第一話
初めて書いたファンタジーミリタリーものなので、暖かい目で見ていただけると幸いです。
この国から戦争が消え、はや一五〇年が経っていた。未だなおも発生している諸外国どうしの対立は、人々の意識の外に存在し、いつしか戦争は過去のものになってしまっていた。
ランダーン国暦二〇〇年。
今日は、永久中立国ランダーンが独立してから丁度二〇〇年が経つ記念すべき独立記念日なのである。
王都では、この独立記念日に際に城下町に王女自ら足を運び商人や住人の労をねぎらったり、白の中に住民を集め、城内屈指の料理人たちが料理の腕を大いに振るい、踊り子を集め舞を披露する祭りごとをしていた。
しかし、そんな行事はランダーン西の最果ての村のベルダ村には何ら関係なかった。
ここベルダ村は人口はたったの百人。その中で駐屯兵と呼ばれる兵士は二十人。他、八十人がただの村人なのだ。
風がよく通り、木々や人々もこの上なく元気に生きている。今日も太陽がよく輝いている。
比較的のどかな村で、村を騒がせる出来事といったら飼っている家畜の牛が逃げたとか、野生のいのししが暴れているとか、誰かが結婚するなどといった程度だった。
若い女性も多く皆働き者で、しかもあまり仕事が無いおかげなのかここの村に駐屯兵として志願してくる兵士は例年そこそこいる。
だが、多くの兵士が後悔しているのはこの村出身の女性は何故が気が強いというだ。
兵士だからと靡く女性は一人も存在せず、働かない兵士たちを軽視する女性も少なくない。
男どもは無い仕事を取り合うのが仕事となっていた。
ただ一人を除いて、全員若い奥さんを手に入れようと躍起になっているせいか馬の世話をかって出たり、隣町への買い出しにも兵士たちが率先して手伝う。
残念ながら男どもの淡い下心は、女性たちからすでに見透かされておりただの便利屋に成り下がりつつあった。
困ったことに今日は独立記念日。軍人以外の国民全員は今日だけは仕事をしてはいけないのだ。
男どもは気がつけば、いつの日かの暇を持て余していた。
宿舎で寝る者もいれば、女性たちと心の距離を詰めようと必死に今日の祝い事を一緒に祝わないかと誘う者もいた。
ただ一人、今日も平常通りの生活を送っている男がいた。
青い色の軍服を身に纏い、栗色の髪を風にあそばせ小岡にある大きな木の木陰で頭の後ろで手を組み、昼寝をしている。その近くには愛馬が主人を見守るように立っていた。
「ちょっとクロネまた昼寝? こんなところで寝ていると風邪引いちゃうよ?」
彼の名はクロネ・マングスター。彼は二年前からこのベルダ村で駐屯兵としてこの村にやってきた。
身長は一七五センチ。長身痩躯な体系で温厚な性格をしている。日課や趣味は昼寝。暇なので毎日訓練だけはしている。
そんな彼を起こしたのは――。
「……んん? ああ、おはようリリィ」
「おはようじゃない。もう昼だよ。ほら起きて」
彼女はリリィ・ナンツェル。この村の娘で、元気でよく働く性格のおかげで村人全員から好かれている。
珍しい黒色の短い髪、鏡のような瞳には寝ているクロネがはっきりと映っている。身長はあまり高くなく、クロネの胸程度。
自分が働くのが好きなせいか、一向に働く素振りを見せないクロネには可愛らしい口から厳しい言葉を投げかける。
クロネがぼやける視界に慣れ、目を彼女に向けると彼女はかごに沢山の洗濯物を入れて少し困ったような表情で立っていた。
「ねぇクロネ、悪いけどこれ干すの手伝ってくれない? もうあの人たちったら自分たちで掃除洗濯も出来ないんだから。だから奥さんが出来ないのよ」
手厳しいことで。とクロネは笑いながら、あの洗い物や脱ぎ捨てられている衣類で散乱している宿舎の惨状を、まぶたの裏でよみがえらせる。
現状から察するに、洗濯物を一度に持って来すぎてしまったのだろう。
華奢な彼女がよく一人でここまで運んでこれたものだ。
華奢そうに見えるだけかとクロネは自分自身で納得し、立ち上がる。
