第四話
先頭車両はすでに第四師団によって完全に占拠されてしまっていた。
車掌に銃を突きつけ、速度を上げるように指示した。このまま行くと分岐点がある。そこまで行くと彼らの勝ちになってしまう。
第四師団第二分隊隊長、ズレド・ウルキは車掌に銃を突きつけたまま部下たちに連絡を無線で取っていた。
「七番車両のやつらの始末はどうなった?」
「二名向かわせたのですがいくら連絡をしても、応答がありません」
たったに四人にやられたのか。と舌打ちをしながら怯える車掌を横目に、あの四人を始末するように指示する。
「どんな手を使ってでも殺せ。障害は取り払っておくにこしたことはない。多少乗客を巻き込んでも構わん」
あの男からはなるべく殺すなと言われたが、知ったことではない。
どうせこの機関車を占拠し、サンティルに戻ることにはあの町はすでに落とされているはずだ。そうなれば、この機関車を使い王都まで直接部隊を送り込むことができる。
乗客もすべて邪教徒として、ヴァミリア兵に殺される。
憐れなものだ。国をこれ以上に無く愛していた男が、行く末を心配するあまり売国奴になるとは。なんとも滑稽な話だ。
作戦ではサンティル陥落後に、この機関車に乗り王都へ直接侵攻。第二師団までも作戦に参加していると聞く。
あの人の言うことが聞けぬ獣に作戦に参加させて大丈夫なものか甚だ疑問だが、それでも祖国の勝利のために協力しなければならなかった。
ズレドは作戦の無事成功を心の底から、祈るだけであった。
「さて、どうする。また誰かが来るぞ」
男たちが奪った無線機で相手の行動が読めていた。キリハは、剣を抜き剣の状態を確認しながらクロネに話しかけた。
「僕たちも迎え撃とう。敵は乗客を巻き込んでも関係ないと言っていた。銃を使わせないように一瞬で勝負を決めないと」
銃撃戦になることだけはなるべく避けたい。六番車両、五番車両は王都へ逃げる乗客で一杯だ。下手に撃ちあったりでもすれば、死傷者は必ず出る。
敵の人数は正確には分からない。数で押し込まれたりでもされたならば、負けるのはこちらだ。この狭い車内、キリハも剣をろくに振ることができない。
ともなれば、どこか開けた場所で迎え撃つのが正しい答えだろう。
幸い、四番車両は人がいない食堂になっている。そこならば心置きなく戦える。
彼らはまだ六番車両にいる。あと二車両分は動かなければならない。そこに行くまでに敵とどれだけ交戦するだろうか。
向かってきている人数はどれだけだ。先ほどは運よく勝てただけで今度はそうはいかない。
第四師団の噂はよく聞いている。
ヴァミリア軍の影の貢献人。ヴァミリア勝利の影には必ず第四師団が暗躍している。
作戦遂行のためならば手段を選ばず、人を躊躇なく殺す。時には大臣を拉致監禁し、国を一つヴァミリア領に変えるために一役買ったとされる。
第四師団の団長となれば、仲間でもその姿を見た者は少ない。
人に気取られることなく任務を遂行し、どんな人物にも変装することができ、老いているのかまた若いのか男なのか女なのか分からない。
分隊隊長も彼には劣るだろうが、優れた暗殺者ということには間違いない。
どんな姑息な手を使ってくるか、警戒はしなければならない。
六番車両を通り過ぎようとした時、クロネの腕を掴んだ者がいた。
「!?」
無骨な男の手だった。
「ちょい待ち。お嬢さんがた、ランダーン軍兵士だろ? このまま行くと蜂の巣になって死んじまうぜ? 五番車両で男どもがあんたらを待ち構えている」
「あなたは……」
無精ひげを生やしていて、気だるげな瞳をしクロネたちを引き留めたのは三十代ぐらいの男の名はダリル・ムウ。
