デート 後編
「あ、危なかった」
ひとっ走りしたクロエとアーニャは軽く息をついた。
神殿に刻印の許可を取りに行った二人。
ホッホッホッ仕方ありませんね、と穏やかに笑う神官長に許可を取り付けたまではよかった。
神の悪戯か、マリアに見つかってしまったのだ。
「クロエさん、今度会ったら覚えてて下さいね」
女神のような笑顔で悪魔のようなことを言うマリア。
なんと怖ろしい。クロエは戦慄した。
逃げ切ったので今日の所はセーフ。明日以降のことは考えない。
「お姉さん、大丈夫ですか?マリアさん怒ってましたけど」
「刻印するとき、嫌でも会うから多分大丈夫。今日はデートだから」
地球と大きく異なるものの一つが、白金の扱いであろう。
刻印術を最も強く発現させる金属が白金であり、ほぼ軍事利用される。
許可を得ない所有、利用は原則禁じられており、白金による刻印の許可も厳しい。
クロエとしてはマリアの説教は後回しだ。
アーニャちゃんとのデートは邪魔させん、と息巻く。
自然とアーニャの手に指を絡める。
彼女の手は柔らかい。
こうして繋いでるだけでクロエは嬉しくなる。
「ふふ、そうですね。デートですもんね」
アーニャは、マリアより自身を優先してくれたことが嬉しい、とばかりにクロエの手を握る。
まだ、六つ鐘(十六時)まで時間はある。
それまではゆっくり街を見て回ろう。
クロエはアーニャの体温を感じながら歩き出した。
「えへへ、お姉さんどうですか」
くるりと優雅に一回り。
赤いロングスカートをひらりとはためかせるアーニャ。
こういった普通の格好をすると、町娘にしか見えない。
「アーニャちゃん、可愛い」
きらきらと目を輝かせながら頷くクロエ。これもお買い上げ予定だ。
店員も上客に満足げである。
クロエ達は古着屋に来ていた。
古着屋といっても、貴族や大店の令嬢から卸された品を取り扱う店である。
彼女らの流行り廃りは割と激しい。中には数回着ただけで捨てる者もいるのだ。
機能性優れた、職人による手作りの品である。
仕立て直しの職人の技量も高く、古着とは名ばかりの質のよいものばかりが並ぶ。
その分お値段もかなり高めだ。
アーニャが着ている服一式で大銀貨八枚。金貨に届きそうなお値段である。
「これなども、お嬢様によくお似合いかと」
「お嬢様だって、アーニャちゃん!」
火に油を注ぐがごとく。店員のセールストークはクロエの弱点を巧みに突いた。
ただでさえ緩いクロエの財布の紐は、とうとう紐が消え去ってしまったらしい。
店に入って半刻(一時間)もしない間に、お買い上げ予定の品は金貨十枚を越えてしまった。
「全部買います!」
「ちょっと、ちょっとお姉さん。駄目です!」
めっ、とクロエを連れて耳打ちするアーニャ。
「着たもの全部買っちゃったらキリがないです! 節約しないと」
「だって、全部可愛いし」
「普段着を何着か、の予定が増えすぎです。それに、もっと安い店で買うはずじゃ」
アーニャとしても、お姉さんからのプレゼントに悪い気はしない。
二人きりのデートでプレゼントされる。そんなシチュエーチョンにだって憧れていた。
可愛いと言ってもらうのも、色とりどりの服を着るのも好きだ。
だが、さすがにアーニャもクロエの金銭感覚が心配になってきたのだ。
高いものでは、一揃い金貨一枚するような店の服をポンポン買っては破産してしまう。
お姉さんの金銭感覚はなんとかしないと。
二人の生涯に関わる問題なのだ。アーニャは決意を新たにした。
――六つ鐘(十六時)が鳴る。
結局アーニャの説得により、三着買うことで妥協した。
服は宿まで届けてくれるのでお願いした。
貴族街にある慰霊神殿。
白亜の荘厳な佇まいのそこにクロエ達は来ていた。
ここの中庭には独立戦争の際、命を捧げた英雄達を讃え供養するための慰霊碑がある。
「遅いですわ、クロエさん」
「す、すみませんエリザ様」
エリザベートは、貴人用の馬車から出て腕を組みながら待っていたようだ。
今日は、改めて獅子の供養に集まることになっていた。
後ろに控えていたオレガノが悪戯っぽく微笑む。
「お嬢様は心配だったんですよー」
「そういうことは、言わないでいいですわ」
行きますわよ、とズンズン進むエリザベートを追いかける。
照れ隠しのためか、早歩きである。
慰霊碑は露出している部分だけで十メートルはあった。
大岩を切り取ったもの。クロエの第一印象はそれだった。
初代シマール公爵が、一人でこの大岩を運んだという逸話がある。
大岩を鋭利に切り取り、そこに文字が荒々しく掘られた無骨な造り。
優美さのかけらもなく、建国時の状況そのままに残している。
クロエ達はそれぞれの形式で冥福を祈る。
オルスティア自体が文化形式の違う民族が寄り集まった国家であるため、祈りの作法などは異なるのだ。
アーニャは踊りを捧げるし、クロエは両の手を組み跪き祈る。
エリザベートとオレガノはシマール式の、両の手を合わせた黙祷である。
クロエは祈りながら、獅子との戦いを反芻していた。
獅子との戦いから数日が経つが、未だ震えとともに鮮明に思い出せる。
――獅子を倒して、後のことは兵に任せた。
