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第23話 血に塗れた者達

新年明けましておめでとうございます


引き続き、今年も応援いただけると嬉しいです!


○神奈川県横浜市中区山下町内のホテル 午後十時十一分


 横須賀から移動した大塚と鮎沢はホテルにチェックインして落ち着くと、バーに移動してカクテルを飲んでいた。

「素敵な夜景です。お酒も美味しいですし、個人でも、また泊まってみたいです。」

 窓の外を見ながら呟く鮎沢とは対照的に、大塚はタンブラーグラスを持ったまま、意味もなく周囲を見渡す。

「ああ。確かに夜景も素敵ではあるが、こういう雰囲気は落ち着かないな。ここよりも彼奴等の所の方が、同じ洒落た雰囲気でも格段にいいと、私は思うんだが・・・」

 大塚はタンブラーグラスに入っているカクテル“ブラッディマリー”に少し口をつけると、もう一度外へ目を向けた。

(ブラッディマリー。血まみれのマリー・・・か。聞いた話では、即位後に三百人近くも処刑して、民衆達から恐れられたメアリー1世の異名、『Bloody Mary』から名付けられたとか・・・)

 大塚はタンブラーグラスを少し持ち上げると、中に入っているブラッディマリーをじっと見つめる。

(本物は、もっと赤く・・・そして時間が経過すると、どす黒くなり・・・こびりつく・・・生涯に渡ってな・・・)

 視線を今度は外に向けると、海の方へと向ける。

(思い出したくもないが・・・)

 街路灯で所々明るくなっている山下公園の先は、周りの灯りを反射して、微かに海は明るくなっているが、少しだけ薄暗い所がある。

(忘れる事も・・・出来ない・・・)

 大塚は左手で持っているタンブラーグラスを少し持ち上げ鮎沢にも促すと、鮎沢のタンブラーグラスに無言のままで優しく当てる。

(私が忘れては、いけない事でもある・・・)

 二人は口をつけて少し煽ると、先にタンブラーグラスを置いた鮎沢が、先程大塚が見ていた窓の外を見ながら口を重そうに開く。

「乾杯、ですか?」

 大塚も窓の外をまた見ると、グラスを置いてしばし黙考して、鮎沢と同じように重そうに口を開く。

「献杯だ。彼女等と・・・彼等に向けてのな」

 鮎沢はそれを聞いて窓の外である海側へ、黙祷するように少し頭を垂れて目を瞑ると、大塚も鮎沢と同じように海へ向けて黙祷する。

 二人は二十秒程そうすると、先に頭を上げた鮎沢は大塚の方に向く。

「大塚さん。私が横須賀基地に行っている間、お会いできましたか?」

 鮎沢の質問に、大塚は小さく「あぁ」と独り言のように呟くと、タンブラーグラスに半分程残っていたブラッディマリーを飲み干す。

「鮎沢」

 空にしたタンブラーグラスをテーブルに置きながら、大塚は左腕をテーブルに置くと少し上半身を前傾させて、視線を鋭くさせる。

「お前は私がやろうとしている事に、計画段階中ずっと反対をし続けていた。だが、説得した自分が聞くのも変な話でもあるが、何故、急に賛成に回ったんだ?」

 鮎沢はほんの一瞬だけ、大塚の視線から逃れるように左へわずかに向けたのだが、すぐに視線を戻す。

「言う必要はないと、思うのですが?」

 誤魔化すためか、タンブラーグラスに少し口を付けて飲んだのだが、視線は大塚を探るように向けている。

「こちらには聞く必要がある。お前が何を考えているのか分からないからだ。そして鮎沢、お前は私に対して答える必要がある。お前の考えを知る必要があるからだ。」

 大塚は鮎沢がグラスを置いたタイミングで自分のグラスを持ち、鮎沢から視線を外さぬように少しだけ、ブラッディマリーを優しく喉の奥へと流し込む。

「返答は出来ません」

 一呼吸おいて、鮎沢は無機質な声音で機械的に返答したのだが、視線はわずかに泳ぎ、声音とは対称的である。

「・・・答えろ、鮎沢」

 大塚の醸し出す雰囲気から逃れることが本当に許されないと思ったのか鮎沢は、背筋を伸ばして大塚の目を見ながら、一つ一つ紡ぐように言葉を選びながら大塚の質問に答える。

「仕方がありません・・・。お答えします。以前お話してくださった酒保の事が、考えを変える切っ掛けとなりました。」

「酒保?ああ、あの話か。だが例の話の何処に、鮎沢の心を動かすような事が?・・・あれはただ単にあの人と・・・」

「私は・・・・・・私も・・・もっと大塚さんのように、彼等に寄り添う事をあの当時から考えていれば・・・、恐れる事が無ければ・・・今の私は後悔し続ける事も無かったと思うのです。」

