3.二度目の夜会
ズワルトゥ王国は周辺をぐるりと海に囲まれており、その陸地には単一の国家しか存在しない。このため王宮自体は城攻めを想定して築造された物では無く、大規模な池が堀のように周囲に巡らされているものの、高い城壁に囲まれている訳ではない。
堀の中では王都の中心に鎮座するように白い壁の瀟洒な建物群が、長い廊下で各々連結されており、その壮大さが城門から続く広路を進む者達の視覚を捉える造りとなっている。
このブラウバルト王宮が存在する広大な敷地は、王都を三重に囲むように配置された環状線の中心よりやや北側に存在する。王宮からまっすぐ伸びる大路は環状線の中心となる広場に繋がり、ここに王国内にバランス良く三重に配置された環状線を貫通するように、各地方に伸びる幹線が連結しているのだ。このため王都と各領地の交易は円滑に進み、ズワルトゥ王国の繁栄をその高い土木技術による交通網が後支えしていた。
ブラウバルト王宮の外壁には他国に見られるような大仰な彫刻や過度に派手な装飾は見られない。しかし大きなアーチによる窓などの開口部を壁面に設けているため、建物の内部は多く日の光を取り入れる事が出来、壁面の少なさが建物自体を洗練された美しい存在として演出している。これはそのまま、ズワルトゥ王国が類まれな建築技術を有している証だった。
王宮を訪れる他国はまず、その土木建築技術の水準の高さに圧倒される事となる。
リーフェは通常通用門から出入りしているため、久方振りにこの正門からの光景を目にした。
馬車の窓に体を寄せ、ホウっと溜息を吐く。
「美しいわねぇ」
「壮観だな」
馬車を降りて豪奢な階段を登り、大広間のある本館のエントランスへ向かう。
其処は既に大勢の人々で溢れかえっていた。十四歳になった『王宮の太陽』である王弟アルフォンスを祝おうと、貴族や富豪達がここぞとばかりに煌びやかに着飾り集まっている。
しかし、主役が登場するのはずっと後となる予定だ。
日のある内から祝賀パレードが王都の中心部を囲む第一環状線を練り歩き、中心の広場に到達した。そして先ほどまさにその広場で記念式典が執り行われたばかりだった。そこには輝くばかりに若く美しい王弟を一目見ようと、沢山の国民が王都中ばかりでは無く地方から詰めかけていた。式典が終わった後もお祝いムードは健在で、祝杯を上げ陽気に騒ぐ民衆によって、街は今尚賑わい続けている。
アルフォンスはその式典で主役として責務を全うし、そして日が落ちた後に漸く、王国の貴族や諸外国の要人を中心とした出席者を集めて開催される夜会に登場する事になるのだ。
そして十四歳になった今日、公に彼の婚約者候補の選定がスタートする。
まさにこの誕生祝賀会が、その争奪戦の幕開けとなるのだ。
リーフェは恐れ多くも弟とも息子とも感じている彼に、素晴らしい相手が見つかるよう願っていた。アルフォンスは真実の逸材で、この王国に必要な掛け替えのない宝玉だ。自分でも相当な親馬鹿かブラコン(のようなもの)だという自覚はあるが、リーフェはそう確信している。
もちろん国王陛下並びに王国の重臣を始め、国民皆もそう期待している。そして直接彼の才能を測る機会に恵まれた王国学院の長として学院に長く君臨するマコヴィチュカ学院長、そしてその補佐を務めるリーフェは、その溢れる才気を目の当たりにしているのだ。
その彼の妃となる人物には、やはり家格や容姿だけでなく彼を陰日向無く支えることのできる気概を望んでしまうし、丈夫な世継ぎを残す能力を有する方であって欲しいと、願ってしまう。彼の尊い血と類稀な能力を、後世に引き継ぐために。
そう、鈍いリーフェは全く気が付いてなどいなかったのだ。
彼が自分に対して、どんな思いを抱いているかと言う事に。
大勢の賓客をもてなす大広間は、エントランスに隣接している。見上げる天上は高く、広間に面する二階のバルコニーでさえ四人の男性分縦にまっすぐ繋げたくらいの高さに存在する。金色の燭台とキラキラと光りを散らすガラス細工を数えきれない程ぶら下げたシャンデリアが幾つも固定されている天上は、更に高みに存在して王宮に足を踏み入れる者の畏敬の念を呼び覚ます。
見上げると天井には、王家の家紋を構成する陰切草とブラウローゼを用いた複雑に美しい文様が漆喰仕上げにより刻み込まれていた。
天上の細工を十分に堪能した後リーフェが大広間に目を戻すと、楽隊の周りとダンスフロアのスペースが広く空いており―――その周囲に美しく着飾った女性達や夜会服で正装した男性達がさんざめくように会話をする様子が見て取れる。
「……先に陛下や殿下に挨拶に伺うべきなのかしら?」
「いや、この規模だと今挨拶に伺うのは無理だと思う。そのうち良い頃合いでバルコニーに陛下が現れるから―――陛下の挨拶の後、殿下のお披露目って流れになるんじゃないかな?」
「そう言うもの?」
「で、陛下と王妃がダンスを皆の目の前で踊って見せて祝賀会がスタートするって進行になると思う。多分昼間の式典の後に夜会の準備に取り掛かるだろ?だから王族の方々の準備が終わるまでかなり待つから―――だいたいこの時間に知っている人がいたら挨拶済ましちゃうのが普通かな?……あと別室に用意されている軽食を摘まんだり、酒を飲んだり、庭を散策するとか―――とにかく自由にしていて良いと思うよ」
