クロエ、余計なことをする
「――お見事でした。お姉さん」
アーニャが駆け寄り、獅子の前で曲刀を抜く。
ゆらり、ゆらりと舞う。
ゆるりとした動きとは正反対に、曲刀が鋭く振りぬかれる。
一振り一振りが魔を打ち払うように空を斬る。
死者の冥福を祈る舞だ。
クロエも彼の冥福を祈る。
彼を魔物と化した者は必ず、見つけ出して討たねばならない。
クロエ=アストレアとして裁かねばならない。
「お姉さん、私、アーニャ=『リブラ』はクロエ=アストレアの『剣』です」
「うん」
「私も、討ちます」
「――うん」
クロエに加護を与える女神は『剣』と『天秤』を持つ。
クロエにとってアーニャは『剣』であり『天秤』だ。
「クロエさん」
「これは……」
シマール式の黙祷を終えたエリザベートが、獅子が投げ捨てたプレートを手渡してきた。
「このままここに残しては、彼の家の者に累が及ぶかもしれません。それに……」
エリザベートは顔を背けた。
「彼の名前を、わたくし達は知るべきです。戦士として死んだら、名前を心に刻むべきです」
彼の遺体を人として葬ることはできない。
『獅子の魔物』はここで討たれた。
狼煙を上げれば兵が来る。
獅子の魔物を倒した証拠がなければ、民の気が休まることはないだろう。
「そうですね……」
クロエは彼のプレートの名前を見て、固まった。
この、名前は――
「――おい、もう一杯」
「……そのくらいにしとけ、サム。そんなんで用心棒が務まるのか」
「へっ! こんな酒場の用心棒なんざ眠っててもできらぁ。元<戦闘・上級>だぜ俺ぁ」
絶え間ない喧噪。酒を飲む荒くれ者達。
胸倉を掴みあうゴロツキ。この酒場の日常だ。
王都の一角にある酒場で、サムは安物のエールを水代わりに飲んでいた。
伸び放題の髪に髭。
青年といっていい歳の彼だが、今の彼は鍛えた体の浮浪者、が精々だろう。
「『狂い獅子』がなんてザマだ……ほら、水だ」
「おう、ありがとよ――って、これ水じゃねえか。酒くれよ、酒」
『狂い獅子』サム。今はただの酔っ払いである。
こんな彼だが、元は伯爵家の四男坊であった。
生まれつきあった獅子の神の加護のせいか、力が強く、武の才もあった。
『力ある者の責任』を果たせと小五月蠅い実家を飛び出し、冒険者になった。
獅子の神の加護と、実家で習った武術のおかげか、冒険者としてメキメキと頭角をあらわした。
「レオンハルトの名が泣くぞ」
「よしてくれよ、マスター。俺ぁ、その名前嫌いなんだよ」
サミュエル=レオンハルトが彼の本名であった。
「事あるごとにネチネチネチネチ。ご先祖様と比べやがって……」
サミュエル=レオンハルトは彼の先祖の名でもある。
生まれつき獅子の加護が強かったサムに、期待を込めて名付けたのだ。
オルスティアの独立戦争で勇敢に戦った、偉大な『獅子』。
伯爵家の礎となった人物だ。
「結局、死んでるじゃねえか。生きてるもん勝ちだよ」
サムはまずそうに水を飲みほした。
サムだってご先祖様の英雄譚を目を輝かせて聞いていた時期もあった。
だからこそ武術の鍛錬は欠かさなかったし、加護も強くなっていった。
冒険者となった当初だって、英雄にならんとしていたのだ。
彼の戦いぶりから『狂い獅子』の異名を付けられ、頼れる仲間もできた。
瞬く間に<戦闘・上級>の冒険者となり、彼の人生は順風満帆であった。
「いつからケチがついたんだろうな……」
ボソリとサムは愚痴をこぼした。
いつからかサムは傲慢に振る舞うようになっていた。
仲間への指示は横柄になり、次第に関係は険悪になっていった。
そんなとき、サムが原因で依頼を失敗してしまったのだ。
仲間にそれを責められた彼は、飲んだくれた。
不幸は重なるもので、長年付き合っていた女にも見捨てられた。
ますます飲んだくれ、仲間とも距離を置き始める。
他にも小さな不幸が折り重なり、彼はイライラしていたのだ。
そんなとき冒険者ギルドで、ある女に強引に声をかけた。
酒臭い息を吐きかけ体を触ろうとしたとき、彼は文字通り吹っ飛んだ。
ギルドの治療室で目を覚ました彼は、ジェイクに事の顛末を聞き説教をされた。