「いいよどうせ暇だったから。まずはシーツから干そうか」
ここの小岡には物干しざおが取り付けられており、支柱と木の枝の間に多くの洗濯物を干す。
これはクロネとリリィが一緒になって作った物だった。
「クロネっていっつも暇そうだよね。ていうより、いっつも暇だよね。昼寝以外になにかすることないの?」
干したシーツを間に挟みながら、二人は会話をする。
「まっ、僕たちが暇だってことはそれだけここが平和だってことさ。それとも誰かさんの洗濯の手伝いでもして、誰かさんに求婚すればいいのか?」
シーツをクロネは手で避け、リリィの表情を確認するようにして顔を覗かせる。
「だっ! 誰もそんなこと言ってないでしょ! もうクロネの馬鹿!」
顔を赤くし、白いシーツが近くにあるせいか寄りその赤さが心なしか強調されているように見える。
「ごめんごめん。冗談だよ。ん? その手……」
赤い顔の次に彼が目を向けたのは、傷だらけの手だった。水仕事による手荒れだ。
人差し指や中指には絆創膏が張ってある。
彼女の手を取り、クロネは軍服の胸ポケットから薬を取り出した。
「これ塗り薬。エルヤ先生からのもらい物。せっかくだから塗ってあげるよ」
「いいよそんな。もう子供じゃないだから一人でできるって!」
彼女の言葉を聞かずに薬を丁寧に塗りはじめるクロネに慌てふためきながらも、リリィは黙って薬を塗られていた。
働き者の手だ。
水に浸かるだけで傷口にしみるというのにそれでも彼女は村人のため、働き続けている。
リリィは朝早く起きてまず家畜の世話をし、宿舎にいる兵士のために二十人分の朝食を作るために他の女性たちと協力し、朝ごはんを作る。
そして汚い宿舎部屋を掃除、脱ぎ捨てられた衣類を洗濯し暇があれば診療所での手伝い。
年頃の娘とは思えないほどに、彼女は働き者なのだ。
「女の子なんだから傷には気を付けないとね。特に顔や手には」
クロネがぼそりと呟くと、心配してくれている彼の気持ちを察したのかリリィは優しい笑顔を向け、独り言のような発言にこう答えた。
「分かってるよ。だけど私の仕事だから。私が頑張らないと」
住む場所さえ違ければ、今頃彼女は上品な服を着飾って街に躍り出て年相応な遊びにだって行けた。今日の祭典だって行けたのだ。
傷ついた彼女の手を少しだけ強く握り、クロネはこう言った。
「その仕事、僕も手伝う。どうせ暇だから洗い物とか洗濯もなんでも手伝うよ。だからこれからは僕に一言かけて欲しいな」
いつもの冗談とは違う顔を見たリリィはふふふと笑い、ゆっくりと頷く。
「ありがとう。でもクロネ、いい加減手を離してくれない? こんなとこ見られたら誤解されちゃうから」
「――ッ! ごめん!」
リリィと同じくらいに顔を赤くしたクロネは、慌てながら彼女の手を離す。
「でも、気持ちは嬉しいよ。じゃあ早速クロネにはいっぱい仕事手伝ってもらうからね!」
「ああそのぐらいならお安い御用さ」
彼らを取り囲む世界は、実に平和だった。
平和はそれだけで財宝より価値がある。これは前ランダーン王が言った言葉だった。
この国が永久中立国となる少し前。
ここは戦場だった。おそらく、歴史以上最も惨禍な戦場だったろう。大地に血を飲ませ、おどろおどろしい血の大河を作った。見上げる空は赤々と血染めされ、降る雨さえも悲しみの赤に染められていた。
東の武装大国ユニクス。西の宗教大国ヴァミリアに挟まれながら、ランダーンは二つの大国を分かつようにして独立した。
結果にして、それは新たな戦争の火種を生むこととなる。
ランダーンはその豊富な資源と、両国に接しているという戦況的に見て実に攻めがいのある国となった。
そこからはまるで地獄のような日々が始まったのだった。
両国に攻め立てられる日々。民は飢え、兵士すらいつ終わるとも知れない戦いに精神を削っていくことに嫌気が差していた。