ニークの説明に、リーフェは殊勝に頷いた。
「ニーク、私見直したわ。赤点ばっかり採ってたのに、夜会の情報は完璧……経験豊富なのね!」
あまりに真剣に感心した様子のリーフェを、ニークはジロリと睨みつけた。
「大きい声で『赤点』って言うな!軍史や剣術のクラスなら、トップだったぞ。俺は草を育てたり、農作物を加工して高く売る事なんて興味ねーんだよ。それと言い方に気を付けろよ。誰かが聞いたら遊び人だと誤解されるだろうが!俺、自慢じゃないが家族以外のエスコート経験ないからな」
思わずニークの否定の言葉に力が籠る。
が……確かに、あまり自慢できる事では無い。
目の前でキョトンと首を傾げている従妹に向かってそう言い切った後、力尽きたようにガクリと肩を落とした。
その時、ざわっと広間の空気が変わった。
会場に熱気が拡がる。国王陛下の登場かと二人が熱気の中心に目を向けると―――人だかりの中に背の高い人物が二人、肩を並べているが見て取れた。
二人とも、リーフェには見覚えのある青年だ。
「あら?あちらにいるのは……ルトヘル様とクラース様かしら?」
「ホントだ。デ=クヴァイ少佐とファン=デーレン大尉のお出ましか。どおりで、会場の雰囲気が変わったハズだ」
ニークの意味深な台詞に、リーフェは問いかけた。
「どういう意味?」
「ご令嬢達に大人気の二大美丈夫騎士様だからな。ほら、令嬢達の視線が釘付けだろ」
「へえー」
リーフェは、またもや感心したように相槌を打った。ニークは他人事のような、その冷静な返答を不思議に思った。
「そういえば、リーフェは面識あったよな。学院で一緒だっただろ?あれだけの美丈夫・実力派・家柄良し……の優良物件、人気になるのも当然だと思わないか?気にならない?」
リーフェはこめかみに人差し指をついて、小首をかしげた。
「……そうね……確かにルトヘル様もクラース様も、学園でスゴイ人気だったわ。ルトヘル様に心酔する男子生徒は群れをなしていたし、クラース様は何やら女性の知識が豊富で、彼の放課後の特別講義(非公式)は女人禁制だったので詳しい事は分からないんだけど大変、盛況だったそうよ」
ニークは、肩透かしを食らった気になった。
そして再度、従妹が正しい女性としての情緒を有しているのか―――確認の意味を込めて尋ねた。
「リーフェは、あの方達に興味はなかったのか?夜会では少しでも近づきたい女性陣が、列をなすくらいモテてるんだけど。令嬢達の間では、デ=クヴァイ少佐は『蒼の騎士』、ファン=デーレン大尉は『薔薇の騎士』って呼ばれてスゴイ人気なんだぜ」
「へー、通り名まであるの……!」
リーフェは、更に感心してしまった。
社交だの色恋事だのについてはこれまで興味を持てず、ずっと研究の対象としていなかったので、知識が乏しい。だからこそ、いちいち新しい事実に感心してしまうのだ。
「ルトヘル様には―――学院自治会長を務められていた時、ご一緒に自治会役員をさせていただいたので大変お世話になったわ。理論的な合理主義者でリーダーシップもあって素晴らしい方よ。……だから大変人気があって……心酔者寸前の人に追いかけられて、辛そうにされてたわね。あと、ラブレターが凄いの!毎朝抱えるほど届いて大変そうだったわ……。あ、ルトヘル様には園芸部をかなり手伝っていただいたのよ。本当に面倒見の良い方なので、女性にも人気があるって聞いて、安心したわ」
頷きながらそこまで聞いていたニークの動きが、ピタリと止まった。
「え……ラブレターって男子生徒からなのか……?」
若干引き気味のニークの声が小さくなる。リーフェはそれにあまり気を留めず、今度はクラースの学園生活の記憶を手繰った。
「クラース様は……昔から色々な女性とお付き合いされていたらしいわね。学院に通っている女子生徒達はあまり近づかなかったけど。学院ではクラース様に『半径一モルド(注:片手が届く範囲の意)以内に近寄ると妊娠する』って言うのが定説だったから。結婚前に妊娠してしまったら一大事だものね!……そういえばルトヘル様がクラース様を園芸部に誘った時『早朝も夕方も沢山の女性と毎日お約束してるので無理』って断られてたわね。あ、でもお勉強とか自治会役員のお仕事は、要領良くきちんとこなされてたわ。バランス感覚が優れていらっしゃるのね、きっと。だから大勢の女性と同時に付き合っても、上手くこなせるのかもしれないわね。社交が苦手な私にはちょっと羨ましく感じるわ」
心底感心した口調のリーフェだったが。
彼女の赤裸々な学院情報にニークは正直ドン引きしていた。
そして気まずげに逸らした視線の先にあるモノを見つけ―――瞬時に顔を強張らせた。
「リーフェっ……!」
低い声で名を呼ばれ袖を引かれて、ニークの慌てた様子に初めて気が付いた。蒼褪めたニークの視線を辿り振り返ると―――リーフェの背後に大柄な人物二人が立っていた。
「リーフェ、久し振り。珍しいね、君が夜会に参加するなんて」
「まるで小白草の妖精のようだ。リーフェ、元気そうだね」
噂をすれば、影。
『蒼の騎士』ルトヘル=デ=クヴァイ少佐と、『薔薇の騎士』クラース=ファン=デーレン大尉の二大美丈夫騎士が、そこに悠然と立っていたのだった。