 鮎沢はそこで区切ると、三分の一残っていたブラッディマリーをゆっくりと飲み干して気持ちを落ち着けて、続きを話し始める。

「あの当時、自分だけ任務に就くことがありませんでしたから、周りの皆さんを嫉妬の目で見ながら『何故自分だけ』と、お恥ずかしい話ですが、とても荒れていました。・・・最初の頃は自分の事しか、見えていなかったんです。・・・優しくされても嬉しくなんて、ありませんでした。あの当時は。・・・だから自分から距離をおいてしまいました・・・。ですが、皆さんの・・・特に身近な者や、優しくしてくれた人達の様子があちこちから次々伝わって来るに連れ、段々と・・・後悔し始めました。でも、私はそれが原因で・・・皆さんに近付くのを躊躇って、更に距離をおいてしまいました。そしてそうこうしているうちに・・・姉達も行ってしまい・・・自分だけが・・・」

 鮎沢は視線をタンブラーグラスに落とすと、カウンター席の方に向いて軽く手を挙げる。

 ウエイターが来ると、鮎沢はブラッディマリーを濃い目にして欲しいと頼む。

 ウエイターは注文を書き込むと、大塚にも注文があるか聞いてくる。

 大塚は少し考えてから日本酒の名前を挙げるが、店員から日本酒の取り扱いが無いと言われ、残念そうな表情をすると、それではとブラッディマリーを先程より薄めにして欲しいと注文した。

 ウエイターは二人のタンブラーグラスを左手で持っていたトレイに載せると、軽く一礼してカウンター内へ戻っていった。

「私は・・・大塚さんからしたら、何の事もない日常のたわいもない出来事や、あの当時の彼等や彼女等の話を聞いて・・・、何でもっと早く・・・、姉達や・・・あの人や彼等と関わろうとしなかったのかと・・・考えていました・・・」

 鮎沢が先を続けようとすると、先程のウエイターが戻って来るのが見えたため、彼女は話を止めてウエイターが来るのを見ている。

 ウエイターはテーブルまで来ると青いマドラーが入っているタンブラーグラスを鮎沢の、黄色いマドラーが入っているタンブラーグラスを大塚の前に置いて一礼し、テーブルから離れた。

「大塚さんから計画を聞かされて、最初は・・・怖かったんです。姉達と関わったほんの一握りの人達は姉達を恐れ、拒絶していたと聞いていました。・・・もちろん、大塚さんが関わった方々のようにそうではない人達もいるというのも、姉達や他の皆さんからも・・・聞いてはいます。けれど、現実は・・・私は恐れられ・・・そして・・・恐れました・・・」

 鮎沢は数回マドラーを回して取り出すと、少し勢いをつけて一気に半分程を無理矢理に喉へと流し込む。

 グラスから口を離した瞬間、咳を堪えるように右手で口を押さえながら右下を見るのだが、堪えきれなかったのか咳き込み始める。

「鮎沢、大丈夫か?」

 大きく咳き込みながら、鮎沢は立ち上がった大塚に左手の平を見せて大丈夫だと意思表示をする。

 大塚はそのまま座らずにカウンターへ歩いていくと、先程注文を受けたウエイターに水を頼む。

 ウエイターはブラッディマリーを入れているのと同じタンブラーグラスに、水と氷を入れながら席に持っていくから戻るよう言っていたが、大塚はウエイターの手を煩わせたくないと、グラスを受け取ってから席に戻る。

