第五話
リリィが目を覚ましたのは、塵のように降り積もる骸の上だった。
空は青天でも、曇天でもなく暗雲に世界が飲まれてしまったのか清々しいほどに黒い。この空に不思議と恐怖心は感じなかった。
この世界を小さな頃から知っているような気がする。
生すら存在を許されない、死と無だけが充満してこの空の世界を満たしている。
彼女は立ち上がり、辺りを見渡す。
地平線の先まで続く骸の道。どこに向かうわけでもなく、彼女は歩き出した。
骨が砕ける音、砕かれた者の悲鳴が虚しさとなってリリィの体を通り抜けていく。
いくら歩いただろうか。自分がどこで寝ていたのかすら分からなくなってしまった。そして自分がどこにいるのかすら分からない。
空を見上げるが依然として黒。空模様が変わる気配すらない。
「こっちよ」
どこからともなく声が聞こえた。懐かしい声だ。小さな頃、大好きだったペットの犬が死にベッドで寝ていたころに聞いたあの声によく似ている。
声はいつでも彼女の傍にいた。片時も離れず時には話し相手になり、時には子守歌のように話を聞かせた。
両親が仕事でいない時でも、淋しくはなかった。
彼女の周りにはいつも死が纏わりついていた。
大人になるにつれ、声は次第に聴こえなくなっていった。十年ぶりに声を聴いたのはあのベルダ村の時だった。
クロネが殺されそうになった際に、何者かが彼女の体を乗っ取り引き金を引いた。
そして二度目は蒸気機関車での時。はっきりと聞こえた。声が。
声に誘われるまま、彼女は歩を進める。
気がつけば彼女の足元に小さな水たまりが無数にあった。
水たまりを覗くと、記憶がよみがえる。
これは三歳の頃の記憶。目の前で祖父を亡くし、悲しみに明け暮れていたあの日だ。
次の水たまりには五歳の頃の記憶がある。
その日は酷い雨だった。あれほど歩き慣れた森の道すら分からなくなっていった。どれだけ泣き叫ぼうとも、誰も気づいてくれなかった。
森の奥へ奥へ進んでしまい、朝になることには倒れて歩けなくなっていた。
雨が止み雲の切れ間から光が差すと、彼女の上で円を描くように鷹が飛んでいた。
疲れて一歩も動けなかった。このまま死ぬのだろうかと幼子心で思い、もう一度だけ両親に会いたいと願ったら、父の声が聞こえた。
古い記憶から、新しい記憶まである。
ここにあった記憶のすべてに、死がまとわりついていた。
拭うことも、払うこともできない。
「ここは、貴方の記憶。ここには貴方の死のすべてがある」
声がすぐそばまで来ている。リリィは後ろを振り向く。
「こうしてちゃんと会うのは、いつぶりかしら。久し振り、リリィ」
彼女の声、彼女の体。見違えるはずもなくリリィの目の前には自分がいた。穏やかな顔でもう一人のリリィはにっこりと笑う。
「本当に久し振り、リリア……」
もう一人に名前などなかった。彼女の体にあるのは死の衝動と無だけ。だから名前にそれほど執着もなければ、どう呼ばれようが気にしていない。
「その名前で呼んでくれるのね。貴方が私にくれた名前、まだ覚えてくれていたのね」
「あの時まで忘れていた。あなたの存在を、あなたの名前を。ねぇ教えて、あなたは一体何なの?」
リリィはリリアに対して、質問を投げかけた。
「私は、貴方が持つ死そのもの。小さい頃から、貴方の周りには死が充満していたわ。だから私も表に出てこれた。でもね、時が経つにつれて貴方のそれは、ある人との出会いによって心の奥底に沈められてしまった。その人が誰か分かるでしょう?」
分かっていた。その人物が誰なのかも、どうしていまさらになってリリアが再び表に出てきたのか。すべては彼が原因なのだ。
「クロネ……」
リリアはゆっくりと頷く。
「そう。彼だけじゃない、貴方の周りの環境によって劇的に変わった。死で満たされていた空間が、生に満たされ始めたの。一番の功労者は彼だろうけどね。貴方は私を心の奥底に封じ込めた。無意識のうちにね。だけど、戦争のせいで封じ込めていた私が解き放たれ、今こうしているの。できれば、二度と出てこない方がいいのだけれど、貴方の彼を想う気持ちが強すぎるあまり私がその心に共鳴して、貴方に力を貸した」
