、リーフェ様」
「え?」
言葉の意味がよく分からず、リーフェは聞き返した。ニークも眉を顰めてウートウシュを凝視している。
「どういう意味だ?謎掛けか?リーフェはこうして、ここに存在するのに」
「私どもが隠したのは―――記憶です」
「記憶……」
リーフェはボンヤリと繰り返した。ウートウシュの少し揶揄うような微笑みがスッと消え、黒いつぶらな二つの瞳が、打って変わって真剣な色を湛えた。
「そう、貴女に関する記憶です。貴女に出会って―――ともに過ごした記憶。婚約者となり帰って来ると誓ったであろう記憶も全て」
「え……」
「依頼を遂行していただいた後、それらをお返しするとお約束しました」
「そんな事が可能だなんて、俺達に信じろと言うのか?ホフマンに生まれ神力を有する能力者は、怪しい占いを行ったり、他人の頭の中を覗き見するだけでなく……他人の記憶を左右する事まで出来ると言うのか?」
今日この時までニークは―――ホフマンの能力者について、単なる勘の冴えた占い師で序でに相手の相談に合わせて気分を解し体調を整える薬湯を処方する愚痴聞き役と薬師を兼ねる者……程度の認識しか持ち合わせていなかった。
ニークは自分の剣の腕を頼みに生きている。易占に頼ろうなどと考えた事はこれまで一度も考えた事が無かったからだ。ホフマン首長国で一番能力が高いと言われている巫女姫についても、怪しげな占い師、くらいにしか思ってはいなかった。それまでホフマンにおける巫女姫を首長とする制度は民衆の心を掌握するための象徴のようなもので、実質執政を牛耳っているのは宰相だと言うオリアンの見解とほとんど同じような考えを持っていたのだ。
そう、ウートウシュがこの日……リーフェの寝室に忽然と現れるまでは。
ウートウシュは他人の頭の中を―――何処までか分からないが読む事が出来ると言う。そして自分より劣った能力者の監視の目を眩ます術を持っているらしい。そんな事が出来るのであれば―――何も援軍など頼まなくても、ホフマンの能力者を集め軍隊を作るだけで容易に蛮族の侵入を退ける事が可能であったのではないか?他国に援軍など頼まなくとも……。
大きく踏み出し、茫然とするリーフェを守るように二人の間に体を入れたニークは、ウートウシュを睨みつけた。大事な相手との記憶を奪うと言う卑劣な行為を、簡単に口にする彼にも驚いたが、しかし未だに本当にそんな事が可能なのかと言う疑いも捨てきれない。
「滅多に出来る人間はいないでしょう、巫女姫様のお力をもってして初めて可能な事です」
「他の能力者はそんな芸当は出来ないと……?」
「はい、一般的な能力者に可能なのは……強い感情を読み取る事。そして相手が持つ幾つかの選択肢とその先に繋がる未来をボンヤリと感じとれると言う事だけです。後はそれぞれの知識や推測する能力の差でしょうか?要するに当たる確率の高い『占い師で薬師で愚痴聞き役』でしかありません」
聞き覚えのあるフレーズに思わずグッとニークは喉を鳴らした。
「少なくとも―――お前は違うみたいだな?随分ハッキリ他人の気持ちを聞きあてる事が出来る。結界を張ったり……それは神殿の者が特別に能力が高い、と言う事なのか」
「まあ、そうですね。神殿に属する者には……力が鋭敏で『占い師』以上の強い神力を持つ者がいます。その頂点の者が―――その時代の巫女姫となるです」
それまでボンヤリと虚ろな目をしていたリーフェが、不意に正気に返ったように瞬きを繰り返し漸く口を開いた。
「じゃあ、その術を解く事が出来るのは―――」
「はい、巫女姫様以外にあり得ないでしょう」
ウートウシュは硬い表情をふと緩め、再び微笑んだ。まるで時計の針を止めていたリーフェが動き出した事に安堵するかのように。
「あの」
リーフェは真剣な面持ちで、慎重に質問を重ねた。
「それでは先代巫女姫のアダ様なら―――隠されている記憶を取り戻させる事は可能なのですか」




