決闘
「――アーニャちゃん。止めないんですか?私だったら止めますよ」
オレガノの問い。彼女の口調はいつになく硬い。
わざわざあの獅子と戦う必要はないのだ。
万一クロエが死んでもいいのか?と責めているようにも聞こえる。
「止めません。お姉さんが望んだ道です。私はそれについて行くと決めました。だから、止めません」
アーニャはクロエから一時も目を話さずに、そう答えた。
普段の無邪気さは消えている。剣士としてのアーニャ。
その瞳には強い意志が感じられた。
「アーニャさん、貴女は強いですわね。わたくしは一瞬ためらいました。シマールにあるまじき失態ですわ」
エリザベートの、アーニャを見る目はどこか羨望があった。
獅子は、胸元のプレートを投げ捨てた。
「ワシは、ただの獅子よ。もはや名はいらん」
「そう、ですか」
「お嬢ちゃん。戦士としてなら、ワシは加減できん。今からでも遅くはない。ワシを魔物として――」
獅子は、クロエの中にある恐怖の感情を読み取ったのだろう。
クロエは、心の奥底では恐怖を感じている。
いくら修練を積み重ねても、場数を積んでも、完全にはなくならない。
あのとき、あれが通じなかったら、避けられなかったら、など夢にうなされることもある。
「わたしにも、強くならねばならない理由があります」
平穏に生きられる方法は、クロエにはいくらでもあった。
ローズマリーさんにはいつも、かたぎな仕事先を紹介される。
マリアさんにも、会う度に冒険者なんて辞めろと説教される。
女将さんは、言葉には出さないけど時折悲しそうな顔を見せる。
けれど、それでも。クロエは強くならねばならない。
七年前、『おかあさん』の死を知らされてから、クロエは、ずっと――
「そうか。ならば戦士クロエ。ワシを討ち果たしてくれ」
「はい」
クロエの目に決意の光を見た獅子は、クロエを戦士として認めた。
ならばもう言葉はいらない。
お互いの距離はクロエの歩幅で二十ほど。
沈黙。両者微動だにしない。
もう決闘は始まっている。
互いに自然体。無駄な力を排し、瞬時に全力を注ぎ込める体勢だ。
相手の呼吸、筋肉の動き、マナの揺らぎ。
互いの僅かな動きも見逃すまいと交差する視線。
重苦しい時間が過ぎる。一秒を何倍にも引き延ばすような集中。
十秒。一分。時が経つ毎に凶悪なまでのマナが渦巻く。
風が吹いた。
次の刹那。爆音。両者の姿が消える。
両者の立っていた石畳が弾ける。加速の勢いに石畳が耐えられなかったのだ。
クロエは爆発的な加速のまま一直線に突っ込む。
歩幅二十の距離は、瞬時に詰められ、互いのメイスが打ち合う。
クロエは地を這い上がるような下段から。
獅子は大地を抉らんと上段から。
一瞬の均衡。打ち合わさった鋼同士が耳障りな音を奏でる。
わずかに獅子に軍配が上がる。
クロエはその勢いを利用し、跳び下がる。
獅子はそれを見逃すまいと追いすがる。
クロエはその場で獅子を迎える。
獅子のメイスが不吉な風切り音を立てながらクロエに迫る。
受けるクロエの腕が軋む。
クロエはそれを弾き、袈裟、横薙ぎ、逆袈裟の目にも止まらぬ三連撃。
獅子は初撃を避け、横薙ぎを受け、逆袈裟をいなした。
打ち合い、避け、受け、いなし。
足は間合いを制さんと絶え間なく遷移する。
腕は相手を砕かんと武器を振り上げる。
脳は相手を出し抜かんと回転し続ける。
一撃一撃が、まばたきほどの隙が、互いに致命傷になりうる。
五分にも満たないその時間が、両者には一秒にも一刻にも感じられた。
互いに強く、打ち合わせた後、後ろに弾けた。
「素晴らしい。よく、その歳でそこまで」
クロエは先の打ち合いで気がついていた。
獅子は一撃一撃、クロエに技を託している。
手加減ではない。
互いに命をかけた、まさしく全身全霊の教授だ。
時間にしては僅かばかり。
だが、その濃密な時間は確実にクロエの技を研ぎ澄ましていった。
「いかんな、楽しい。生きるというのは欲が湧く」
獅子もクロエの想いを感じ取っていた。
心の奥底に恐怖を抱えながらも、獅子を戦士として満足させようとしている。
「なんとも皮肉なものだ――最後の最後で」
同じ武器、似た戦い方。
恐怖を感じながらも、武器に手に取り、戦う。
――ああ、それは、戦に赴いたワシそのものじゃないか。
「終わらせよう」
「はい」
「もう、満足だ。あるのだろう?奥の手が」
「――はい」
「最後に、見せておくれ」
獅子の目には、優しさがあった。
獅子の想いに応えねば。クロエの内包するマナが渦巻く。
クロエはメイスにさらにマナを上乗せする。
ぎしり。ぎしり。メイスが耐えられる限界までの強化。
後先のことは、考えない。
メイスに注ぎ込まれたマナは、嵐のように荒れ狂う。
行き場をなくしたマナの余波が、亡霊の悲鳴のような甲高い音となって鳴り響く。
獅子はビリビリと魂の奥底の震えを感じた。
「お、おおお!」
「――いきます!」
クロエは石畳を踏み砕く勢いで突進する。
打ち合わさるメイスとメイス。
それは、獅子同士が喉元を食いちぎらんとするような、互いの全力の一撃。
耳をつんざくような音。
吹き荒れるマナ。
決着は一瞬で着いた。
「――全く……とんでも、ない……」
メイスと腕、下半身、胴体の大半を『消し飛ばされた』獅子が、空を仰ぐ。
金属性魔法<振動崩壊>。
金属を介してマナを超振動させ、崩壊を引き起こすクロエの切り札である。
「あなたを魔物にした者は、わたしが必ず討ちます」
「そう、か……迷惑を、かける」
獅子の命の火が失われていく。
それに伴って彼の魂を縛っていたものが霧散していった。
「オル、スティアの……坊主……シマールの大、将……すまん、先に……逝く……」
人間だったころの死と重なったのだろう。
彼の眼の光がなくなる。
名も無き獅子は、死んだ。




