0.三つの縁談【序章】
プロローグです。
「先生、水遣り終わりました」
「お疲れさま。えーと、明日はお休みだったわよね」
「はい、うちの領地でクノヴァー酒初仕込の式典があるんです」
「良いわねー。是非、今度見学させていただけないかしら」
「是非。いろいろアドバイスいただきたいです。今年の新酒、お土産に持ってきますね」
「ありがとう!楽しみだわ」
園芸部員のミーシェクは、質の良いクノヴァー酒を生産するバルビア領主の嫡男だ。今年王立学院高等部に入学した彼はまだ初等部の殻がお尻に付いた小柄な少年だが、領地の農地経営に熱心で、自主的にリーフェが顧問をする園芸部に入部したのだ。
「先生!この緑虫がコモドーラの茎に着いているんですけど、全部殺しちゃったほうが良いですよね?」
「えーと、これはそのままにしておいて。コモドーラと共生して害虫を処分する黒虫に蜜を提供してるの。宿主自体を枯らす事は無いから、殺さなくて良いわ」
「へー、わかりました。じゃあ、片付けしちゃいますね」
「よろしくね」
もう一人の当番である二年生のブロニスラフが、ソバカス顔をくしゃりと笑顔にして作業に戻った。入部した頃はリーフェより少し大きいくらいだったのに、たった一年で小柄な彼女と並ぶと今では年上に見えるくらいに成長してしまった。
園芸部員はどの生徒も、地味だが素直な少年ばかりだ。体は大きくとも皆、彼女には可愛い弟のようなもので、穏やかな雰囲気の実験農場は大変居心地が良い。ここは、リーフェの癒し空間だった。
リーフェは二十歳。ズワルトゥ王国の王立学院高等部で教師をしており、農地経営学と農場実習を担当していた。自身が高等部に在籍していた時に学院の裏庭に作った実験農場に、朝晩水遣りと草取りに通っている。今では園芸部の顧問として、八人の生徒と一緒にここを切り盛りしているのだ。
彼女はいわゆる『天才少女』だった。
早くからマコヴィチュカ学院長にその学問の才を見出され、周囲の者が初等部に通い始める十二歳から高等部に入学し、通常十六歳で入学し三年で卒業するところを飛び級により十三歳で卒業した。そして十四歳から六年間教師としてこの学院の運営に携わって来た。
ところでズワルトゥ王国の女性の結婚適齢期は一六~二十歳と言われている。
つまり世間一般で言うと、リーフェは来年からは『嫁ぎ遅れ』と言われるようになるのだ。
アールデルス侯爵家令嬢であるリーフェは高等部を卒業した翌年、十四歳で社交界にデビューした。
が、彼女が二度目の夜会に参加したのはその六年後になってしまった。農園の世話やそのほか諸々の仕事で忙しく、社交に掛ける時間が惜しかったのだ。
現宰相である父、ハルム=アールデルス侯爵は、そんなリーフェを特に叱責する訳でもなく好きにさせている。
アールデルス侯爵家の嫡男である兄は、現宰相であるハルムの跡を継ぐため補佐として王宮で揺るぎ無い地位を確保しつつあるし、既に妻を迎え三歳の娘と一歳の息子にも恵まれている。故に、彼にリーフェに縁談を強く進める切迫した事由は無かったのだ。
アールデルス家は―――『文のアールデルス侯爵家』と呼ばれ多数の文官や学者、医者を輩出する血筋であった。つまりリーフェのような変わった経歴の者も、アールデルス家ではそれほど違和感なく受け入れられる土壌があった。……もっとも、女性の身で仕事にかまけ社交やその他の些事を疎かにしているという事例は、『男は外で働き、女が内で采配を振るうもの』という常識が当たり前のこの国で、珍しく奇異なものだった。
しかし物心つく前に母親を亡くし、その事に文句も言わず大人しく勉強や植物を友として育ってきたリーフェに、アールデルス侯爵はあまり五月蠅く縁談を進めようとは思わなかった。それが実のところただの放任なのか、愛した妻と同じ髪色、風貌の娘についつい甘くなってしまったのか……と言う事を無表情が通常設定の厳めしい現宰相、ハルム=アールデルスの不興を買ってまでわざわざ聞き出そうと言う者も、諫めようとする者もあらわれなかった。
……と言う様々な理由により、リーフェはこれまで侯爵家のしがらみに縛られる事も無く、好きな勉強と仕事をして自由に暮らして来たのだった。
他家に嫁いでしまえば、このように好きな事や得意な事ばかりに身を費やすことは難しくなるだろう。侯爵令嬢としていつか家と家を繋ぐ目的で嫁ぐ事を求められる日が来るかもしれない。―――しかしデビュー以来ほとんど社交をこなさず、仕事ばかりしている変わり者の彼女に縁談が持ちかけられた事は無い。少なくとも……リーフェにハルムからそういった話を持ちかけられる事はこれまでなかった。
