膝枕
疲れた。
クロエだって人間である。
戦いの後は精神的な疲労が大きい。
「お姉さん、お疲れですか?」
「うん、ちょっとだけ」
宿に戻り、風呂に入って食事をとり、寝る前の身支度をして。
もう、あとは寝るだけ。
寝る前のまったりした時間なのだが、アーニャに心配されてしまった。
疲労が顔に出てしまったらしい。
アーニャちゃんと出会ってから、弱くなったのかな。
いやいや、アーニャちゃんの為なら例え火の中水の中。
――でも、アーニャちゃんと出会ってから、何か張りつめていたものが切れた気がする。
きっと、楽になったのだ。アーニャちゃんに寄りかかる分、弱い部分が出ちゃってる。
クロエはここ最近、アーニャと出会うまで、誰にも弱い面を見ようとしなかった。
「じゃあ、お姉さん」
ベッドに腰掛けるアーニャ。
「どうぞ」
ぽんぽんと膝を叩くアーニャ。膝枕してくれるらしい。
「いいの?」
「遠慮しないで下さい」
妙な気恥ずかしさを覚えるクロエ。
今日はなんだか甘えたい気分だったので、おずおずとアーニャの太ももに頭を乗せる。
後頭部に感じる太ももの感触。細いが張りがある。アーニャの温もりを感じる。
「よしよし、いい子いい子」
「ん……」
アーニャは優しくクロエの頭を撫でる。
いつもより大人びた顔。優しい声色がクロエを落ち着かせる。
静寂。クロエにとってとても心地のいい静寂。アーニャの太もも。アーニャの手。アーニャの顔。
小さな、けれど幸せな世界。
胸が暖かい。
アーニャちゃんを好きになって、よかったなぁ。
クロエは寝返りをうち、アーニャの腹に顔を埋める。
顔中に感じるアーニャの温もり。アーニャの匂い。
「ふふ、お姉さん。くすぐったいです」
アーニャはクロエの頬を撫でる。
クロエは目を瞑り、その心地よさに身をまかせる。
「今日はゆっくり休んでください」
露わになった耳を優しく指でさする。
クロエはくすぐったげに身をよじる。
「アーニャちゃん」
「なんですか」
クロエはアーニャを見つめる。
アーニャはとても穏やかな顔をしている。
「唄って」
「――はい」
アーニャがクロエを撫でながら唄うのは子守唄。
どこか物悲しい、けれど優しく、暖かい。 ああ、そうか。
クロエは半分まどろみの中。あやふやな頭の中、考える。
弱さが出てもいいんだ。
寄りかかれるって幸せなんだ。アーニャちゃんも寄りかかってくれるかな。
きっと、もっと強くなれる。アーニャちゃんと一緒なら、二人でなら、もっと――
寄りかかれる相手がいる。
それはクロエにとって、とても、とても幸せなことだった。
クロエはいっぱいの幸せの中、眠りに落ちた。
「ふふ、お姉さん子供みたいです」
安らかな顔で寝息を立てるクロエ。いつもより幼く見える。
アーニャはクロエの亜麻色の髪が大好きだ。とてもサラサラな髪の毛。
私を好きと言ってくれる人。とても綺麗な人。とても優しい人。甘えん坊な人。
お姉さん、と呼ぶ度にアーニャの胸に幸せが満ちる。
「よいしょっと」
クロエを起こさないように、慎重に慎重にクロエをベッドの中央へ。
じっとクロエの顔を見る。
『いずれ、あんたにも分かるさ』
『分からない。恋なんかしないよ。馬鹿らしい。なんの利点もない』
あれは、いつだったか、踊り子の先輩との会話。結婚して、引退が決まったとき。
ずいぶんと冷めた子供だったな――アーニャは苦笑した。
想い人の一挙一動に、喜んだり、悲しんだり。時には道化を演じる。
そんな姿がアーニャは嫌いだった。
ただ、強くなる。感情のぶれは弱さだ。恋なんて足枷いらない。
アーニャはクロエの髪を手櫛で梳かす。
『利点だとか、理屈だとか、そんなのいらないのさ。あんたにもきっとわかる――』
ああ、その通りだったな。
お姉さんと出会って、アーニャの理論武装なんか吹っ飛んでしまった。
計算尽くの仕草は変わらないが、心の内は恋焦がれて身を焼き尽くしそう。
昔の私が、今の私を見たら『馬鹿なんじゃないの』とでも言うだろうか。
きっと、まあ、馬鹿なんだろう。
アーニャは嬉しそうに笑った。
でも、今の私のほうがずっと、強い。
お姉さんのためなら。お姉さんと二人なら、きっと、もっと強くなれる。
アーニャはクロエの髪をかき上げ、額に口付けを落とす。
心の内で燃え上がる熱を、少しでも伝えるように。
「おやすみなさい、お姉さん」
アーニャはベッドに潜り込み、ぎゅうっとクロエに抱きついた。
一の鐘(六時)が響く。
クロエが目覚めると、傍らにはアーニャ。最高の目覚めである。
昨日感じていた気だるさは、ない。
昨日は、確か――アーニャちゃんに膝枕してもらって。
そのまま寝ちゃったのか。
悪いことしちゃったかな、とアーニャの頬を撫でる。柔らかい。
今日は、もう少し寝よう。
それから今日はデートにしようかな。
ゴタゴタして街をゆっくりまわれてないし。
もう一眠り。クロエはアーニャを抱いて眠りについた。
――クロエは今日、過去の己の罪と向き合うことになる。
寝息を立てはじめたクロエは、まだそのことを知らない。