「少し飲んで落ち着け。」

 先程より落ち着いてはいるものの、鮎沢は喉に違和感が残っているのか咳をしながらグラスを受けとる。

「ウォッカを濃い目にしておいて、勢いよく飲むからだ。」

 鮎沢は受け取った水を少しずつ飲むと、数回深呼吸して息を整える。

「酒の飲み方、誰からも教わってないのか?」

 大塚はブラッディマリーを少しずつ飲みながら、鮎沢の返答を待つ。

「ええ。教えてもらえるような・・・状況にありませんでしたから・・・。自分も・・・周囲の方々も・・・」

 鮎沢は残っていたブラッディマリーを、今度はゆっくりと飲んでいく。

 飲み終えるとグラスをテーブルに置いたのだが、上半身がぐらつき始めるのをテーブルに左手を着けて防ごうとしている。

「あれ?おかしい、ですね?大塚さん、少し揺れていませんか?地震・・・でしょうか?」

「何を言い出すんだ、大丈夫か?目も焦点が合ってないように見えるが?」

「確かに、周囲がぼんやりとしか見えないような・・・変です、大塚さん。頭も少し重く感じます・・・こんな事、今まで・・・」

 大塚は少し鮎沢の様子を伺いながら飲んでいたのだが、残りを飲み終えるとゆっくりと立ち上がる。

「鮎沢、立てるか?」

 それを聞いて鮎沢も立ち上がろうとするのだが、一瞬バランスを崩しかけて両手をテーブルに着け、足も軽く開いて踏ん張っている。

「申し訳、ありません・・・。上手く足に力が入らなくて・・・。どうしてしまったのでしょうか・・・」

 大塚は鮎沢の方に回り込むと、鮎沢の左腕を自分の左肩へ、自分の右手を鮎沢の右脇の下へ回し、鮎沢を気遣いながら抱え、自分達の部屋へと戻るためエレベーターホールへと向かう。

「大塚さん・・・」

「ん?」

 エレベーターホールに到着すると、鮎沢は普段とは違う、少しろれつが回らないようなしゃべり方で、ホールの床を見つめたまま大塚に話しかける。

「誰の言葉でしたでしょうか・・・『深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いている』というのは・・・」

「・・・うろ覚えだから自信はないが、確か・・・ドイツの哲学者、ニーチェの言葉だと思ったな」

 そう言いながら、大塚はエレベーターの上階のボタンを押して、扉の真上で点滅するLED表示を見つめる。

「私は・・・私と接していた彼等から恐怖心が伝わってくるのを恐れ・・・自分の恐怖心が伝わるのを恐れ・・・恐怖に染まった視線を向けられるのを恐れ・・・自分が恐怖しているのを知られるのを恐れ・・・拒絶しました。そして、私を知らない彼等の方は、と聞かれれば・・・大塚さんもご存じでしょうが、期待をしていました。私なら・・・私達なら・・・現状の打破が出来る・・・と・・・」

 エレベーターの表示が点滅から点灯に代わり、到着を告げる電子音が流れると、両開きのドアがゆっくりと開く。

「ですが私は、私を知らない彼等の期待には・・・」

 大塚は、上手く歩けない鮎沢を抱えながら、彼女に合わせて中に入っていく。

「鮎沢には分からんかも知れないが、現状打破のために・・・私は地獄を覗いた。」

大塚は左手を伸ばすと階数ボタンを押して、扉が閉まるのを待つ。

「逆に地獄からも覗かれ・・・お前も早く来いと、死神に囁かれた気がしたよ。」

 エレベーターの扉が閉まると、エレベーター扉の上の表示が点灯から点滅に代わる。

 誰もいなくなっていたエレベーターホールだが、大塚と鮎沢を接客していたウエイターがバーから出てくると、点滅しているLEDをじっと見つめ始めた。

 エレベーターが指定された階に到着したのか、点滅から消灯に代わると、ウエイターは首を数回左右に振ってから、足取り重くバーの中へ戻っていった。 

 到着した彼女達に視点を戻すと、大塚はエレベーターの中から足に酔いの反応が強く出ている鮎沢を、無理矢理に引き摺り出しながらなんとか部屋にたどり着くと、そのままベッドに座らせた。

 冷蔵庫へ歩いていき、その中に入っていたミネラルウォーターを手にして振り替えると、鮎沢は右半身を下にして横になって小さく寝息をたて始めている所であった。

「まったく・・・飲み方を知らないなら、ちゃんと言って欲しかったんだが・・・。まぁ、彼等の酔い方に比べれば、遥かに大人しいのが救いだな。」

 手にしていたミネラルウォーターを冷蔵庫に戻すと、鮎沢の靴を脱がせて足を掴み、ストッキングが伝線しないように気を使いながらベッドに乗せると、隣のベッドの上掛けを鮎沢に掛ける。

「鮎沢のお陰で、ベッドの布団が取られてしまった。・・・どうするかな・・・」

 窓に近付きカーテンを少しだけ開けて外を見て、胸ポケットから懐中時計を取り出して時間を確認すると、気持ち良さそうに寝息を立てる鮎沢を残して、部屋を出ていった。


○同ホテル 午前六時五十分


 カーテンの隙間から漏れる太陽の光が、寝返りをうった鮎沢の顔に当たると、彼女は閉じていた瞼を強く瞑ってから細く目を開ける。

(あ・・・れ・・・?ここ・・・は?)

