8.到着
ウンチュウに辿り着いたズワルトゥ王国調査団一行は、この地域一帯を統括する知事の元を先ず訪れた。ホフマン首長国では首長同様執政機関の代表は、基本的に世襲では無く一定期間ごとの任期制となっていて、知事と官僚が執政を行う知事公館と言う施設がその地域の中心地に据えられており、関連施設がその周辺に配置されている。
しかし首都を出立する前にルトヘルからもたらされた情報によると、その任期制と言うものが形骸化しつつあるとの事だった。ホフマン首長国の各地域ほとんどで巫女姫を輩出する親族である華族出身者が知事の任に就いているらしい。
ウンチュウについても同様で現知事は代替わりしたばかりと聞いてはいるが、華族出身でシーアン宰相の縁戚に当たるらしい。ルトヘルは現巫女姫もシーアン宰相の遠縁に当たるのだと調査団長及びリーフェ達に告げていた。ちなみにシーアン宰相もウンチュウの知事も華族ではあるが自身は神力を全く持たないと言う事だ。
「ホフマン首長国全てを目にした訳ではありませんので正確な所は分かりませんが……少なくともあの穏やかそうなシーアン宰相の一族は、現在かなりの権力を掌握している状態だと言えそうですね」
知事公館に到着し知事への挨拶を終えたオリアンは、宿舎に着いてから彼の部屋に付属した応接室にリーフェとニークを招き、嘆息と共に二人にそう漏らした。
「ええ。代替わりする任期制とは言っても、現実には強い神力を持つ巫女姫とその巫女姫を輩出する華族が力を持ってしまうのでしょうね。神力の強さはかなりの確率で遺伝するとルトヘル様もおっしゃっていましたし」
「……と言う事は現巫女姫とその親族である華族は、ほぼズワルトゥ王国の王族と変わらない地位を持っていると言えるのかもしれませんね」
リーフェがオリアンの言葉を受けて頷くとニークが慎重にそう呟き、こう続けた。
「そう言えば行方不明になった先代の巫女姫は、少々毛色が違うと言っていましたね」
「クヴァイ大佐によると、能力が桁外れに大きかったそうだが、彼女は華族出身では無かったらしい。辺境の山奥の村の出身だがこれまでその村の一族からは巫女姫が選定された事は無かったそうだ。先々代の巫女姫も華族出身者だと言う事だから―――先代の巫女姫は相当珍しい存在だったのかもしれないな」
オリアンが顎鬚を擦りながらそう言うと、リーフェが彼の言葉の意図するところを念押しするように口を開いた。
「ええとそれは……華族出身者以外が国のトップに立つ事が珍しい、と言う事ですか」
するとフッとオリアンは目を細めた。
「そうですな……先代巫女姫は現宰相にはまさに目の上のタンコブであったかもしれません。首長とは言え巫女姫は神殿から滅多に出て来ない……実質宰相が執政の実権を握り、これまでの巫女姫は傀儡であった可能性も否定できません」
それまで穿った意見を全く口にしなかったオリアンが口にする鋭い言葉に、リーフェとニークは思わず視線を交わした。
「代替わりして実家に戻った筈の先代巫女姫の失踪もその辺りに由来するかもしれません。村の一族が掻き消えたのが蛮族の犯行だと結論付けるのは、一国の宰相としてはあまりに短絡的ですしね。……穏やかそうな宰相でしたが、なかなか腹の内は分かりませんからな。ひょっとすると先代の巫女姫やその村の者達は宰相の手を逃れる為に姿を消した、もしくは宰相自身が彼女等の失踪に何等か関わっている―――と想像を逞しくする者があってもおかしくはないと思いますよ。まあ―――これも老兵の単なる妄想の一つですがね。真実は先代巫女姫本人に会って確認しない限り分かりませんからな」
そう言ってニッコリと微笑み、不穏な台詞を顎鬚を触りながら静かに語るオリアンも……シーアン宰相に負けず劣らずと言った所ではないかと、背筋に冷たいものを感じながらニークは考えたのだった。
オリアンの部屋を辞した後、リーフェとニークは自室に戻った。王立学院長代理と言う立場のリーフェの部屋は調査団長のオリアンの部屋ほどではないがなかなかの広さがあり、ニークにはそのすぐ隣にある部屋が与えられた。他の調査団員達は二人一部屋でニークより少し広い位の部屋を与えられてる。
「とりあえず今日はベッドで眠れるんだな」
「グッスリ熟睡できそうね?」