(このまま、研究や農園の世話をする暮らしを続けられないかしら)
そんな淡い期待を胸に抱いて平穏な日々を暮していたリーフェに、ハルムから下された厳命は―――まさに晴天の霹靂だった。
執務室に呼びだされたリーフェをソファに座らせると、直ぐにハルムは切り出した。
「お前に縁談の申込みがあった」
「……まあ、珍しい事があるものですね」
リーフェは、驚いた。とはいっても、少し眉を上げただけだったが。現宰相の冷静さは、確実に彼女に遺伝していた。
口に出してわざわざリーフェに伝えるという事は、その『縁談』は少なくとも既にハルムの検問に合格した案件という事だ。これはほぼハルムからの『指示』で、自分に選択権の無いのだろうと素早く推測したリーフェは、侍女が運んできたクッキーに手を伸ばした。
年貢の納め時なのかもしれない。
と思いつつ、余り『縁談』と言う『政治』に興味が抱けず―――取り敢えず彼女は、ほろほろと口の中で解けるクッキーの柔らかさに思考を傾けた。
(うん、美味しい!なんて、きめ細かい粉を使っているのでしょう。後でサニーに仕入れ先の領地を確認しなくちゃ)
兄のリュークが、面白そうに指摘した。
「リーフェ。まるで他人事のような物言いだね」
リーフェはチラリと視線を向けて、淡々と返事を返した。
「不得意分野なので、お父様にお任せするしかないかと……お父様、それでどなたに嫁げばよろしいのですか?」
リュークはぷっと噴き出した。
「軽いなあ」
公の仕事場においては、父にならって冷徹な表情を崩さない侯爵家嫡男だが―――素の彼は無口なハルムと正反対で、軽口が多い。
ハルムは厳めしい表情をピクリとも動かさなかったが、批難するようにジロリと目線だけでリュークを諌めた。
「縁談は三件届いている」
「え?」
(三件も?)
リーフェはやっと、クッキーに伸ばした手を止めてハルムに問いかけるような視線を向けた。
「……冗談ですよね」
ハルムはそれには答えず、ゆっくりと読み上げるように縁談相手の名前を諳んじた。
「クラース=ファン=デーレン大尉、ルトヘル=デ=クヴァイ少佐、ニーク=カルス少尉の三人だ」
「はあ?」
最初の二人は学院の同窓生。一人は同い年の従兄だが、現在学院での教え子でもあった。
クラースとルトヘル、両名とは学院卒業後も仕事絡みで交流があった。ニークは学院でも顔を合わせ、何より兄妹のように育った父方の従兄であるのだから、それが本当の事なら事前にリーフェ本人に話があっても良かった筈なのに。
これまでその三人の誰からも、そのような話題を出された覚えが無い。
「どの男にする?」
ハルムは眉も上げず、結論だけを問いかけた。
「えーと、待ってください。私が選ぶのですか?……というか、何かの間違いではありませんか?」
常に冷静な妹が狼狽える様を見て、リュークが噴き出した。
「なんで、ルトヘルとクラース?……それに、ニークまで」
リーフェも信じられない気持ちの割合が多くて、おかしくも無いのに口が笑ってしまう。
「……『ドッキリ』ですよね……?」
ニークは別として、ルトヘルとクラースは、先日の夜会でも令嬢達の群れに囲まれている所を目にしている。今更、行き遅れ寸前のリーフェに縁談を申し込む意味が判らない。その夜会で話す機会があったのに、それらしい発言はおろか匂わせもしなかった。リーフェは額に指を当てて、記憶の中に心当たりを探した。
しかし、何も引っかからない。
「何か負債を抱えていて、持参金が必要になったとか……?……それとも、実は男色家で、仮面夫婦希望とか……?」
何も理由が思いつかず推測ならぬ妄想を展開するリーフェに、ハルムは冷静に返答した。
「そのような事実は無い」
リュークはニヤリと嗤って、妹の肩を叩いた。
「……『モテ期』?」
茶化す声に、リーフェは苦い顔で兄を仰ぎ見る。
ハルムは、彼女の動揺に斟酌せず簡潔な指示を出した。
「翌月の終わりまでに、どこに嫁ぎたいか決めなさい」
元より否やを言う選択肢は無かったが―――急な展開に付いて行けないリーフェは、珍しく心細げな視線を兄へ向けてこう尋ねた。
「……こういうの、どういう基準で決めたら良いのですか?」
結婚前まで浮名を流していた兄に縋った。
兄は綺麗な金髪を書き上げてニコリと笑って言った。
「アミダくじはどう?」
その回答にリーフェは失望した。
やはり自分で考えるしかないな……と、溜息を吐きつつ首を振ったのだった。
次話から本編となります。