次第に土地が衰弱していき、豊富で余すほどあった資源が枯渇していった。緑豊かな大地も気がつけば夢の中。
戦火は拡大し、他の諸外国との衝突もしかねなかった。攻め落とされるのも時間の問題となったその時だった。
初代ランダーン王がなんと世界評議会で、すべての国との不可侵の平和条約を結んできたのだ。これにより、ランダーンは戦略戦争権は永久に放棄。
これによりどの国にも属さず屈しず、どの国の味方もしないこの世界初の永久中立国となったのだ。
このベルダを離れ、見通しの良い平原と谷を越えるとヴァミリアとの国境がある。毎日不法入国者がいないか哨戒任務をしているといつも、心のどこかで怯えてしまう。
三か月前のことだ。
ランダーンの国境近くでユニクスの小部隊と、ヴァミリアの侵攻部隊が激しい戦闘をしていたらしい。
幸い戦場から離れていたクロネらからすれば、戦闘が行われたなど風の噂程度。いやそれよりも劣っているのかもしれない。
もしもの時の戦火拡大を防ぐために、こちらからは大部隊が北の国境付近に送られたらしい。
この国の国民が抱く戦争の恐怖など、明日起きるかもしれない殺人事件より注意度が低いのだ。
もはや戦争など過去の出来事。
どこで戦闘が行われようがどこ吹く風。他人事と決め込み、知らない顔をして見て見ぬふりをし続ける。
一歩国の外へ出るだけで、戦争の被害になっている人に会うことは難しくない。
むしろ簡単だ。
今も世界のどこかで戦争が起こり誰かが血を流し、涙を流し、命を消していく。
誰しもが望む平和な世界。実現は思う以上に簡単だ。争うことをしなければいい。だが争い事は無くならない。
戦争はただ一人の愚か者によって、引き起こされる。戦争とはそういうものだ。
「クロネ、この前の国境付近でのユニクスとヴァミリアの戦闘って本当にあったのかな?」
洗濯物を大体干し終わると、リリィは何処までも青い空の果てを見つめながらクロネに問う。
「あったらしいけど、だけど僕らには関係ないことだよ……」
情の一つも見せずにクロネははっきりと、吐き捨てるように答えた。
「本当に、関係ないのかな」
「え?」
リリィの意外な言葉に耳を疑う。
「今は平和だけど、明日は私たちが戦場に立っているかもしれない。そう思うと私ちょっと怖くて。時々ね夢で見るんだ」
クロネの愛馬、サーダインの彼と同じ栗色のたてがみをリリィは撫でながら伏し目がちにして話し出す。
「どんな夢?」
彼は木に腰掛けリリィの言葉の続きを聞く。
「あんまり、良い夢じゃないんだけど……。この国が戦場になる夢をよく見るの。変でしょ? ここはこんなに平和なのに。私、クロネがいなくなるのが怖い。ううん、クロネだけじゃない。この村の人と離れるのが嫌なの」
いつにもなく、彼女の言葉が重く聞こえた。
彼女が今日以上に悲しい顔を見せたことは今の一度も無い。それだけに彼女の笑顔の大切さが分かった。
あの太陽のような笑顔は、今は大きく厚い雲によって遮られている。
「大丈夫」
クロネが立ち上がり、彼女の肩に手を置く。
「大丈夫。僕はいなくならないよ。ずっとここにいる。ずっと――」
「ずっと?」
クロネが大事なところで言葉に詰まってしまった。これ以上にこの先自分が言おうとしていたことを改めて考え直すと、どうも恥ずかしくなってしまい視線をリリィから外す。
「いや、まぁ……その、なんでもない。とにかく! 今日も平和ってことに感謝をして明日の平和を祈ろう」
彼女に言葉に先を追及されまいと、クロネは無理矢理に話を終わらせる。
「うん。そうだね。あっ、そうだクロネ。私の家に余ったハチミツあるからおいでよ。ご飯を作ってあげる」
「え? うーん。……でも悪いよ。せっかくの休日なんだから家族で楽しんでいるところお邪魔しちゃ」
「いいの! 私の料理の手伝いだと思って。ね?」
引き下がる彼女に根負けしたクロネは、潔く首を縦に振り分かったと言う。