彼は誰よりも先に催眠ガスに気が付き、息を止め寝ているフリをしていたのだ。
「俺のことなんざどうでもいい。安心しろ、あんらたの味方だよ。俺に作戦がある。ちっと耳を貸してくれよ」
「それはあまりにも危険すぎませんか。一つ間違えれば死にますよ」
作戦の内容はこうだった。
この蒸気機関車の予約席以外の車両には開閉式の天窓がある。クロネが敵を正面から引き付けている隙に、屋根に上っているキリハが天窓を突き破り、奇襲を仕掛ける。
機関車はじきに最高時速になる。その屋根を歩くなどもってのほかだ。暴力的な風に巻かれて、足を滑らさせでもしたら、命は無い。
地面に落ちた瞬間に絶命してしまうだろう。
クロネにも敵を自分に注目させなければならない。
危険は一緒だ。クロネが先に死んでも、キリハが先に奇襲を仕掛けても意味がない。タイミングが重要だった。
敵の目を引き付けるのも容易なことではない。ましてやこちらは銃を撃つわけにはいかない。
「分かってんだろ? この勝負、危険を承知で敵の罠に飛び込んでいかないと負けるってな」
分岐点まで残り約三十分。最高時速を保ったまま行けば、五分は縮められてしまう。
時間は残り少ない。こんなところで足止めを喰らっている場合ではないのだ。
「クロネ、私のことを心配してくれるのはありがたい。だが、その優しさは今は不要だ。自分の心配だけをしろ。この男の言う通り、危険を承知でいかねば私たちが負ける。なに、私はこれでも兵士だ。ここで死ぬつもりはない。まだやらねばならないこともある。それを果たすまで、私は死ねない」
「分かった。やろうこの作戦」
「敵の目を引き付けるのは人で多い方がいい。俺も手伝う。よしそれじゃ作戦開始だ」
キリハは窓を開け、屋根に上る。
思ったより風が強い。かまいたちのような風が彼女を襲う。バランスを少しでも崩すとすぐに風に流されてしまう。
腕で顔を守り、一歩ずつ確かめるように踏み出す。
数秒前の景色は残像と消え、新たな景色を肌を突き刺す冷たい風とともに連れてくる。あれほど穏やかだった風も、今や彼女を地に落とそうと足を引きずる魔物にしか見えない。
風が彼女に囁く。どうせ失敗すると。
風が彼女を唆す。逃げてしまえばいいと。
だが戯言に耳を貸す理由などない。邪念を孕む風を躱し、天窓まで移動する。
車両内を見てみると、すでに交戦が始まっていた。敵の目は彼らに喰いついている。
今が好機。
彼女は足で窓を蹴り破り、車内に天から落ちてきたかのように勢いよく着地すると、意表を突かれた敵は彼女の登場にあっけにとられていた。
敵の数は五人。奇襲に驚き、慌てふためている。
後ろを振り向き、キリハに対処する男の腹に拳を届かせ体がくの字に曲がったところを、肘で後頭部を殴る。
床に伏せた瞬間に足で踏みつけた。
まずは一人目。
細い二人目の男はナイフを取り出し、隙を見せぬように右や左交互に突く。
彼女はナイフの動きを見切り、首の皮一枚で躱す。
男は距離を取り、焦る表情を見せずに冷静に攻撃を再開する。横ではなく縦に振り下ろされた一撃を身体を回転させることで避け、勢いを殺さぬまま裏拳で顎を殴った。
視界が反転する男にとどめとして、股間を強く蹴り上げた。なにやら潰れた音がしたせいかそのまま泡を吹き気を失う。
これで二人目。
残り三名のうち、二人はクロネたちが仕留めてくれた。
残る一人はキリハに銃口を向ける。
見るからに焦りの表情を見せ、脂汗が穴という穴から出てくる。銃を持つ手は恐怖で震え、狙いが定まっていない。
新兵だろうか。銃の安全装置を解除していない。
そのせいでいくら引き金を引こうとしても引けない。通りでこの男からは硝煙の匂いがしなかったわけか。