女の一発で倒された『狂い獅子』。その上鼻を折られた。
二重の意味で鼻っぱしらをへし折られたのだ。
自尊心の高いサムは、仲間に合わせる顔がないとそのまま実家に帰った。
だが、実家はサムの顔を見るなり追い出したのだ。
王都に戻ったものの、どうしようもなくなった。
そこで、酒場の用心棒を自称し飲んだくれているというわけだ。
「――おい、酒。……聞いてんのか」
サムがマスターの視線を追うと、その先には女がいた。
「お前は、あの人が、どんな想いで」
女はわけのわからないことを口走った。
どこにそんな力があるのか、頭一つは小さい女はサムの胸倉を掴み持ち上げた。
忘れようもない、声をかけたらサムの鼻っぱしらをへし折った女だ。
「なっ、なっお前、確かクロ――」
サムの言葉はそこで途切れた。
物凄い勢いでぶん投げられたのだ。
サムは酒場の空いていたテーブルに勢いよく激突した。
一瞬で静まり返る酒場。
胸倉を掴みあっていたゴロツキが居住まいを正した。
「な、なんなんだよお前」
鼻っぱしらをへし折るだけじゃ足りなかったのか、そうサムが思っていると。
女が薄汚れたプレートを渡してきた。かなり古いものだ。
「サミュエル=レオンハルト。あなたが明日もこんなザマなら殴りに来ます」
女はそういってサムに背を向けた。
「ご迷惑をおかけしました。足りますか?」
「あ、ああ。十分だ」
女はカウンターに金貨を置くとそのまま帰って行った。
「――ったく、なんなんだあの女。こんな汚ねぇモノ寄こしやがって――!?」
サムがプレートを観察していると、『なにか』が流れ込んできた。
――同じ神の加護ゆえか。
サムは、プレートに籠められた想いを感じ取ることができた。
サミュエル=レオンハルト。勇敢に戦い死んでいった英雄の、想い。
勇気。闘志。無念。悔しさ。
明日の平和を夢みて散っていった獅子。彼の願い。
「なん、なんだよ。今更。こんなもん」
重すぎる。今の、飲んだくれの俺には重すぎる。
「余計な、お世話だよ……馬鹿野郎」
それは彼の憧れそのものだった。
いつしか気づいていた。そんなふうにはなれないと。
いや、決めつけていた。憧れのような完璧な人間にはなりえないと。
想いの中には恐怖もあった。
サムと同じだ。初めて魔物と戦ったときの恐怖。
それを押し殺して、戦うのだ。
お前と同じだ。そう、言ってるようだった。
「今更……なれるか」
成れ。戦え。獅子が吠えるのを感じた。
サムは投げ飛ばされた姿勢のままプレートを見つめ続けた。
じっと見つめながら、プレートを強く握りしめた。
「……すまねぇ、マスター。今日限りでやめるわ」
「おう、そうか」
サムの目をじっと見たマスターはそっけなく返した。
常連にしかわからないが、それは嬉しいことがあったときの反応だ。
――数日後。冒険者ギルドの前にサムはいた。
仲間に、会ったら謝ろう。
もう愛想は尽かされたろうから、やり直しはできないだろうが。
しばし立ち尽くしていると、後ろから声をかけられた。
「おやおやおや、逃げ出したサムじゃねえか」
「お前ら……」
かつての仲間達だった。
謝ろう。とにかく、謝ろう。
「すまなかった! 今更言うのもなんだが……」
「馬鹿か、お前ぇは」
「すまない」
サムは頭を下げた、彼らの顔を見れなかったのだ。
「――そんな鈍った体じゃ死んじまうぞ。さっさと感を取り戻せ」
「許して、くれるのか?」
「女に殴られたからってピーピー泣くなよ?オシメは替えてやらんぞ」
「……泣くか、馬鹿」
彼らは口々にサムをからかった。
サムも彼らに言い返した。
わだかまりを振り払うように。
「おら、依頼だ、依頼。行くぞ」
「お前ら……その、ありが――」
「カーッ! 気持ち悪ぃ! さっさと『狂い獅子』に戻りやがれ!」
仲間がサムの尻を蹴り上げる。
「さっさと行くぞ、サム」
「……おうっ!」
若獅子のように威勢よくサムは応えた。
仲間と共に足取りも軽く冒険者ギルドに入っていく。
伸び放題の髪は短く切りそろえられ、髭も剃られている。
サムの顔は晴れやかだった。
この日、サミュエル=レオンハルトは冒険者に復帰した。