倒した魔物の魔石等は、派兵費用の足しにしてもらうことにした。焼け石に水ではあろうが。
獅子を魔物に変えたものの追跡はエリザベートに、正確には『裏』にお願いしてある。
『裏』には『裏』の戦いがある。
下手にクロエが引っ掻き回すより遥かに効率がいい。
クロエとアーニャの出番は討つ段になってからだ。
「――クロエさん」
「はい」
エリザベートが黙祷を終え、クロエに向き直った。
「今回の依頼ですが、その――」
「まあ、エリザ様の依頼ですから」
言いよどむエリザベートにクロエは苦笑で返した。
――今回の依頼はおかしな所が多かった。
遺跡は王都付近に散見され、モンスターの巣になることも多い。
しかし、あのようにミノタウロスで溢れかえっているなどはありえない。
定期的に兵や冒険者が討伐、ないし偵察を行っているはずだ。
おまけにあの獅子。
魔物に人の魂を入れるなど、術師としても頭のタガのはずれ具合にしても桁外れている。
エリザベートも薄々、この件にきな臭さを感じてクロエに頼ったのだろう。
「尻尾は掴みました。ですが、まだお話するわけにはいきません」
エリザベートは言い辛そうに告げる。瞳は苦悩の色が強かった。
どうやらのっぴきならない事情がありそうだ。
エリザベートは人がいい。貴族に必要な腹芸が苦手だ。
クロエとしてはそこに好感が持てるが、あまり気負わない方がいいのにと思ってしまう。
「お嬢様ー、そういうときは『待っててね』でいいんですよー。クロエさんも無理矢理首を突っ込んだりしませんー」
ね、クロエさん。とオレガノがのほほんとそんな事をのたまう。
わたしは猪か何かか、とクロエは少々憤ったがおおむね間違っていない。
「そ、そうですね。オレガノさんの言うとおり、待ちます」
餅は餅屋なのだ。クロエ一人でなんでもできる訳ではないのは百も承知である。
「私も待ちます」
アーニャがこれ見よがしにクロエの腕に抱きつく。
やわやわと、わざとらしく胸を当てながら。
「そう、頼もしいですわ。お二人とも――おそらく、近いうちに『お願い』することになります」
「はい、いつでも承ります」
「お姉さんは、私が守ります!」
そのときが来たら、討とう。
クロエ達は慰霊神殿にいくらか寄付してその場を去った。
「本当によろしいんですの?」
「ええ、アーニャちゃんと二人で帰りたいので」
「仲良しさんですねー」
クロエは、馬車で送ってくれるというエリザベートの厚意を丁重に断った。
なんとなくアーニャと二人で帰りたかったのだ。
もうすぐ五月になる。日が暮れるのも大分遅くなった。
夕焼けで赤く染まった大通りは活気に溢れている。
夕餉の匂い。酒場の喧騒がここまで聞こえる。
大通りを手を繋ぎながら帰る。
クロエにとってはそれだけで嬉しいことだった。
「ねぇ、アーニャちゃん」
「なんですか、お姉さん?」
「今日は、どうだった?」
なんとなく。聞いてみたかったのだ。
クロエにとっては楽しい一日だが、アーニャはどうなんだろうと。
アーニャは空いている左手の人差し指を顎に当て、しばし考える。
「んー。楽しかったです。けど――」
「けど?」
「もうちょっと節約しましょう」
手を少し強く握られる。柔らかくて気持ちがいいので痛くはないが。
クロエとしては、アーニャの為に金貨を使うのは惜しくもなんともない。
今日の服屋の件だって、アーニャに止められるなんて思ってなかった。
アーニャは意外としっかりしていた。
こういう一面はクロエにとって意外であり、新鮮にも感じた。
「あはは、ごめんね」
「でも、嬉しかったのは本当です」
アーニャは手を少しだけ離し、指をわずかに広げる。
すぐにそれを察してクロエは指を絡める。
二人の距離がより縮まった。
「私は、こうしてるだけでも嬉しいんですよ?」
そう言って上目遣いにクロエを見る横顔は、いつもより大人びて見える。
それを聞いたクロエの胸には、温かいものがこみ上げていた。
クロエの『嬉しい』とアーニャの『嬉しい』は、きっと同じなのだ。
自然と口角が上がるのを、クロエは堪えられなかった。
「アーニャちゃん、アーニャちゃん」
「なんですか?」
「キスしていい?」
「へ?」
にまにまと笑いながらクロエが尋ねると、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をする。
つい、衝動的に聞いてみたくなったのだ。
アーニャは少し顔を赤くして、そっぽを向いた。
「……宿に帰ってからなら」
夕暮れ時とはいえ、人で溢れている。
エリザベートに一緒に寝ているのを見られるより、恥ずかしいらしい。
クロエにとってこれもまた、意外な側面だった。
――確かにアーニャちゃんとのキスを他の人に見られるのは嫌だな。
アーニャちゃんの唇の柔らかさも、体温も、表情もわたしだけのもの。
クロエは反省した。きっと魔がさしたのだ。
「じゃあ、帰って二人きりになったらしようか」
こそりと耳元で囁くと、アーニャは身震いしてコクリとうなずいた。
アーニャが耳が弱いことは、もう知っている。
大通りを歩く二人は、やや早足になっていた。