キリハは男から銃をいとも簡単に取り上げ、安全装置を外す。
「銃というものはこうやって撃つものだ。覚えておくことだな」
銃口を向けると死の恐怖と、極度の恐怖心からか途端に気絶してしまった。
「取り敢えずは成功か。いやぁよかったよかった。あんたら流石ランダーン軍だね」
ダリルが拍手しながら呑気そうにそう言った。
「俺が手を貸せるのはこれまでだ。こいつらは俺が責任をもって見張っている。ここから先はあんたらの出番だ。頑張ってくれよ」
「貴方は一体。せめて名前だけでも」
「俺かい? 俺はただの平和を愛する一般市民だよ」
ダリルは胸ポケットから煙草を取り出し、口に咥えて火をつける。手慣れた手つきで男たちを縛り上げていた。
この際、彼が何者であろうと関係ない。先を急がねば。クロネはせめてもの感謝の意として頭を下げ、四番車両に向かう。
残り十五分。時間切れになるのが速いか、それともクロネたちが列車を止めるのが速いのか。
そして、最大の難関が二人を襲う。
食堂には敵が待っていた。銃を構え、入った瞬間に肉片も残らせないように弾丸を放つ。ここを突破でさえすれば勝利は目前だ。
ヴァミリア兵士の激しい抵抗で、前に進むことができない。
「どうするキリハ!?」
「近づきさえすれば、勝てる」
この食堂車両、広いとはいえ屋内。銃はさすがのキリハと言えど最高速度ではない限り躱すことができない。
ここはあまりにも狭すぎる。端から走り出したとしても最高速度に達するまでにはいかない。敵は見て数えるからに六人いる。
天窓自体が無いので先ほどのように天窓から奇襲することもできない。
彼らは車両の中心を陣取っている。突破したいなら戦うしかない。弾切れを待つのは得策とは言えない。そんなことをすればクロネたちの負けで決まってしまう。
残り十分あるかないか。
「クロネ、援護を頼むぞ。私が道を切り開く。その隙にお前は先頭車両に行け」
「そんなことしたら!」
「ここで二人とも足止めを喰らっているよりましだ。安心しろ、お前にはかすり傷ひとつたりとも、つけやせはしないさ」
キリハは剣を抜く。覚悟を決めた眼をしている。本気なのだ。本気で自分を犠牲にしてまでもクロネを前に進ませる気だ。
男どもの背後で骸が手招ている。甘美なる死が、キリハを取り込もうとしている。
お前たちに地獄まで付き合う必要はない。ここで死ぬつもりなど毛頭ない。
彼女は死神。死は常に彼女とともにある。いまさら他人が決めた死に捕まるなどありはしない。
死に場所ぐらいとうに決めてある。だからこそ、目の前にある押し付けられた死など怖くなかった。
自分の命の使い方ぐらい、自分が決める。彼女はクロネを引っ張るように銃弾の中を走った。
銃弾を剣で切り裂き、弾き、それでも無数の弾丸は彼女の頬や足を掠めていく。
それでもこの鈍い死に捕まることはなかった。
クロネの手を握り、力一杯彼女は三番車両に投げ込む。
「キリハ!」
彼女は振り返らなかった。早く行けと。背中が語っていた。彼女の気持ちを踏みにじるわけにはいかない。クロネは、助けに行きたい気持ちを押し殺して前を向き走り出す。
「そうだ、それでいい。振り向かずに行け。……さて、私に斬り殺されたいやつから前に出ろ」
六つの銃口がキリハに向けられる。
「行くぞ!」
一斉に発射される弾丸を彼女は跳躍することで躱す。しかし一発は足首を貫き、血が出る。
背後に着地し、背中から剣を突き刺す。剣を身体から生やした男は、口から大量に血を吐きながら絶命する。
銃口は依然として彼女に向けられたまま。死体を盾にして、そのまま彼女は男どもとの距離を詰める。
死体を貫通した弾丸が、彼女の肩や脇腹に腰を穿つ。
