6.晩餐にて
調査団二十名とリーフェ、ニークが招かれたのは豪奢な白い部屋だった。長いテーブルの、通常国王が座る席は空席だ。その代わり上座の壁には巫女姫をモチーフにしたのか、顔の無い黒髪の少女の肖像が描かれている。ルトヘルも駐ホフマン大使として一番その上座に近い側に腰を下ろしている。向かいに座っているのはホフマン首長国の宰相だった。
ルトヘルの隣には調査団団長、その隣にリーフェとニークが座っている。社交が苦手なリーフェは最初調査団の一番下っ端の、そのまた向こうの席に座りたいと主張したのだが、褐色の肌、亜麻色の髪と顔の半分を髭で覆われた調査団長、ヴァルセル=オリアン伯爵は首を縦には振らなかった。王弟の婚約者であり、王立学院長代理を務めるリーフェ=アールデルス公爵令嬢を末席に連ねるなど、忠誠心の強いオリアン伯爵には我慢のならない事だったのだ。一介の調査団員には知らされぬ事だが、調査団長であるオリアンのみリーフェとアルフォンスの婚約が知らされていた。オリアンは近衛騎士団の大佐も務めており元はルトヘルの上司にあたっていたが、ルトヘルが大使となり大佐に昇進した現在は同格の地位となっている。
ホフマン首長国のインシェン=シーアン宰相は、穏やかな双眸、柔和な双眸の偉丈夫で、如才無くルトヘルとオリアンに話を振り、自国の話題を提供した。
「この度のズワルトゥ王国王弟率いる遠征軍の功績に、首長である巫女姫も大変感謝しております。領域を侵す蛮族の一掃する事も能い、辺境にも平和な日常が戻りつつあります」
「その……巫女姫様は、晩餐には……?」
調査団長として団員を率いるオリアンがホフマン首長国を訪れたのは、今回が初めての事だった。彼の隣に座るルトヘルが声を落として、オリアンの素朴な疑問に補足説明を行う。
「巫女姫が神殿から出る事は滅多に無いそうです。このため神殿外の俗世では全てシーアン宰相が、巫女姫の神託を受け、それに従い代理として政を取り仕切っていらっしゃるそうです」
「そう、言うなればクヴァイ大使と同様の立場ですな。ある程度裁量で執政する事は許されておりますが、国の根幹を為す方針は全て巫女姫様の神託を伺っております。クヴァイ大使もズワルトゥ王国を代弁するお立場でありますが、重要案件は王国の決定を待たなければならない」
そう言ったシーアンはニークには何処か楽し気に見える。今の台詞のどの部分に楽しむ要素があるのか分からなかったが。
「巫女姫様が神殿を出る機会とは、どのような場合でしょうか」
それまでどんな世間話を振られようと、一言二言しか返さなかったリーフェが不意に口を開いた。言葉少ななリーフェを学者肌の人間によくいる変わり者と判断し、気に留める事をしなくなったシーアンが、少し目を見開いて意外そうな表情を作った。
「祭事……ですかな。年に数回ある神殿の行事で、国民の前で神事を執り行います。それからその際神聖な取り決めにより抽選を行います。幸運にもその抽選に当たった者は『巫女姫の加護』が与えられるのです。」
ニークは、黒髪の侍女がリーフェに与えた『巫女姫の加護』を思い出した。
「その時、選ばれた国民は巫女姫様に触れて貰えるのですか?」
「まさか……!」
シーアンがトンデモ無い、と言うように首を振った。
「巫女姫様が『巫女姫』である間、神殿の者と宰相である私以外に顔を晒す事はありません」
「では『巫女姫の加護』とは……どのように与えられる物なのでしょう」
「巫女姫の神力を込めた玉やお札を与えらえます。その前に当選した者は事前に願い事を申し出る事が出来ます」
「では、巫女姫様には願い事を叶える力が備わっていると……言う訳ですか?」
「いいえ―――いや、そうとも言えるし、そうとも言えません。巫女姫様は神力により未来を占う事が出来ます。できるのはその未来にほんの少し祈りの力を与える事だけ。神力の意図を読み取り正しく力を使えた者のみに未来は開けるのです」
つまりは呪いか御守みたいな物だろうか、と横で聞いていたニークは思った。急に饒舌になったリーフェに少しハラハラしたが、興味の惹かれた事にだけ夢中になる体質の従妹には慣れていたので、放置する事にした。マズイ展開になるなら、有能な大使でありリーフェを個人的に心配するルトヘルが何とかするだろうと判断したのだ。一介の助手の出番も護衛の出番も、今の状況では必要ないだろう、と。
しかし、と彼は思う。
玉やお札で構わないなら、侍女がした行為は何だったのだろう?しかも巫女姫では無く行為を行ったのは侍女だった。
「では、巫女姫様以外の神力を持つ方々もそのような事が出来るのですか?ズワルトゥ王国にも祭事ごと易占の方々をお招きしておりますし、呪いの品を分けていただく事もありますが……」