愛馬を連れ、リリィとともに村に戻った。が、村はいつにもなく騒々しかった。
哨戒任務にあたっていた新兵のノルヨカが、慌てながら誰かを診療所に担ぎ込んでいた。
よく見えなかったが、回りの人から聞いたところ女性だということが分かった。
どうしたというのだろうか。
クロネは胸に抱く妙な緊張感を持て余しながら、診療所に向かう。
「ノルヨカ、一体何があった?」
クロネは恐らく処置中であろう部屋の前に立っていたノルヨカに話しかける。
「クロネ先輩、実は……」
ノルヨカは何があったのかを事細かに説明した。
彼が言うには、今日も国境に異変が無いかを含めた哨戒任務をしている途中の林で、血だらけで倒れている女性を発見したようだ。
事情を聴こうにも、あまりの重傷で話すことすらままならなかった彼女を急いでこの村に運んできたという次第だ。
疑問はある。何故領内で血だらけの女性が倒れているのかだ。
山賊の類に襲われたか、はたまた野生の獣に襲われたか。
だが解せないことがもう一つだけあった。
倒れていた彼女の横には一本の剣があった。恐らく彼女の所持品と判断したノルヨカは、一緒にそれも持ってきたのだ。
剣を持っているとすれば、彼女は恐らく兵士。見慣れない服装。どこの国の兵士だ。
問い質そうにも今は訊くことはできない。
「その剣は今どこにある?」
「彼女の衣服とともにエルヤ先生が保管してあります」
クロネはホッと胸を撫で下ろした。
今重要なのは、武器の在処ではない。彼女が異国の兵士だということだ。不法入国者として王都に護送するかはたまた、このまま傷が癒えるまで面倒を見た後何事もなかったかのように送り出すか。
選択肢は前者だろう。
「ねえクロネ! 今運ばれた人は大丈夫なの!?」
慌てながら診療所に入ってきたのはリリィだった。
「今エルヤ先生が処置している。もう少し時間がかかると思う。無事だといいね」
「そうだね……」
彼女を落ち着かせるように話し、それから三十分程度経過した時。処置室からやや長い髪を後ろで結んだ白衣に多少の血がついているゴム手袋をしたエルヤが出てくる。
彼は息を切らし疲れ切っていて、とても神妙な顔つきをしている。それぞれの脳裏に最悪の言葉が思い浮かぶ。
「先生、彼女は大丈夫なんですか?」
口を開いたのは彼女を運んできたノルヨカだった。
「……大丈夫だよ」
全員が安堵の息を漏らしながら、彼女の無事を一先ず喜ぶ。さすがは名医と呼ばれたことのある医者だ。
彼が大丈夫だと言うのだから、問題は無い。
「少なくとも今は、安静にしていないと。あと三日ぐらい油断はできない。なんせ、あの多さの切り傷だ。死んでいても不思議じゃない。もうちょっとここに運んでくるのが遅かったら手遅れだったかもしれない。よく急いでここまで運んでくれた。医者としても礼を言うよノルヨカ」
エルヤはゴム手袋を取り、ごみ箱に捨てる。
「エルヤ先生、お話したことが」
クロネがそう言うと、彼の意図を察したのかエルヤはこっちだと指で奥の部屋を指し歩き出す。
彼らも、後を追うようにエルヤについて行く。
「さて、どうしたものかな」
エルヤは椅子に腰かけ、助手の看護婦が書いたカルテに目を通しながら看護婦に彼女の所持品を持って来させた。
藍色の服には赤黒い血がべっとりと着いており、斬られていてボロボロである。赤く塗りつぶされていない部分の方が少ない。
「切り傷は十数か所。致命的な傷は腹部や背中、古傷だが右目にも傷がある。死んでいてもおかしくないってのはさっき言ったよな?」
「死んでいないのが奇跡だと?」
クロネが素朴な疑問を返すと、そういうことだとエルヤが首を縦に振る。
「先生、彼女はどこの国の兵士なんですか。僕たちには全く見当がつきません」
こんな藍染めされている服など、彼が生きて来た二十年間で一度も見たことが無かった。
ヴァミリアならば服を基調にした軍服で、ユニクスは逆の白。ランダーンは濃淡こそあれど青を基調にしている。