痛みを堪え、死体とともにもう一人を突き刺す。剣を抜く暇もなく向けられた銃を足で蹴飛ばし、木製の椅子を拾い頭を殴る。
折れた椅子の足を武器として、ひるむ男の喉に突き刺す。
返り血かそれとも己の血で染まったのかも分からないまま、次の敵に向かって死体から奪った銃で撃つ。
男の腕に当たったが一発撃った程度で弾切れになり、銃を捨てる。男はまだ死んでいない。
食堂のカウンターに逃げ込み、銀食器を取り出す。食事用のナイフとフォーク。投げたことはないが、十分な殺傷能力はある。
銃弾の代わりにナイフを投げ、腕を撃たれた男の眼に突き刺さる。叫び声を上げながら床にのたうち回る。
その姿を見て、恐怖でたじろぐ。
恐怖は伝染しやすい。そして恐怖や痛みは思考を止めてしまう。
ハッとした瞬間には、すでにキリハの拳が鼻を折っていた。曲がった鼻から血をたらたと流し、うろたえる。
首筋にめがけてフォークを振り下ろす。
キリハの近くにいた男が、彼女の顔面に向かって引き金を引く。恐怖を振り払うように吐き出された弾丸はキリハの首を抉る。
首を傾げ致命傷は免れたが、それでも血が止まらない。
幸運が続いた。
一つは弾丸が額に当たらなかったこと。もう一つは相手が弾詰まりを起こしたこと。排莢し損ねた薬莢が詰まり、銃弾が出なくなった。
キリハは止めどなく流れる血を押さえる暇もなく、彼女は襲いかかる。
銃も使えず、焦った男はすぐさま銃を捨て腰に携えていたナイフを引き抜こうとするが、判断が刹那遅かった。
彼女の掌底が男の顎を砕く。その衝撃は頭の中まで駆け抜けていき折れた歯が、血とともにどろりと落ちてくる。
止めは回し蹴りだった。
首をへし折りほどのしなやかで、まるで鎌のような蹴りで男を仕留めていた。
残るはまだ生きていた、ナイフの刺さった男一人。
一対一で勝敗を分かつのはただ一つ。一瞬の判断、それだけだ。
運など介入しようがないほど緊迫した空間。
男は弾切れを起こしていた。銃をすぐさま捨てナイフに持ち替える。男は絶対に剣を抜かせまいと彼女に詰め寄る。
この攻防の一撃目は男だった。迂闊に攻めることができないキリハに代わって、男はここぞとばかりにナイフを振り回す。
規則性も皆無。だが当てずっぽうに振り回しているわけでもない。
攻撃を躱され、剣を抜かれぬようにわざと大きく振っているのだ。
確かに長い刃渡りに相手は素手。訓練を積んでいる男だったからこそ、この判断に至ったのだ。
だが、それは男の誤算だった。
彼女の武器は身体そのものだった。
血を流し過ぎて視界が歪もうとも、体の痛覚が泣き叫ぼうとも首元を狙って突かれたナイフを冷静に躱し、伸びきった腕の肘をへし折る。
そして折った腕からナイフを奪い取り、首を引き裂く。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
全身から流れる血。立っているだけでやっとだ。剣を抜き、壁伝いによろよろと歩きながらクロネの後を追おうとする。
歪む視界に人影を捉えた。あの男どもからは感じられなかった殺気。逃げろと本能が叫んでいる。
「お……まえは?」
第四師団団長にはもう一つ、逸話があった。
やつは音もなく、いきなり現れると言う。まるで影から這い出たかのように。
「きみには、別の用件で仕事が入っている。悪いが、大人しくしてもらうよ」
弱々しく剣を構える。自分で立っているのか、痛みで創り出した虚像を見ているのかすら判断できない。
影が動き出す時には、彼女は地に伏していた。
何をされたのか分からない。せめて一太刀だけでも浴びせたかった。消えていく意識の中で見た影の姿は、口角を上げいやらしく笑っていた。
「ク、ソ……」