「ハハハ、確かに神力を持つ者達は未来を占う力を持ち、呪いに力を与える事も可能です。しかし民間の能力者の神力には限界があります。神殿にいる者は幼い頃に選抜されたエリートばかり。そしてそのトップに君臨する巫女姫はその時点で誰よりも強い能力を持つ者が選ばれるのです」
「では巫女姫のお力は桁違い、と言う事ですか」
「そうです、ですから巫女姫は神殿で守られなければならない存在なのです。この国で巫女姫以上の力を持つ者はいないのですから」
矢継ぎ早に質問を投げかけていたリーフェが、黙り込んだ。
するとルトヘルが流れるように、話を逸らす。
「そうそう、調査団の受け入れを快く受けていただき有難うございます。宿泊場所の確保も抜かりなく行っていただけるとは……」
「こちらとしては当然の事をさせていただいたまでです。ホフマン首長国の平和を維持する手助けをしていただいたのですから、その功績を正史に刻む調査団の方々に便宜を図るのは当然の事です。現地でも何か気が付いた事がありましたら、なんなりと担当官吏に御申しつけ下さい。直ぐに対応するよう通達を送っておきましょう」
「有難うございます」
「あの」
逸れた流れを堰き止めたのはリーフェだった。社交が苦手だと言うだけあって、空気の読めない行動にニークの頭は地味に痛んだ。
「はい、アールデルス教授、まだ何か……?」
散々細かい質問を投げ掛けられたシーアンは、少し気怠そうな気配を放ちながら応えた。
「巫女姫様が当代で一番神力の強い方、と言うのは分かりました。では、代替わりする前の先代の巫女姫様の神力は、二番目に強い……と言う事になるのでしょうか」
「……」
「シーアン宰相?」
「あ、ええ!そうなるでしょうね。ただし神力と言う物は年と共に衰えるもの。現在では二番目と言えるのかどうか……神殿で修業中の次代巫女姫候補の神力の方が強いかもしれません」
「……そうですか」
またしても押し黙るリーフェに、ルトヘルが気を使い再び話を戻そうとした時「あの」とリーフェは再び顔を上げた。
「はい?」
流石に穏やかなシーアンの表情も僅かに曇った。
ニークはリーフェの隣のオリアンが難しい顔をしているのを見て「リーフェをこの席に留めた事を後悔しているのだな」と推測する。変わり者で社交が苦手と聞いていたが、これほど空気を読まない侯爵令嬢がいるとは想像していなかったのだろう。しかも王弟の婚約者でありながら……ニークはオリアンに密かに同情を寄せた。
「では、先代の巫女姫様は―――今どちらにおられるのですか?」
「……辺境にある自分の村に戻る為、退位後首都にとどまられる事も無く直ぐに出立されてしまいました」
「首都にいらっしゃる機会はあるのですか?」
「いえ、それが……」
シーアンが眉間の皺を深くして、険しい表情を作った。
「先代の巫女姫も、暫くの間祭事をサポートする為に神殿に伺候する義務があるのですが、全く音沙汰が無い為こちらとしても困っている所なのです」
「それでは行方知れず……と言う事なのですか?故郷の村に先代の巫女姫様は戻られていないのですか?」
「いえ……」
シーアンは声を潜めて、視線を俯かせた。そして、誤魔化す事を諦めたようにく顔を上げて悲し気に首を振ったのだった。
「その村が……村ごと消えてしまったのです」
「え?」
「『村ごと消えた』?」
オリアンとリーフェが声を上げた。ルトヘルは既にその情報を掴んでいたのか、口を噤んで微動だにしなかった。
「そうです。先代の巫女姫様―――アダ様の帰郷後、こちらから連絡を取ろうとしたところ―――アダ様の故郷である村は跡形も無く消え去ってしまっていました」
「つまりその……蛮族の侵攻で根絶やしにされたと言う事ですか?」
オリアンが推測をぶつけた。
シーアンは溜息を吐いた。
「……おそらく、そうかもしれません。かなり奥深い山の辺鄙な所にある小さな集落なので、神殿と軍の目も届いておりませんでした。恥ずかしながら今回アダ様の消息を訪ねて初めて、その事実が分かったと言う次第で。……しかしアダ様ほどの神力を持つ者がいる村が、簡単に蛮族などに掃討されたり攫われたりすると言うのはどうにも解せないのです」
「村の痕跡は残っているのですか」
「ええ、建物などはそのままです。しかし其処に住む人々は誰一人見つかりませんでした。私どもとしては居住地を移したのだと、アダ様は現在も息災なのだと信じて捜索を続けているのですが……」
アダの村は、ズワルトゥ王国の遠征軍が陣を張っていた場所に程近い山の中だと言う。その事実を聞いて考え込むリーフェの横顔を見ながら、ニークは何となくこの先、すんなりと帰る事が果たして出来るのか―――と、胸の中に不安が湧き上がるのを感じたのだった。