「そんなことが……。ごめんなさい、私あなたに頼ってばかりで。自分が何もできないからって、あなたに縋った。クロネを助けてもらった」
「良いのよ。貴方は私で、私は貴方なんだから。でも、一つだけ忠告するわ。あまり私を頼らないことね。だがが外れると取り返しのつかないことになる。だから貴方はこの力を制御しなければならない」
「そんなこと、できないよ」
俯くリリィに向かってリリアは近寄り、肩に手を置く。体温などなかったが確かにその手は人のように温かった。
「大丈夫、貴方ならできるわ。信じてる。ほら、彼が呼んでいるわよ。もう起きなきゃダメよ。じゃあねリリィ。また会えて嬉しかった」
リリィの意識が混濁していく。周りの色は白に塗りつぶされ、世界が鮮やかに彩りはじめる。草木は緑に、空は青色に。大地は茶色に。
空にぽっかりと開いた穴に吸い込まれていく。
リリアは彼女をそっと見送った。
彼女は目を覚ます。真っ白な天井だ。温かく柔らかなベッドの上で寝ている。日差しが眩しいくらいに煌めていてる。
ベッドの周りを首を動かし、確認する。
ベッドの隣には一輪挿しに生けられている、一本の真っ白でどこか気高く美しい百合があった。
こんなことをする人物は、彼女の知っている中で一人しかいない。
彼には一度だけ、好きな花を教えたことがあった。次の誕生日に百合の花束をくれた。とても恥ずかしかったけれど、嬉しかった。
「リリィ……?」
名前を呼ばれ、身を起こす仕草を取るが体に上手く力が入らない。
「無理するな。きみは三日間も寝ていたんだ」
「クロネ。花、ありがとうね」
クロネは起き上がろうとする彼女を寝かしつけ、布団をかけ直す。
「うん、どういたしまして。今先生呼んでくるから」
クロネは立ち去り、担当医を呼びに院内を走った。看護婦からは走らないように注意されていたのが、ここまで聞こえてきていた。
「感謝するんだな」
隣のベッドから声が聞こえる。体を横にして見てみると、キリハが身体を起こして本を読みながらそう言った。
彼女も心なしか喜んでいるように見える。
「クロネは三日も寝ずに、つきっきりでお前が目を覚ますのを待っていた。いつも隣でお前の手を握って祈ってからな。これであいつの情けない顔を見ずに済む」
「キリハさんは、人を好きになったことありますか?」
キリハの本をめくる動きが止まる。
「どうしてそんなことを聞く?」
「私はクロネを助けるために、人を殴ったり銃で撃ったりしました。それって、何があっても許されることじゃないんですね」
キリハが本を閉じ、窓の外を見つめながら独り言のように呟く。
「私は恋や、人を好きになるなんてことはよく知らん。生憎、そんなことが分からないまま育ってきたんだ。時には大切な物を守るためにいやでも戦わなければならない時もある。結果として人を傷つけたとしても、世界がどれだけ許さなくてもお前が愛している、いやお前を愛している者なら必ず許し、認め、受け入れ、一緒に背負ってくれるはずだ」
クロネにはその覚悟も有るみたいだな。と言いかけたが、自分が無粋なことを言わずとも分かっているだろうと、言葉を飲み込む。
「キリハさんの怪我の具合はどうですか?」
「私か? それほどの怪我じゃない。たかが銃弾を五、六発当たったくらいだ。一日大人しくしていれば治るんだが、クロネと医者に止められてな。だからこうして暇を持て余している」
「五、六発って大怪我じゃないですか! 大丈夫なんですか!?」
大丈夫だと言って、その証拠に撃たれた部分を服をまくり見せる。傷跡が見事に消えている。左目以外の体の傷はすべて閉じている。
「先生、こっちです」
クロネが担当医を連れてきて、リリィの様子を見せる。
「うん。問題ない。この様子ならあと二日もすれば退院できるよ」
担当医が帰り、クロネはようやく落ち着いて彼女と話をする。二人の様子を見てきたキリハだったからこそ、二人が心の底から笑っているのが分かる。
本当に羨ましいよお前が。とキリハも微笑んでいたが、気づかれないように本で口元を隠していた。
「ねぇクロネ。私が気絶したあとどうなったの。ここはどこなの?」
クロネが困ったように状況を説明しあぐねていると、後ろから男が現れた。