彼女は気を失った。
クロネは三番車両、二番車両を通り一番車両とどのつまり運転室まで来ていた。
敵はどうやら四番車両で最後だったようだ。
キリハは大丈夫だろうか。不安が彼の心を濁らせるが、彼女なら大丈夫だと自分に言い聞かせた。
銃を構えたまま扉を開ける。
「いやぁ、さすがに驚いたよ。まさか二人でここまで来るなんて。俺たちの作戦を踏みにじってくれちゃってさ。どう責任取ってくれるわけ?」
ズレドがいらだちを隠せぬまま、クロネに銃口を向けそう言った。
「お前たちの作戦は絶対阻止する。もうやめろ、お前たちの負けだ」
「はぁ? 負けって。それはお前たちのほうでしょ? あともう少しすれば分岐点。それとも俺が撃つのが速いか、お前が撃つのが速いか。ここらで勝負してみようか? まぁ勝負にすらならないけどな」
クロネの筋肉は緊張により強張る。使い慣れていない銃に敵の能力も分からない。
「あれ、なに? 緊張してんの? 筋肉強張り過ぎだっての。そんなんじゃいくら撃っても当たるわけねぇじゃんか。おいおい勝負する前からそんなんじゃ、始まった瞬間に小便垂らして泣き叫ぶんじゃねぇか? アッハハハ! やっぱり、負け犬の国の兵士はやっぱり負け犬だぜ。おら、とっとと撃てよ。撃ってみろよ!」
「負け犬だと! ふざけるなァッ!!」
ズレドにたきつけられて、感情そのものをぶつけるように引き金を引く。
その時だった。機関車が急に揺れ、標準がずれ撃った弾はズレドに当たらず、窓を撃ち抜いてしまった。
「ブハッ! アハハッハハハハハハハ! 外しやがった。この距離だぜ? 素人でも外さねぇっての。お前もしかして素人以下? もう言葉じゃ例えられないくれぇド下手ってわけだ!」
ズレドは吹き出し、大声を出して笑う。そして当てられなかったクロネに対して罵詈雑言を浴びせる。
「おらもう一発撃てよ。今度は心臓を狙ってくれよな。お前じゃ頭は狙えないからな!」
引き金を引き絞る。背中に何かを突きつけられたのも同時だった。
「はい時間切れ。よくやったザビレオ。褒めてやる」
「いえ、小娘一人連れてくるのにそれほど手間はかかりませんでした」
「つう訳で、手を上げてこっちに来い。人質をこっちによこせ」
ザビレオに銃口を突きつけられたまま、クロネは移動する。
自分の身よりも心配になったのは、人質だった。キリハが捕まるはずなどない。そうすれば今人質にされているのは。
「やめて! 離して!」
「リリィ……!!」
彼女だった。腕を捻じり上げられ、痛みで抵抗できないでいた。ザビオレからズレドに渡り、彼女の顎に下から銃口を向ける。
「なに? お前の女だったりするわけ? だったらここでぶっ殺すのも一つの手だな。それともここでもっと恥ずかしいことしてやろうか」
リリィの肌をズレドの蛇のように長い舌がべろりと舐める。
「いや! 気持ち悪い!」
「止めろ! 彼女から手を離せ。大丈夫だリリィ、すぐに助けるから!」
クロネが叫ぶとズレドはまた鼻で笑う。
「カァー、かっこいいね。だがよ、どういう状況でどのセリフ言ってるか分かるか? 助けるなんて無理は話だ。こういう芋くさい田舎娘は嫌いだが、強気な女は嫌いじゃねぇ。こういう女の歪んだ顔が大好物なんだよ。そうだ、良いこと思いついた。ここで、この男をぶっ殺すことにした! 気持ち悪いって言った罰だ!」
銃口を向け、クロネの右足を撃つ。
激痛が走る。荒波のように押し寄せる痛みのせいで何も考えることができない。息を吸って、痛みを和らげることで精一杯になっていた。
膝を着き、下唇を噛み叫びたい気持ちを殺す。
ズレドは嬲り殺そうとしている。だからわざと足を撃ち、痛みを与えてリリィやクロネの歪んだ顔を見て悦に浸るのだ。