「護衛が熟睡する訳には行かないさ。けど、表向き助手と言っているのに護衛用の続き部屋があって良かった。そうじゃ無けりゃお前の部屋の前に控えているか部屋の隅の椅子で仮眠を取るかの二択を選ばなきゃならなかったからな」
リーフェの部屋は貴賓室らしく、護衛や従者用の隣室と扉で繋がっているのだ。
「私の事はあまり気にしなくて良いわ。別に今のところ誰に狙われる理由もないし……ゆっくり休んでくれて構わないわよ」
「変な輩が忍び込んで来るとも限らないし、そう言う訳には行かない。ホフマンに来てから思ったが、お前自分が女だって事時々忘れているよな?警戒心なさすぎだぞ、髪を切ったくらいで男に見えるなんて思っているなら、勘違いも甚だしいからな。そんな華奢な男がいる訳ない」
「大袈裟ねぇ……これまでフィールドワークに出た時男性が一緒だった事もあるけど、全然大丈夫だったわよ。こんな嫁ぎ遅れのモテない女に何かあるわけないじゃない」
カラカラと呑気に笑うリーフェに、ニークは冷たい視線を投げ掛けた。
フィールドワークを一緒に行った男性……ニークはそれがマコチュヴィカ学院長や年配の教授連中だと知っている。リーフェの野草採取仲間達は温厚な紳士ばかりだし娘より若いリーフェをそんな目で見る人間がいるとは思えない。そのパーティに例え若い学生が数人混じったとしても、リーフェのように身分の高い令嬢に、しかも同じくズワルトゥ王国で重鎮と言われるような身分の老紳士と親しく交わる様子を見て手を出そうなんて馬鹿な考えを持つ者がいるだろうか。
それにリーフェは自分に気のある男が目の前にいるとはまだ本気で認識できていないらしい。蒼の騎士と名高いルトヘルもリーフェを密かに(しつこく?)思い続けていて、彼女が王弟の婚約者となってしまった今では諦めてはいるものの―――その長い片思いはまだ解消しきれていないと、彼が船の出迎えでリーフェを見止めた瞬間からニークは肌で感じていた。
実際、その諦める原因となった王弟アルフォンスは失踪しており行方知れずの状態だった。おそらく生きてはいまい、とリーフェ以外の殆どの人間が考えているだろう。だから公的な書類一つに縛られていようと―――望みが無い訳ではない。
無防備過ぎる、とニークは思った。
「お前はもっと危機感を持て」
少々苛ついて、ニークはリーフェを睨みつけた。
これまで何事も無かったのは、侯爵令嬢であり現宰相の娘である身分の為だ。確かに変わり者で付け入る隙が無いように周囲の同僚などには思われてはいるかもしれないが、求婚者であるニークやルトヘルまで、彼女を女性として意識していないと考えるのは大きな認識違いだ。大事に思っているからこそ、尊重しているのだ。けれども、このように無防備にされては周囲にも多大な迷惑になるだろう。少なくとも今後ルトヘルの前ではキチンと一線を引いてもらわねばなるまい。と、ニークは考えた。
「油断し過ぎだ。俺が一緒のベッドに寝て護衛すると言いだしても、深く考えずに断らなさそうに見えるぞ」
するとリーフェはキョトンと首を傾げた。
「そう言えば最近一緒に昼寝したりしていなわねぇ、子供の頃は疲れて部屋のあちこちで眠っちゃったりしていたのにね」
伝わらない事にニークはガックリと肩を落とした。どっちにしろ、こうも信用されていては裏切る気も起こらない。それにどちらにせよ、この調査が終わらなければ何も始められないのだ。ニークは首を振って溜息を吐いた。
「とにかく俺も気を付けてはいるが、何かあったらすぐに合図しろよ。戸締りもキチンと。いや、俺が寝る直前に戸締りするから準備が終わったら声を掛けろよ。その時にお前の部屋の扉の前に鳴子を仕掛けておくからそれが鳴ったらすぐ駆けつけるが……お前も自分でちゃんと気を付けろよ!誰かに声を掛けられても安易に扉を開けるな」
「……はーい、分かりました」
「本当に分かってんのか?」
ブツブツなおも文句を言うニークに、リーフェはクスリと笑った。
彼の深い真意は残念ながら彼女には伝わっていなかったが、ニークが自分を心配している事自体が分からない程、疎くは無かった。
「ありがとね、心配してくれて。ニークがいるから安心して旅が出来るわ」
とニコリとリーフェが微笑むと、絶句したニークが頬を染めてプイっと顔を逸らした。