「そいつに関しては俺のほうから説明させてもらうよ。お嬢さん」
後ろを振り向くと、そこにはあの機関車で助力してもらい、あれから姿が見えなかったダリル・ムウの姿がそこにあった。
服装はランダーン軍の軍服。階級はクロネたちよりもずっと上の少佐。厳かな雰囲気を醸し出しているが、その気だるげな声と瞳のせいでいかんせん迫力に欠けていた。
「貴方は、あの時の。ランダーン軍上層部の方でしたか。申し訳ありません! すぐにご挨拶に行けずに」
「良いって。俺だって姿を偽って機関車に乗ってたんだから。それにこっちのほうもあれだけしか手伝えなくてすまんね。正体をばれるわけにはいかなかったんだよ」
コホンと咳払いをし、話の本筋に入る。
「ここ三日間で状況が大きく動いた。サンティルの防衛線が破られ、今は市街戦となっている。いよいよ敵も本腰に入れてきたわけだ。それにここは王都。だから安心していい。幸い、一人を除いて怪我はそれほど重症じゃない。きみたちには、アテマーズ将軍閣下の元に来てもらう。いいかい?」
この三日間で戦況は大きく変わった。サンティルの防衛線は崩壊し、市街戦をするしかなくなった。連日連夜戦いは続き、兵も物資も消耗が激しい。
戦場には敵の本隊ともいえる第二師団と、異国侵攻部隊が一丸となって攻めている。
比類なき強さを持つヴァミリア軍は、次々と軍施設を破壊していく中、トレッカー中佐の部隊は突如としてランダーン軍を離反し、指揮系統が乱れ苦戦を強いられている。
サンティルの町機能がヴァミリア軍に浸食されつつあり、弾薬や食料はヴァミリア軍に流れ、完全にサンティルはヴァミリアの物となってしまった。
ダリルについて行き、ランダーン軍総司令室の前に来る。
アテマーズ大将閣下と言えば、ランダーン軍でも有数の腕利きで若い頃にはユニクスの先鋭部隊を退けたという。
「失礼します。例の三名を連れて参りました」
「入れ」
アテマーズに呼ばれたのは、クロネやキリハだけではなくリリィも呼ばれたのだ。どういう意図があるのか理解していた。
彼女も軍隊に入れられるのだ。
「さて、三名にはこれよりダリルの元で働いてもらう」
目の前にいるのがアテマーズ大将閣下。片目を眼帯で覆い、張り詰めたような厳かで、威厳のある雰囲気を常に持っている。ダリルとはまるで正反対だった。
「我々も、裏切り者がいることについてはある程度見当がついていた。あと一歩のところで逃げられていた。機関車内のヴァミリア兵は殺されていた。だが、大方これで証拠は揃った。きみたちはダリル少佐率いる第十五分隊に所属してもらう。そしてその初任務は――トレッカー元中佐の拘束と援軍が到着するまでの、現地兵士の援護。話は以上だ。アンフォード以外は解散してくれて構わん」
キリハだけが総司令室に残された。
クロネも気になり、扉の近くで彼女を待とうとしたがダリルに背中を押されて、しょうがなく歩を進める。
彼らに聞かれたくない話でもしているのだろうか。
「きみにはこの剣を返しておく」
アテマーズは机の影からキリハの愛刀を取り出す。
「質問をいくつかする。正直に答えてくれたまえ。きみの生まれ故郷はどこだ?」
剣を渡す前にアテマーズは彼女に質問をする。
「そんなこと何故訊く。理由を聞かせてくれないか?」
「フッ、きみはヴァミリア出身ではないのか? 仲間にはエスタジリアンと偽っているようだが」
「その証拠は?」
キリハは落ち着いた声で話を続ける。
「この剣の造り、エスタジリアンではなくヴァミリア特有の製法が使われている。それに、エスタジリアンにきみほど優秀な兵士はいない」
観念したかのようにキリハはそうだ。と開き直る。
「私はヴァミリア出身だ。敵国から来ている兵士だと分かれば殺すか?」
「いや、今は優秀な人材が欲しい。むしろ歓迎するよ。わたしのほうから、きみの身分をランダーン兵士として伝えておく。最後に一つだけ訊かせてほしい。どうしてランダーンに亡命してきた」
「ヴァミリアのやり方について行けなくなったのと、目的がある。とだけ答えておこう。聞きたいのはそれだけか? もう行くぞ」
キリハは剣を受け取り、部屋を頭を下げずに出ていく。ふてぶてしい態度にアテマーズは笑い、椅子に座り直した。