ズレドは舌舐めづりをし、次は左腕を狙う。
もっと歪んた顔を見たい。もっと苦しむ顔を俺に見せてくれ。彼は絶頂まで誘われ、快感を貪るようにクロネの左腕を撃った。
「うッ!?」
クロネは左腕を押さえ、立ち上がろうとする。まだ戦う意思は残っていた。彼女を助けるために彼は壊れた肉体を動かしている。
ズレドはその眼が気に入らなかった。
「んだその眼は気に入らねぇ。ザビレオ、こいつの眼をナイフで突き刺せ。両目ともだ。二度と愛しい女の顔を拝めねぇようにしてやる」
「了解しました」
ザビレオはクロネの顎を掴み、強制的に上を向かせる。
白い刃が目の前に迫っていた。恐怖心に打ち勝てず、ぶるぶると身を震わせて、クロネは必死に手足でもがく。だがザビレオの押さえつける力が強く、逃げ出すことはできない。
「きゃぁぁああああぁあああ!!」
リリィのつんざくような悲鳴で、ザビレオとズレドの動きが止まる。
「んだようるせぇな。ほんと、女の金切り声はうるさくてかなわねぇ。ん? 気を失っちまったか」
リリィを乱暴に突き放す。魂の抜けたような彼女の体は床に落ちる。
目の前で大切な人が殺されようとしている。彼女の脳内で誰かの声が聞こえる。
あの人を助けたいの? と声が訊いてきた。彼女は頷きうんと答えた。
すると声はこう尋ねてきた。ならば私を、死を受け入れなさい。と。彼女は迷わず、受け入れる。それでクロネが助かるなら。と答えた。
彼女の中に魂と呼べるものが帰ってきた。クロネが見た彼女は、あの笑顔を絶やさないリリィではなくベルダ村で見たあのリリィだった。
「こいつ! 下手な芝居しやがって!」
分岐点到着まで三分。
リリィは目覚めると同時にクロネが落とした銃を拾い上げる。そして刃を向けられているクロネを救うために、立ち上がりナイフを蹴飛ばす。
流れる水のように次はズレドが持っている銃をリリィが銃を撃って落とす。
クロネには異常な光景に思えた。
あの銃がからきしだった彼女が、正確無比な射撃をするとはよしんば信じられない。
ザビレオはリリィに向かって折れたナイフを投げつける。彼女はそれを素手で掴んで見せた。
誰しもが驚いたのは、次の瞬間だった。
彼女を押さえるためにズレドは得意の格闘術で襲いかかる。
蛇のように腕をくねらせ、銃を掴む。これで銃は使えなくなった。だが、彼女の手にもう銃は握られていなかった。
キリハすら凌駕しかねない反応速度で、反撃に移る。
ズレドの胸に肘での一撃をお見舞いし、肺の空気を空っぽにされ身動きが取れない彼に追い打ちをかける。
リリィはなんと服の襟を掴み、軽々と片手でズレドを投げ落とす。
成人男性、なによりも訓練を積み全身を筋肉で鍛え上げた肉体を、成人女性とはいえ華奢な彼女が片手で持ち上げれるはずがない。
まばたきをするのも忘れてしまっていた。数秒でズレドの動きを止めてしまった。
リリィはズレドに馬乗りし、銃を奪い返して今度はザビレオに銃口を向けた。
今の彼女はならば、息をするように人を殺すかもしれない。
その証拠に目は虚ろでいつもより黒く邪悪さを感じさせる。彼女は無で支配されていた。
「このくそ女……!」
暴れるズレドに黙っていろと言わんばかりに首を絞める。
「ガハッ!?」
女の力ではない。強靭な肉体が持つ力と同じだ。彼女の体のどこに損な力が眠っていたのだろうか。
「彼を離しなさい。さもなくばこのまま首の骨を折り、この人を殺します」
脅迫だった。交渉などという生温いものではない。従わなければ彼女は宣言通り、ズレドの首を木の細枝を折るようにして殺すだろう。
ザビレオが冷汗をかくほどの気迫が彼女にはあった。
「お前は、誰だ……?」
