クロエ、捕まる
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クロエは捕らえられてしまった。
突然だった。
アーニャと手を繋いで冒険者ギルドを出た直後の出来事である。
クロエは精一杯の抵抗を試みたが、相手が悪かった。
相手はクロエの弱点を巧みに突き、クロエを逆らえなくしたのだ。
「アーニャちゃん!」
「お姉さん!」
引き裂かれた二人。
「アーニャちゃん、わたし、絶対に戻ってくるから!」
「おねーさーん!」
哀れクロエはならず者の手に――
「人聞きの悪いこと言わない!だ・れ・が・ならず者ですか」
「あ痛ッ」
ぽかりと拳骨するマリア。
クロエを捕らえたのはマリアであった。
――ここはクロエの錬金術師としての職場、鍛冶神殿内の刻印錬金術支部である。
この世界、特に、尚武の国たるオルスティアでは、鍛冶―刻印もその範疇だ―はある種、神聖視されている。
魔を払い、敵を打ち砕くことにより命を守る。
武器は戦士にとってまさしく『命』である。
刀剣を杖代わりになどしようものなら、打ちのめされても文句は言えない。
クロエは小さい頃に師匠に拳骨を貰い学習した。
故に、その『命』にかかわる鍛冶や刻印術は戦士から尊敬を集めている。
マリアは巫女様と呼ばれてチヤホヤされている。
本人は澄まし顔であるが、まんざらでもないのをクロエは知っている。
クロエはマリアが嫌いであった。
――刻印術は神聖視されているため、鍛冶神殿内に専用の儀式場が与えられている。
別にどこでだってできるのに、とクロエは思う。
ここは、普段は<刻印・特級>のマリアのみが使っている儀式場。今日はクロエもいるので二人だ。
「うう……アーニャちゃん」
「泣き言言わない。仕事たまってるんだから」
「はぁい」
クロエは渋々刻印に取りかかる。
クロエは作り笑いの『巫女様』マリアが嫌いである。
だが、素のマリアは嫌いではない。小言は苦手だが。
クロエは素のマリアの前では子供っぽくなる。本人は否定するだろうが。
マリアとの付き合いは長い。
師匠には魔法や戦い方を教わった。今でも、一万回やっても勝てない。
クロエにとっての戦いの師は師匠しかいない。
だが唯一、錬金術―刻印術―は師匠に勝ってしまった。
クロエにとってマリアは刻印術の師――ではないが、姉代わりのようなものなのだろう。
血も繋がってないのに姉って、ないわー。
クロエは苦笑する。
クロエは自身のことは棚に上げる達人であった。アーニャちゃんは可愛いからセーフ。
「相変わらず、あんたのは反則ね」
マリアは二人きりのときは口調が変わる。
誰も入らない儀式場限定であるが。
クロエは、いつもそれでいいのに、と思うのだが。
マリアの言う通り、クロエの刻印速度は早い。マリアが一つ刻印する間に七つ仕上げる。
今日というより一刻(二時間)足らずで、クロエは十五、仕上げた。
「速度が取り柄ですから。まだまだマリアさんの完成度には及ばないけど」
クロエも素のマリアと話すときは口調がくだける。
アーニャと話すときは理性すらくだけるが。
マリアの刻印術は最早完成の域に達している。
刻印術の最終到達点に最も近い刻印術師である。
「まあ巫女様だからねー。あんたに早々負けてらんないわ」
ヒラヒラと手を振るマリア。
お互い瞑想中である。
瞑想と言っても、目を瞑り祈ることではない。
この世界ではマナを回復するための自然体を指す。早い話がリラックスである。
戦士も魔術師も初めに身につけるものだ。体勢などは人それぞれであるが。
クロエは座禅のように。マリアはダラーンと横になっている。
間違っても『巫女様』ファンには見せられない。
マナの回復速度は戦闘や緊張で鈍り、睡眠や休憩時に早まるとされている。
クロエは師匠から、戦闘時も回復速度を上げる訓練を受けているが、やはり瞑想が一番効率がいい。
刻印術の魔力―正確にはマナ―の消費は激しい。
端から見れば楽そうな仕事であろうが、刻印には神経を使うし、魔力消費も激しいのだ。
「ふぅ、疲れた」
さすがのクロエもすっからかんであった。
「その『疲れた』を私は毎日やってるんですよ、クロエさん」
営業スマイル。クロエの嫌いな『マリア』が出てきてしまった。どうやらお冠らしい。
「う、ごめんなさい」
本当にわかってるのかしら、とマリア。言い聞かせてわかるようならマリアは苦労していない。
「――アーニャちゃん、だっけ?」
「うん」
アーニャちゃんは今頃神官長様と盤上遊戯中かな、あの人は面倒見がいいから、とマリアはクロエが連れてきた少女のことを頭に思い浮かべた。
「どんな子なの?」
「ええっとね――」
マリアは後悔した。老人の孫トークばりに長い、クロエの妹トークが炸裂したのだ。
前々から頭の残念な妹弟子だったけど、ここまで残念とは。
ほぼ同い年のアーニャにお姉さんと呼ばせるクロエに、ドン引きのマリア。
ちなみにマリアの好みは白馬の王子様なあたり、マリアも残念な女である。
クロエはそれについてからかったところ、地の果てまで追いかけられた。決してからかってはいけない。デリケートなのだ。
「そ、そう。凄いわね、あ、もうこんな時間」
マリアは早々に話と仕事を切り上げた。緊急避難である。
「アーニャちゃん!」
「お姉さん!」
ひし、と抱き合う二人。一刻(二時間)ぶりの感動の再会である。
アーニャは儀式場の前で待っていてくれたのだ。
ちなみに神官長との盤上遊戯はアーニャの圧勝であった。アーニャはお姉さん以外には厳しいのだ。
「寂しかったよ、辛かったよぉ」
「よしよし、お姉さんはすごいです」
ここぞとばかりにアーニャの胸に顔を埋めるクロエ。
今日は踊り子衣装なので、アーニャの貧乳を堪能し放題である。
アーニャの駄目クロエ製造機ぶりは日々磨きがかかっている。
「クロエさん、余所でやってくれるかしら、クロエさん」
営業スマイルのマリアだが、額に青筋が浮かんでいる。
「神殿では迷惑でしょう?クロエさん」
「あ、はい」
クロエは事前に<反響>―金属性の魔法―を使い、アーニャしかいないのを確認していた。
変なところには頭が回る。
しかし、クロエは後ろにマリアがいるのを失念していたのだ。
「ごめんなさい……」
しゅん、とうなだれるアーニャ。角度、仕草、声、共に職人芸である。
「あら、アーニャちゃんはいいのよ」
アーニャの頭を撫でるマリア。マリアもちょろかった。
「じゃあ、アーニャちゃん。帰ろっか」
「はい、お姉さん。――では失礼します」
「はい、またねアーニャちゃん。クロエさんは今度はもっと働いて下さいね」
「はい、マリアさん」
二人で手を繋いで歩き出す。
――ふと。
また『巫女様』になったマリアにクロエは意地悪がしたくなった。
クロエは振り返り、
「またね、お姉ちゃん」
そう、言ったのだ。
「お姉ちゃん、ではありませんよ。クロエさん、また」
気のせいか。
さっきの『クロエさん』はどこか柔らかく。
さっきの笑顔は、クロエは嫌いじゃなかった。