キリハより早くクロネたちは、第十五分隊の面々に会うためにダリルに案内されていた。
彼の話では、一癖も二癖もある連中の集まりらしい。だが、能力は一級品で使い方次第では最強の分隊になりうると言った。
一体どんな人たちがいるのだろうと、ある意味胸を躍らせながら第十五分隊のテントに到着する。
周りのテントと違いがやがやと声が聞こえる。
ダリルがテントを開けると、そこにいた全員がトランプをして遊んでいた。
緊張感がまるでない。
想像していていたのは、もっと素行が悪くて手が付けられない連中だと思っていたが、中には女性もいる。
「あー、お前ら聞いてくれ。トランプゲームしている最中で悪いんだが、この分隊に新たなメンバーを加入した。もう一人いるんだが、遅れてくる。まずは二人に挨拶がてらに自己紹介をしてもらう。じゃあ最初はクロネから」
ダリルにそう言われ、一歩前に出て敬礼をし自己紹介を始める。
「自分はクロネ・マングスターと申します! 戦争になる以前はベルダ村で駐屯兵をしていました。力不足はありますが、何卒ご鞭撻のほどよろしくお願いします」
まばらな拍手が聞こえる。
「私は、リリィ・ナンツェルです。えっと彼と同じでベルダ村出身です。炊事洗濯ちょっとした医療行為もできます。よろしくお願いします」
リリィは頭を下げる。
「お堅いねお二人さん。ここじゃそんなの通用しないよ。もっと力抜いて、な?」
クロネの肩を叩き、真っ先に話しかけてくれたのは顔の整った銀髪で褐色の男だった。
「んじゃ、俺から自己紹介するぜ。俺の名前はソニア・ギルギア。趣味は……そうだな、絵をかくこと。ここでは突撃兵やってる。戦争する前は軍警察にいた」
「んじゃ次はぼくが。ぼくの名前はブレンデッド・キース。ここでは通信兵をさせてもらってるよ。よろしく可憐なお嬢さん」
膝を着き、リリィの手を取り挨拶がてらに手の甲にキスをする。貴族の生まれで気品があるのが背が低いのでいかんせん格好がつかない。
「え? はぁ、よろしくお願いします」
ブレンデッドの行動にきょとんとしながらリリィはそう言った。
「はいはい。あたしが次やります。やっと同年代の女の子が来た! あたしの名前はレベッカ・セネガル。ここでは、衛生兵してます! よろしくねリリィちゃん! マングスターくん!」
二人の手を握りぶんぶんと強く振る。女生としては髪は短く幼げな顔をし、可愛らしい笑顔をする。
「俺はスエー・ウォーク。対戦車兵兼偵察兵って感じかな。好きなことはからい料理を作ること。この戦争が終わったら、軍を止めて店を出そうと思ってます。てなわけでよろしく!」
短髪で、人当たりの良さそうなスエーが親指を立てて挨拶をした。
「ボクの名前は……ミナヅキ・オーガスト。狙撃兵。よろしく」
フードを深く被り、目すらろくに合わせてくれない。
「ハルナ・マルネリエ。戦車担当です。よろしくね」
黒縁の眼鏡をしたひときわ胸の大きい彼女が笑顔で言う。
「あとは、誰いたっけ?」
ダリルがそう言うと、勢いよく手を上げ声を張り上げる。
「はいはい! このシト・アウトラスが残っています!」
「あっ、ごめんごめん。影薄くてわかんなかった」
手を上げダリルが謝ると、シトが偉そうに咳払いをすると自己紹介を始める。
「このおれの名前は、シト・アウトラス。工作兵をやっている。爆弾解除から、罠の設置。なんでもござれだ」
「あとは……」
「今新人くんがお嬢に連れられて、酒買いに行ってます。もうじき帰ってくると」
レベッカがダリルの質問に答えると、何者かがクロネの後ろから首に手を回した。
酒気がすごかった。そして生暖かいものが背中に押し当てられている。
「シャルネ、また酒を飲んでいるのか」
ダリルが困った顔で、クロネに抱きついている女性に対して言った。
「あれ? また新人? ノルヨカ、よかったね。新しいお仲間だよ。名前は?」
「クロネ・マングスターです」
「くっ、クロネ先輩?」
大量の酒を持たされているノルヨカが、そこにはいた。あの復讐に溺れた彼ではなくベルダ村で見たようなあの彼がいる。
「なんだ、あんたの知り合いかい。私の名前はシャルネ・ローズ。ここの副隊長やってる。よろしくねぇ」