ザビレオが尋ねると、彼女は素直に答えた。
「私は死。死そのもの。貴方たちとは対をなす存在。質問には答えたわ。今度は貴方たちが答える番ね。彼を離すの? 離さないの? どっち?」
ザビレオは渋々、クロネから離れる。
「正しい判断ね」
リリィもズレドの首から手を離し、立ち上がる。
「大丈夫。貴方は私が救う」
「きみは、一体……」
隙を逃さなかった。ズレドは隠し持っていたナイフを抜き、背後を敵に晒しているリリィに向かって突いた。
「一人は聡明だったのに。貴方は愚か者ね」
前を向いたまま脇から銃口を突き出し、振り向きもしないまま弾丸を放ったのだ。
そしてリリィは屑を見るような目で、脇腹に銃弾が当たり膝を着くズレドを見下す。
こんなのは彼女じゃない。声も姿も似ている。だが、リリィではない。クロネには分かっていた。これはリリィの姿をした悪魔だと。
死神すら殺し、魂を喰らう悪魔。
痛みを堪え、歯を食いしばりながら立ち上がろうとするズレドを見て、ザビレオが話す。
「止めましょう。私たちの負けです。あなたが相手ではこちらに勝ち目がない。本来ならもう少し遊んでいきたかったんですが。いいでしょう、今回はあなたたちの勝ちです」
口調がまったく違った。もともと声色に個性などなかったが、発している声は聞いている者を穏やかな気分にさせるような声色をしている。
「ザビレオてめぇ! 俺の指示を無視すんじゃねぇよ!」
怒れるズレドを無視し、分岐点で待っていた仲間に無線で撤退を指示する。
「何を言っているんですか、ズレド。私ですよ。私。まさか、団長をお忘れですか?」
「だっ、団長!?」
ズレドの顔の血の気が引き、蒼白い顔になる。がたがたと体を震わせ、何かに怯えているように見える。団長に恐れをなしているようだ。
「今回は別の任務もありましたが、すべて失敗に終わりそうです。ですが収穫がありました。まさかここにいたとは。これは国に持ち帰らせていただきます。それに、クロネ・マングスターくん。また機会が会ったらお会いしましょう。では王都までの安全な旅路を心の底から願っていますよ」
「待て! 僕が逃がすと思うか」
「おや。今のあなたは二秒もあれば殺せます。ですが今日のところは彼女に免じて、我々があなたたちを逃がして差し上げるのです。その命があること、その子に感謝することですね」
「団長、挽回のチャンスをください! せめてこの女だけでも!」
先ほどまでクロネの後ろにいたはずのザビレオは、まばたきをした瞬間にズレドを回収して肩を貸し、運転室の入り口に立っている。
「何を言っているのですか? 相手はあの悪魔の子。あなた程度が勝てるはずありません。敗因はあなたでもあるんですから。そこまで言うことを聞けないなら、帰ったら躾が必要ですね」
耳打ちされたザビレオの言葉でズレドは口をつむぐ。
「いい子だ。聞き分けの良い子は好きですよ。ではお二方、また。あっ、それと言い忘れていました。ノルヨカ・セントジリアくんも、キリハ・アンフォードくんも今はよく眠っています。それではさようなら。また会う日まで」
蒸気機関車が丁度橋の上を通る時だった。二人は眼下に広がるエメラルドブルーに輝く湖に機関車から飛び降りる。
クロネは足を引きずり、湖を見ると二人の影は消えていた。
「逃げられた、か」
悔しそうに壁を殴る。
「クロネ」
名前を呼ばれた。彼女ではない彼女から。
「この子のこと、よろしくお願いね。貴方が私の引き金だから。貴方も命を大事にしなさい」
彼女は再び気を失った。
倒れるリリィを抱きしめ、クロネは彼女を確かめるようにこう言った。
「きみは、本当に僕の知っている、リリィ・ナンツェルなのか……」