29.二人の時間
ぎゅっと抱き込まれ、息が苦しい。しかし何やら幸福な気分に包まれて、嬉しい気持ちが胸に溢れて来てしまい……リーフェは黙って彼の背に手を伸ばした。
アルフォンスはその僅かな腕の圧力に気付いて、腕の中の存在に対する愛しさがどうしようもなく込み上げてくるのを感じた。そして十分に柔らかさを堪能してから―――体を少し離した。
ぴったりと隙間なく接していた体温が離れて、リーフェはふと淋しくなる。しかし次の瞬間、唇にアルフォンスの体温が重なってきて心臓がドキリを跳ねた。
チュッチュッと何度も柔らかく啄まれる。そうすると次第に唇が敏感になって来て、なんだか気持ち良くなって来た。リーフェがぼうっとアルフォンスの行動を受け入れていると、彼は水を得た魚のようにどんどん積極的になって行った。
「あ……アレフさまっ……」
思わず制止しようと上げた声は、呑み込まれるように唇で塞がれた。
角度を変えて行われるそれが次第に深くなっていく。リーフェの頭は真っ白になってしまった。足の力が入らず頽そうになるのを―――アルフォンスの力強い腕ががっしりと阻んでいた。
ドンドンドン。
苛々と扉を叩く音に、ハッと我に返った。
リーフェはアルフォンスにしがみ付いている自分にやっと気付いて、慌てて腕を引き剥がした。しかしその反動でふらついてしまう。
彼女の腰と腕を、鍛えた腕がぐいっと引き寄せて倒れそうになるのを防ぐ。
「あ、ありがとうございます……」
頭が沸騰しそうに熱い。自分は今ユデダコのように真っ赤に違いない……とリーフェは確信した。
ドンドンドン。
「殿下、お時間です!」
扉の向こうに控えているニークが、苛々とどなった。
アルフォンスにも近衛騎士が護衛に付いている。おそらく王子の護衛騎士から催促されて、一番近くで控えていたニークに指示が下ったのだろう。
個室でいちゃついてるであろう婚約者同士に割って入るなど―――気の進まない仕事をやらされたため苛々しているのかもしれない、とアルフォンスは少し同情した。
(しかし決して立場は譲らないがな)
けれども、六月は長い。
アルフォンスとリーフェは今までこんなに長く離れた事が無い―――それは初めての経験だ。そんな未知の領域を、リーフェが一番親しく思い信頼を置いている男に預けるのは……アルフォンスにとっては、なかなか辛いものがある。
元々『弟』としか思われていない自分から、頼りがいのある従兄に彼女の心が傾くという未来がヤケに鮮明に想像できてしまう。
いつもうっかり湧き上がって来てしまう嫉妬心を、リーフェに見せないようアルフォンスは苦労していた。
万が一実際、そんな事が起こったら……!
本当は、片時も離れたく無い。
しかし行かなければ、彼女を手に入れる事を認めて貰えない。
軍に仕官して以来、いつかは戦場に向うと意気込んでいた。だから、今回の遠征は基本的にアルフォンスにとっては願っても無い機会だった。
お飾りの士官で終わりたくない―――自分の力が何処まで通用するのか、異国で試してみたい。男として騎士として、若いアルフォンスは戦地に赴き力を尽くすという機会を得た事に昂揚感を抱かずにはいられなかった。
そして武功を上げて凱旋し、兄にも宰相にも自分の本気を認めさせたい。
けれども、同時に。自分が戦に血を湧かせて夢中になっている間に、離れた場所で静かに従兄と寄り添って暮らすリーフェの決心が揺らいでしまうのが―――怖い。
「殿下、もう大丈夫です」
足腰をしっかり立て直して、リーフェはアルフォンスから体を離した。
その僅かな空間が―――彼女の余裕を示しているようで、悔しい。
アルフォンスはグイっと彼女の腰と後頭部を掴んで引き寄せると、最後にちゅっと唇を落とした。
「また、時間を作る」
そうして言い放つと扉を開けて、護衛騎士を伴い足早にその場を去った。
リーフェは、茫然とその後ろ姿を見送っていた。
「リーフェ」
ニークに声を掛けられて振り向くと、こめかみに痛みが走った。
ぐりぐりぐり。
拳で両こめかみを抉られ、悲鳴を上げる。
「いったーあ!」
すぐに拳をぱっと離して、自分の腰に当てるとニークは言った。
「目ぇ、醒めた?」
「うん……醒めた……」
「あんまり、うっとりした目で見送るな。凹むから」
「……」
謝るのも違うような気がして、リーフェは黙って頷いた。
「水遣り、途中だったろ」
「あ、そうだった!」
仕事を思い出してリーフェはぴょんと跳ねてから王宮を辞すべく、ニークと早足で出口を目指したのだった。