シャルネ・ローズ。彼女は薔薇色のような鮮やかな髪をして、胸元を大胆に開けた軍服の着こなし方をしている。
シャルネはクロネから手を離し、ノルヨカが持っている紙袋から酒を取り出し、トランプが並べられている机の上に置く。
「お? お嬢また酒宴でもするのか?」
ソニアが笑いながら、シャルネの前に座り彼女の前にコップを突き出す。
「なんだい、これは私が買ってきた酒だ。一滴たりともわけてやるもんか。欲しかったらトランプで私に勝ってみな」
「いいのか、お嬢? トランプとか弱いくせに酔った勢いでそんなこと言って。よし、じゃあポーカーで勝負といこうじゃねぇか」
第十五分隊は変わり者が多いと聞いていたが、戦時中に酒を飲みトランプで賭け事をしている。本当にここが、軍の組織なのか目を疑った。
確かにこの場面だけ見ると酒屋の光景を見間違えるが、自己紹介を聞く限りみなのどこに問題があるというのだろうか。
分隊は仲は良さげで、クロネたちも歓迎してくれているようだ。
この感覚は仲間と言うよりも、家族に似ていた。
この温もりは久しく忘れていた。クロネもリリィと顔を合わせて、互いの心配を拭う。
「あっ、リリィはレベッカと同じく衛生兵ね。クロネは、そうだな……突撃兵にでもなってもらおうかな」
ダリルがそう決めると、ようやく三人に合流したキリハが顔を出した。
分隊全員の視線がキリハに注がれていた。
好奇の眼。視線を集めてしまうのは、その紅い髪と腰にぶら下げている剣。ランダーンでは、剣を持った兵士はただでさえ少ない。
極めつけはレイド族特徴の紅い髪。
「あっ、やっと来た。キリハ、自己紹介を」
ダリルの指示で彼女は簡単な自己紹介を始める。
「私はキリハ・アンフォード。剣士だ。よろしく頼む」
「わーい! また女の子が入ってきた! あたしレベッカ。よろしくねキリハちゃん」
レベッカが近寄り握手を交わす。キリハはやや驚いた表情を浮かべていた。
邪険にされると思っていた。剣士は驕るやつが多い。だからきっと挨拶をしても、誰も返事をくれないと思っていた。
しかし、ここは違った。
「おやおや、これはまた美しいお嬢さんだ。ブレンデッドと申します。どうかお見知りおきを」
そこから再び自己紹介が始まり、キリハの様子を静観しているとソニアに肩を組まれた。
二人にか聞こえない距離で、こそこそと話す。
「おいおい、お前どっちが本命だよ。卑怯だぞお前ばっかり女に囲まれて。俺を紹介してくれよ」
「本命って……」
戸惑うクロネやキリハ、リリィの様子を見かねてダリルが手を叩く。
その音で場が一気に白け、温かな雰囲気が真剣みを帯びていく。
「はいはい。自己紹介終わり。明日からの作戦を伝える。全員よく聞け」
クロネは生唾を飲み込み、ダリルの言葉に耳を澄ませた。
「明日には我々は第十五分隊は蒸気街サンティルに向かう。そして、到着次第作戦を開始する。作戦の内容は、裏切り者のトレッカー元中佐を拘束することと、援軍が到着するまでの現地兵士の援護。サンティルでは激しい抵抗が予想される。すでにサンティルには、多くのヴァミリア兵が流れている。本作戦はアテマーズ将軍閣下直轄の我々が極秘に単独で行う。えー、簡単に言えば一応優秀である我々が仕事をさっさと終わらせて、王都に帰って来いってことだ。質問は?」
「ちょっといいか?」
ソニアが手を上げる。
「対象が激しく抵抗した時、足や腕を撃ってもいいのか? それともなるべく無傷のままか?」
「いや、幸いこちらには専属医がいる。とびっきり腕の立つな。だから多少の手傷なら負わせて無力化しても大丈夫だ」
「了解したぜ。これで遠慮なしで撃てるぜ」
「ほかにいるか?」
今度はレベッカが手を上げる。
「あの、いまさらですが一人足りません」
「そういえばそうだった。はぁ、あの子また来なかったのか。まぁ俺が直接行って伝えてくるよ」
後頭部を面倒くさそうに掻き、溜め息をつく。
「まったく初任務の相手が自国兵士なんてね。運があるのか無いのか、わかりゃしないよ」
シャルネが早速酒の瓶のふたを開け、コップに注ぐ。
「まぁまぁそう言わないでくれよ、シャルネ。これも立派な任務なんだから」
ダリルが彼女を言いなだめる。