「私は、北方の国のエスタジリアンにいたことがあってな。まぁ金をとらずに治療行為をしていたんだが、たまたま立ち寄った村にその藍染めの服があった。エスタジリアンの民族服とでも言えばいいのかな。彼女の出身までは知らんが。それに彼女は剣を持っている。この意味、分かるな?」
不意にエルヤは話の矛先をノルヨカとクロネに向ける。兵士にとって剣を持つ意味は入隊する前の段階の士官学校で習う。
「おそらく彼女は、エスタジリアンの兵士。それも相当強い」
クロネがそう呟くと、今まで黙っていたリリィがクロネにどうして強いと分かるのかと問う。
「ねぇ、どうして強いって分かるの? 普通は剣より銃の方が強いんじゃないの?」
当然な疑問だ。剣は近づかなければ人は殺せない。だが銃はどこからでも撃ち殺せる。近づかなければ圧倒的に銃の方が有利。
これの有利不利は変わっていない。
重要なのは近づくまでの過程だ。
「僕たちのような普通の兵士は銃を撃つしか出来ないけど、兵士の中にも生命力を体外に放出し身体を強化する人たちがいるんだ。そう言う人には銃より剣を使った場合のほうが強いんだ。士官学校でしか習っていないけど、銃弾を避けたりどんな屈強な兵士だって倒せるらしいんだ。聞いた話だと銃を使ったりする人もいるんだけどね。まぁ要は使い方と使い手ってことかな」
「ふーん。でも、その生命力って何?」
「うーん、生命力については僕もあまり詳しく説明できないんだ」
リリィの率直な疑問に答えが返せていないクロネに助け舟を出すようにエルヤが回答を言う。
「人は、単なる生命力の器にしか過ぎない。これは、かの有名な人体研究家のオスロ・シネンシアが言った言葉だ。人には必ず生命力と呼ばれる力が血液とともに体中を駆け巡っている。傷ができ、自然に治癒しようとしてこの力が作用している。剣士になるやつは生命を守ろうとする力が強い。だから生命の危機に鋭敏に反応を示す」
「自分自身が生き残るために生命力が勝手にその人を強くしているってことですか?」
彼女は今までの話を含めて自らの解釈を入れ、自分自身が納得がいく答えを出した。
「そうだと言っても差し支えないだろう」
生命力の説明は士官学校でもあまり詳しくは教えてくれない。
むしろ、そういった部類は医療関係に携わる者の用がよく知っている。
だからこそエルヤは、軍人であるクロネよりも詳しく説明できるのだ。
「まったく、今日はせっかくの休日だっていうのに。これで三日はここに寝泊まりだ。リリィ、すまないが明日はここの仕事を手伝ってくれないか? ここの一人が明日、隣町に手伝いに行かなきゃならないんだ」
エルヤが申し訳なさそうにリリィにそう言うと彼女は、分かりましたと言って快く承諾する。
「先生、彼女と会っても大丈夫ですか?」
クロネがエルヤに尋ねると、少し悩んだ様子を見せ渋々首を縦に振った。そのかわりと条件を付けられた。
まずは面会は医者立ち合いの元行われること。短い時間であること。体には触れぬこと。この三つが条件として提案された。
守れない条件ではなかったので、彼はこの条件を飲む。
そしてエルヤは病室へと彼らを案内する。
真っ白なカーテンを開けると、そこには傷だらけの彼女が寝ていた。
透けるような肌、目元がはっきりとした美しい顔だち。そして思わず目を奪われてしまうほどの、まるで宝石を集めて作られたかのような紅い色の髪。
顔にも無数の傷。確かに右目に古傷がある。
処置された後でも、体につけられた傷はまだ生々しいまでの痛々しさを残していた。
この傷でよく生きていた。
「綺麗な紅い髪。可哀想、私たちと同じぐらいの歳なのに」
リリィがそう言葉を零すと、ぴくりと彼女の体は動く。寝ている彼女が目を覚ましたと気がつくのは一番近くにいたリリィを人質に取られた時だった。
彼女は目を覚ました瞬間にリリィの腕を掴み自分に引き寄せ、首に手を当て刃のような鋭い眼光でこちらを威嚇した。
