7.出立
翌日、宰相に挨拶を済ませ、首都に残って政務を取り仕切らねばならないルトヘルに見送られ、オリアン伯爵率いる調査団とリーフェ、ニークはズワルトゥ王国遠征軍が野営地を構えていた辺境の街ウンチュウへと旅立った。
馬車で行けば街道を回って七日間掛かる距離を、各々馬に跨り山道を越えて四日で踏破する。普段反射神経などとは縁遠いと思われているリーフェではあったが、野草採取などのフィールドワークとなるとお手の物で持久力と体力にはかなり自信を持っている。馬の扱いも慣れていて、鞍に跨ったまま手綱と鐙の合図で馬を巧みに操り、崖に沿うような危険な細道も難なくヒョイヒョイと通過してしまった。建物の無い森の中で野宿する事も特に苦とは思わない様子に、何ともおかしな侯爵令嬢だと調査団のオリアン団長以下団員達は、鼻歌を歌うような勢いで馬を駆るリーフェに目を丸くしている。『変わり者の侯爵令嬢』と言う異名は伊達では無いのだと、皆が口々に感心したように頷きあっていた。
ニークはリーフェの性質や習慣を心得ていたものの、成長して以降リーフェと一緒に行動を共にするのはダンスのレッスンや晩餐、それから最近出席した夜会くらいのものであった。そのほか王立学院で教師として黒板の前に立っている所は目にしているが、研究者として野山を分け入っている場面に同行した経験はない。
日頃マイペースに比較的ゆっくりとしか動かないリーフェが、生き生きと山を分け入っていく様子を、ニークも驚きを持って眺めたのだった。
寝床作りを担当したニークとリーフェは調査団員に混じって簡易な屋根を張り、常緑樹の葉を集めて敷き詰め防水の為蝋をしみこませた布を敷いた。リーフェの提案で集めた爽やかな匂いのするトールと言う針葉樹の葉は、適度な硬さがあり心を落ち着ける効果があると言う。一通り作業が終わった後、ひと気の無い寝床の一つに近寄りニークは一度そこへ腰を下ろし、ボフンと勢いよく仰向けに倒れ込んだ。
「これは寝心地良さそうだ。意外だな、リーフェがこういう作業に長けているなんて」
「野草採取はライフワークだから。ニークこそ軍の訓練で設営には慣れているのではないの?」
「慣れているっちゃあ、慣れているけど。野営に快適さは求めないから。堅かろうが凸凹していようが、寝る場所さえあればよい。実際有事にゆっくり眠ろうなんて考えないからな」
「そうね、私が野宿する時は動物や虫に襲われないかどうかって事しか気にしないから。野営場所を工夫したり、襲ってきそうな動物の嫌いな薬草を配置したりするくらいだし」
そう言って笑うリーフェも、ニークの横に腰を下ろした。
「なぁ、どうしてここまでするんだ」
「え?」
「捜索ならプロの調査団に任せておけば良い。まさか野草採取が目的じゃないだろう?」
「あら、『野草採取』が目的よ。王立学院学院長の代理としてのお仕事なんだから」
リーフェははぐらかすように言った。納得が行かないニークは首を振った。
「アルフォンス様が―――そんなに大事か?」
「……」
「お前にとっては弟みたいなモンだったよな?大事な『弟』がいなくなった事を受け入れられないのか」
呟く様なニークの問いかけに、リーフェは暫し沈黙する。
それから静かな表情で、一言一言自分に確認するようにゆっくりと返答を紡いだ。
「分からないけど……何だか、アルフォンス様がこの世からいなくなったなんて―――信じられないの。今でも彼は生きている、そんな気がする」
「―――その可能性が無いとまでは言えないが……」
実際に彼が命を落とす所を見た者がいる訳では無い。しかしアルフォンスが雪山で行方不明になってから、かなりの時間が経過している。可能性があるとしても、ごくわずか、奇跡のような確率だ。少なくともニークには、そう思われた。
すると隣で溜息を吐く従妹が、何もない空間をジッと見つめてこう呟いた。
「……だってね、アレフ様ってとても綺麗だったの。キラキラ輝いていて、あらゆる才能と生命力に満ち溢れていた。きっと彼はこれからのズワルトゥ王国を何等かの形で引っ張っていくし、大きな貢献をするものだと私は確信していたの。そんな私が天塩に掛けて育てて来た―――至高の宝石のような王弟アルフォンス様が……この世の中にいないなんて、あり得ないのよ」
「リーフェ」
「私が隣にいたいなんて、いるべきだなんて思っていない。そりゃアレフ様が私を望んでくれた時は驚いたし、選ばれたと思うのは嬉しかった。畏れ多い事なんだけど。今でもあれが現実だったなんて信じられない気分よ。そうじゃなくて、そう言う事じゃなくて……私はずっと、彼が光り輝く道を歩いて行くのを遠くからでも見守りたいと思っていたの。それは今でも……変わらない。だから……」
「リーフェ、もういい」
ニークは言葉を塞ぐように、リーフェの肩を抱き寄せた。
取り留めなく自分の中に答えを探して彷徨っているかのような彼女を見て、堪らなくなってしまったのだ。リーフェは今、大事な物を失って傷ついている……そして混乱の中で足掻いているのを想像できなかった訳ではない。ほんの少し、彼女の執着に嫉妬心を抱いてしまった自分が情けなくなった。
「俺が悪かった。もう何も言わなくて良い。―――今更だよな。実際俺達はもうここに足を踏み入れたんだ。最後まで、出来る限りやってみるしかない。それでお前の気が済むなら……」
「……」
ボンヤリと空間を見つめて、口を閉じたリーフェの肩に置いた手に、ニークは更に力を込めた。
「俺は付き合うよ。お前の気が済むまで。だけど、もし……調査期間が過ぎて……それでも収穫が無かった時は―――一緒にズワルトゥに帰ろう。きっと帰ると、リーフェ、俺と約束してくれ。そして帰ったら……」
スクッとリーフェは立ち上がった。そして野営地の中心を見つめて再び口を開いた。
「ねえ、良い匂いがしてきたわ。手伝いに行きましょうよ」
「……」
「先に……行ってるね」
ニークの顔を見る事は出来なかった。ニークがリーフェを大事に思っている事も、十分に思い遣ってくれている事も、彼女は痛いほど十分に感じていた。
けれどもリーフェには、いまだに実感が湧かないままだったのだ。
信じられない―――確かにニークが想像するように現実に目を向けたくないだけなのかもしれない。だからこそ、まだニークが言う『可能性』の話は耳に入れたくないと思った。
ふと、巫女姫の侍女の黒い瞳を思い出した。
『貴女の望みが叶えられる事を、神殿でお祈りさせていただきます』
巫女姫の加護が……リーフェの望みを叶える力を持つと言うのなら。
何事も無かったように目の前にあの美しい銀髪の少年が、屈託のない表情でヒョイと現れる事も可能なのだろうか。リーフェは今でも信じられないのだ。そう、その森の木陰から今にも彼が顔を出し笑顔でリーフェの胸に今にも飛び込んでくるような気がした。
『続きは帰ってからな』
『……はい?』
『約束だぞ!』
そう言って、温室の扉を飛び出して行った少年が、いまだリーフェの目の前に白昼夢のように鮮やかに蘇るのだ。




