お嬢様
――シマール『辺境』公爵。
帝国と接するオルスティア辺境の領主でありながら、武功において並び立つものなし。
として、公爵に叙された。
公爵家一族の、オルスティアに対する多大な功績によって、誰も異論を唱える者はいない。
というか脳筋国家なので叙爵が適当な気がしてクロエは心配だ。
お前、強い、公爵。こんなノリで決めてそうだ、とクロエは思った。
オルスティア独立は『オルスティア王の契約』と『シマール家の武』がなければ不可能であった。
クロエが師匠にこの『史実』を習ったとき、あまりの荒唐無稽さに開いた口が塞がらなかったのを覚えている。
曰わく、単独で敵陣に攻め入り、敵軍の貴族を片っ端から誘拐して身の代金を荒稼ぎしたという『シマールの人攫い鬼』。
曰わく、千に満たない手勢での、大山脈越えからの帝都強襲。
これは帝国の『吸血鬼』に阻まれたそうだが。
曰わく、そこからの撤退戦から反転して、追撃を壊滅に追いやった『シマールの退き口』。
などなど、『初代』だけで武勇伝が尽きない。
戦術、戦略が馬鹿らしくなる無双ぶり。
嘘をつくな合法ロリ、と師匠を鼻で笑ったクロエだが、実際見てきたんだよと返された。
一体師匠はいくつなんだと聞いたら特訓を増やされた。理不尽だ。
辺境にいるのは、シマール公爵が帝国に対する抑止力であるからだ。
脳筋国家の中の脳筋。
『当代』と面識があるクロエは、ああ、このおっさんの一族ならそれは『史実』なんだろうなと思ったほどだ。
蛮族が貴族の格好をしている。
クロエの『当代』の初対面の印象だ。
あれ?これ、大盗賊の頭領あたりが成り代わってるんじゃない?と本気で考えた。
実際『人攫い鬼』など、帝国にとってはあながち間違いではないかもしれない。
血は連綿と受け継がれていたのだ。
そのシマール公爵の三女。
クロエが連れてこられた元凶の『お嬢様』。
エリザベート・シマール。
今、クロエの目の前にいるのはそんな人物だった。
「あら、クロエさん。お久しぶりですわ」
ドリル。ドリルである。
歳はクロエより一つ上の十八歳。
豪奢な金の髪を縦に巻いたその姿は麗しく、大輪の薔薇のよう。
あの大盗賊の大親分……もとい公爵様に似ても似つかない。
本当に似なくてよかった。クロエは安堵した。
光沢のあるドレスに身を包み、優雅にテラスでティータイム中であった。
あ、これ忍装束の素材だ!あの蛍光色はこれか!
クロエはいらぬ事に気がついてしまった。
「シマール姫殿下のご尊顔を拝し奉り、恐悦至極にございまする」
膝を突き礼をするクロエ。
クロエは忍者に毒されていた。
「そんな他人行儀な。わたくしとクロエさんの仲じゃありませんか。エリザ、でいいんですよ。あら、そちらの――」
「アーニャにございまする」
同様に膝を突き礼をするアーニャ。
アーニャはそつなくこなせるが、クロエに合わせたのである。
お姉さんだけに恥をかかせる訳には。アーニャの献身だった。
「ふふ、可愛らしいですわね、じいや」
「はっ!」
シュタッと表れる蛍光ピンク。
二人分のティーセットを瞬く間に用意する。
「まずはお茶にしましょう」
エリザベートはにっこりと微笑んだ。
――エリザベートは大貴族に似合わず、かなり気安い。
どこぞの馬の骨たるクロエとアーニャに平然と同席を許すのだ。
この辺は、自ら素手で採ってきた猪や熊で、領民と鍋を囲うような公爵様の影響だろう。
『毒ぅ?暗殺?殺れるもんなら殺ってみい!』
そう豪快に笑う公爵様を思い出した。
まあ、そんなことで何とかなるようなら、帝国が何とかしてるだろう。
「あ、美味しいです」
と、アーニャ。確かに美味しい。
じいやは転職後も完璧だ。
「ありがとうございまする、アーニャ様」
嬉しそうなじいや。
語尾には突っ込まないぞ。クロエは決意を固めた。
クロエ本人は、優雅にティーカップを持っているつもりだが、カタカタと震えてしまっている。
テラスから見える中庭の光景に動揺を隠せないのだ。
「あら、どうしましたの?クロエさん」
「い、いえ……あ、『あれ』は」
「ああ、『あれ』ですか」
エリザベートは誇らしそうだ。
「火遁の術!」「なんの水遁!」「おっと」「わー、土遁ですー」
蛍光色の衣装に身を包んだ侍女達。
立ち上る火柱。こちらまで来る水しぶき。防ぐじいや。アーニャにお代わりを注ぎながらだ。
あの背の高いのはオレガノか。
「い、いい一年前はこんな――」
「ええ、一年前は見せられる練度ではなかったので」
恥ずかしそうに微笑むエリザベート。
この世界、魔法が存在するのだ。忍術が再現できてしまう。
「――二年かけて、やっと部隊が形になりましたの」
感慨深く呟くエリザベート。その瞳は何を見ているのか。
部隊とは何なのか。クロエは怖くて聞けなかった。
「――それで、『お願い』がありますの」
来た。クロエは身構えた。
エリザベートがその気になれば、国立たる冒険者ギルドに、クロエを緊急招集させるのは容易い。
それをせず『お願い』、なあたりエリザベートは誠実だろう。
クロエにとってはどちらにせよトラブルであるが。
「何でしょう」
カタカタカタとカップを置くクロエ。動揺は消えていない。
「最近、近くに大型の魔物が出現したという話をご存知かしら?」
「え、ええ、まあ」
嫌な予感しかしない。
王都に来る際、騎士が注意喚起してきたあの件だろう。
「それなら話が早いですわ、退治に行きましょう!」
うわー。予想を裏切らないなこのドリル。内心で暴言を吐くクロエ。
「ドリ、エリザ様。国の兵士にお任せになっては……」
内心がはみ出てしまったクロエ。
エリザベートは立ち上がり、天を仰いだ。
拳を握り、遠くを見るその様は、どこぞの絵画のようだ。
「既に兵士に少なくない被害が出ています。国の為、民の為、命をかけるのがシマールですわ!」
かけないで下さい。内心のツッコミは通じない。
「さすがお嬢様ですじゃ」
感激のあまり、むせび泣くじいや。
「あの――申し訳ありませんがお断りします」
魔物退治はやぶさかではないが、さすがにエリザベートを連れていくわけには。
止めても無駄な気はするが。過去、クロエが止められた試しがない。
アーニャちゃんのお願いならともかく、エリザ様のお願いは聞かない!
心を鬼にしよう。クロエの決意は固い。
「クロエさんは反対なの?困りましたわね……何?じいや……報酬?」
すかさずエリザベートに耳打ちするじいや。
入れ知恵する気か。
ええい、どんな報酬でもわたしは動かん。不退転の覚悟のクロエ。
今回は、今回こそは止めてみせる!
「ふむふむ、なるほど。報酬に加えて、アーニャさん用に侍女服を差し上げます」
「やります」
「ちょっと、お姉さん!?」
そこまで説得されては、仕方あるまい。
国の為、民の為、立ち向かうエリザベートにクロエの心は動かされたのだ。