明らかな敵意を感じさせる瞳。こうなってしまっては、あの鮮やかな紅の毛もおぞましいものに見えてしまう。
「お前たちは誰だ? ここは何処だ! 直ちに答えなければこいつの首をへし折る!」
彼女の荒々しい言葉と状況に場の全員が飲まれたが、いち早く反応したのはエルヤとクロネだった。
「落ち着け。ここは安全だ。それに君は今傷を負っている。そんなに動いたら傷口が開く。今度こそ死ぬぞ」
エルヤの言葉に耳を貸さずに、彼女はリリィの首を絞める手を強めていく。
「落ち着けて聞いてくれ。ここは中立国ランダーンのベルダ村だ。ここにはきみの敵はいない。その子から手を離してくれ。どうしても人質が必要なら僕が代わりになる。だから、その子から手を離してくれ。頼む」
「ランダーンだと? それは本当か?」
「本当よ。大丈夫……。誰一人貴方の敵はいないから。これ以上動くとあなたが死んじゃう。だから、ね?」
リリィが苦しいはずなのに掠れた声を出し、彼女を説得させようとする。
リリィの嘘偽りのない表情を見て、本当のことだと判断した彼女はようやく手を離す。
「すまない。命の恩人に手荒な真似をした。……言い訳になるが私も頭が混乱していて。本当にすまなかった」
彼女は頭を下げて謝罪の意を伝える。
山中で倒れ、気がつけば見知らぬ場所にいて軍人に囲まれていれば混乱するのも無理はない。ましてや、彼女は戦場にいたのだから。
「傷口が開く。もう休め。もう目を覚ますなんて驚きだが、君はまだ重症なことに変わりはない」
エルヤが彼女に休むように促すと、気を失ったかのように眠り始めた。今度は安心した顔で。
診療所を後にすると、クロネがリリィに話しかける。
「首は大丈夫?」
「うん大丈夫だよ。あの人にも本当に首を絞める気はなかったみたい。あっ!」
リリィが思い出したかのように大きな声を上げると、いやでも気になった彼は声をかける。
「どうしたの?」
「名前訊くの忘れちゃった」
「明日にでも訊けばいい。たくさん時間は有るさ」
そうだね。とリリィが笑うとクロネも誘われるように笑い始める。
永劫に続いて欲しいと願ったこの瞬間は、一発の信号弾と馬の高らかな鳴き声で終わりを告げた。
「あれは――」
信号弾が打ち上げられたのは、国境付近の関所があるところだ。信号弾の色は黒。異常事態を示すものだ。
「クロネ!」
彼の背中から名前を呼んだのは、友人のガンバレル。
いつも涼しい顔をしている彼が性に合わない汗をかいている。ただの汗ではない。冷や汗、脂汗が混じっている。顔色も焦りの色を見せている。
「今……隊長から聞いた。国境付近に一個小隊のヴァミリア軍確認! 直ちに関所に集合だ!」
「それってどういう……」
リリィが呆気にとられ、蒼白とした顔でクロネに潤んだ瞳を向ける。
「クソ! 今日は独立記念日だぞ。どうしてヴァミリア軍が……。ガンバレル、僕は先に行って隊長と状況を確認する」
「わかった!」
彼が去った後で、クロネはリリィの肩を掴む。
「いいかいリリィ? 落ち着いて聞いてくれ。もしもの時のために、きみはいつでも避難できる準備をしてくれ。そして、この事態を村のみんなに知らせてくれ。いい?」
こくこくと何度も頷き、彼女は動揺を隠そうとしていたがそういうわけにもいかない。
「クロネも、行くの?」
答えなど分かりきっていた。しかし聞かずにはいられなかった。おそるおそる尋ねる質問の回答など聞きたくなかった。
「僕は行くよ。兵士だからね。リリィやみんなを守るのが僕の責務だ」
彼は自分の愛馬を連れ、前線になるかも知らぬ国境付近に向かう。
昼の予定が変わってしまった。本当は彼女と楽しく食べるはずが。いや、変わってしまったのは彼の昼の予定だけではない。
彼の人生そのものが変わってしまった。そして、これから変わりゆくのはこの国の運命――。
感想やら評価やら待ってますので、気が向いたならよろしくお願いいたします