「作戦の説明は以上。明日で暇な日とはさようならだ。お前ら、死んでもいいように後悔が無いように過ごすこと。いいな」
作戦の説明が終わり、みな各々がしたいことを始める。
武器の手入れをし始める者。眠りにつく者、酒を飲む者やトランプを楽しむ者。そして明日誰も死なないことを祈る者。
「あのダリル隊長、作戦内容を伝えるの僕にやらせてくれませんか。顔合わせを兼ねて」
「あっ、任されてくれるか? すまんねぇクロネ」
そしてクロネは王都の道を歩いている。
最前線に町とは違い、ここは賑わっていた。
人々はランダーン軍の勝利を信じているのだ。だからこそ、誰も今日という日に絶望をしていない。
明日は我が身かもしれないと知りながら、今日を一生懸命に生きている。
人々のこの姿を見ると、まだこの国は死んでいないと思い知らされる。
「すごい賑わっているね、クロネ」
「リリィ、きみまでも来なくてよかったのに」
「リハビリついでにね。それに、王都の街も一度見てみたかったし」
リリィも彼について来ていたのだ。
これが彼女が見たがっていた王都。人々は日夜問わず盛んに行き来し、この平和を維持しているランダーン女王陛下に感謝の心を忘れずにいる。
誰しもが、この平和を愛しているはずだ。なおさらトレッカーが裏切った理由が分からなかった。この平和を奪ってまでも、彼の実現したいものとは一体何だろうか。
平和こそが宝。そこに生きる民は、どんな財宝よりも勝る。
キャルロット女王の言葉だ。
明日には彼と対峙しなければならない。すべてを聞く。彼が何を想い、国を売ってまで何を成そうとしているのか。
「リリィ、ごめんね。二度もきみに助けられた。本当は僕が助けなきゃいけない立場なのに。きみを軍にまで参加させてしまった」
「実はね、あなたを助けた時の記憶あんまり覚えてないの。意識が遠くなって、気がつけば体が動いていた。でもそれでクロネを助けることができた。やっぱり、守られてばかりじゃダメなんだって。だから、クロネが危ない時は私が守る。厚かましいけど、私が危ない時は、クロネが守ってくれると嬉しいな」
やっぱり敵わないな。とクロネは内心苦笑した。
「分かった。何があってもきみを守るよ」
互いに守り合う。そう誓い合った。
王都の表通りを歩いていると、一件の家の前に着く。
ダリルに書いてもらったメモによると、この住所で合っているはずだ。
一回、二回とノックをする。
ほどなくして女性の声が聞こえて、階段を降りてくる音がする。この扉を開けた先に十四人目がいる。
「どちら様ですか?」
「あっ、自分は新たに第十五分隊に所属しました――」
扉を開けたのは見覚えのある顔に金色の髪。ベルダ村にいる時一度だけガンバレルに家族写真を見せてもらったことがある。
目の前にいたのは、写真の彼女だった。
「もしかして、ララちゃん?」
首を傾げ、そうですと答えた。
この子が、ガンバレルの妹。伝えなければ彼の最期の言葉を。
「僕は、きみのお兄さんと一緒にベルダ村にいたクロネ・マングスターって言うんだ」
「兄の? あっ! 兄がよく手紙にあなたのことを書いてくれましたクロネさんですね。立ち話はなんですからどうぞ中に」
中に招かれる。装飾華美ではなかったが、落ち着いた部屋の模様に必要最小限の家具。そして机の上にはガンバレルが持っていた写真が写真立てに入れられ、立てかけていた。
椅子に座り、ララはお茶を淹れ二人の前に置く。
「兄は、どうなりましたか? ベルダ村が壊滅的だっていうのは聞きました。生きていますか?」
これから淡い希望を打ち砕くと思うと、胸が苦しい。
「きみのお兄さんは……死んだよ」
「そう……ですか。兄は、何か言ってましたか?」
目を合わすことはできなかった。
「きみのことを愛していると言っていたよ」
「兄は、両親が死に一人で私がこの歳になるまで育ててくれました。軍に配属され、良い友達ができたと手紙で嬉しそうに書いていました。……これで私も、戦えます」
「え?」
言葉の真意は、すぐに分かった。
「隊長は言ってなかったんですか? クロネさんが探している、十四人目は私です。ララ・マーガレットは第十五分隊所属の軍人です」