 重たい瞼を擦りながら上半身を少し起こし、ぼんやりした頭で部屋の中を見回す。

(確か昨夜・・・バーに行って・・・)

 見慣れない部屋ではあったが、昨日の出来事を酒が残っている頭で思い出して軽く振った。

(そうでした・・・、ここはホテル・・・。)

 時間を確認しようとスマホを取り出すと、鮎沢は隣のベッドに上掛けが無いのに気付く。

 スマホを持ったまま、ぼんやりと皺一つ無く綺麗に整えられた上掛けの無いベッドを眺めていたが、何かに気が付いたように突然床に裸足で降りると、部屋の中を焦ったように見回す。

「大塚さん!何処にいらっしゃいますか!?大塚さん!」

 鮎沢は誰何するも大塚の気配は無く、焦燥感を募らせた鮎沢は持ったままだったスマホの画面ロックを解除して、大塚の携帯に電話をかける。

 呼び出し音が三回、四回と聞こえるのだが大塚が応答に中々答えない。

(大塚さん、お願いします!何時もみたいにすぐ出てください!)

 八回目の呼び出し音が終わった直後、ようやく大塚に繋がる。

「お、おはようございます、大塚さん!」

『おはよう。鮎沢、直ぐに出られなくて済まなかった。』

 何時もと変わらない大塚の声が聞こえたのだが、鮎沢は中々電話が繋がらなかったという普段と違う出来事に焦り、思わず大声を出してしまう。

「何かトラブルにでも遭ってしまったのですか!?今、何処です!?」

『トラブルではないが、ちょうど電話が鳴ったタイミングで“処置”していた。出られなくてすまない。』

「“処置”!?大塚さん、まさか誰かを!?何があったんですか!?場所を教えて下さい、今行きます!」

 鮎沢は酷く取り乱しながら、部屋から出ようとドアの前まで走る。

『落ち着け。私の言い方が誤解を招いたな。昔の知り合いに会っていたんだが、丁度忘れて眠ってもらっていた所だったんだ。今、ホテルに向かっているから、大人しく部屋で待っていろ。それから、明日は別の宿が取れた。食事をしたらそちらの宿を出よう』

「わ、分かりました。」

『その前に鮎沢。冷蔵庫に水が入っている。まだ寝惚けているようだから、それを飲んで顔を洗っておけ。少しはすっきりするはずだ。』

 大塚はそう言うと鮎沢の返事を待たず、通話を終える。

(良かった・・・何事もなくて・・・)

 鮎沢はその場にへたりこむと、項垂れてしゃくり挙げるような声を漏らす。


○横須賀市NR横須賀駅前ヴェルニー公園 午前七時五十分


 薄曇りの横監のH1には、DDH-185“するが”が着桟していて、艦首の旗竿には数名の海曹士が姿を見せている。

 普段艦首の旗竿に掲げられている日本国旗は、まだ時間になっていないため掲げられていない。

「よりにもよって・・・“するが”・・・」

 その姿をベンチの横で車椅子に乗っている逸見夏菜子と、ベンチに同年代位の女性が座っている。

「夏菜子さん、帰る?」

 ベンチの女性に声をかけられるが、逸見は首を横に振って女性に笑顔を見せる。

「大丈夫ですよ!大丈夫です!友恵さん、あれから何年経ってると思ってるんですか?」

「でも、無理しないでね?事故に遭った人達が夜にうなされたりしてる姿見てたから、大丈夫って言われても心配になるんだよ。」

 友恵とは、逸見が事故の際に運び込まれた“私立西静岡大学付属病院御前崎分院”元整形外科看護師の旧姓多野(たの)友恵で、今は一般人と結婚し長谷(はせ)友恵として、鎌倉市内の“きくかわ内科小児科クリニック”で小児科看護師をしている。

「ですよね・・・。でも、見てるだけなら、本当に大丈夫みたいです。」

「ならいいんだけど、私がいるからって無理しないでね?夏菜子さん、直ぐに無理しちゃうから・・・」

 そこからたわいもない話を続けていると午前七時五十五分になり、横監の庁舎や護衛艦達から一斉に放送が聞こえてくる。

「夏菜子さん?これが何時も言っていた“海上自衛隊の五分前”ってやつなの?」

「そうです。これも、です。」

 逸見はそう言うと抱えていたバッグから、帽子を取り出すと被る。

「夏菜子さん、それって“するが”で使ってた帽子?」

 長谷に聞かれ帽子を脱ぐと、帽子の横を見せながら説明する。

「そうですよ。ここに名前も刺繍されているでしょ?」

 そこには【衛生士 逸見夏菜子】の刺繍と、その横に『アスクレピオスの杖』、さらにその右隣に“するが”のスコードロンマークがデザインされたピンズが着けられている。

「こっちはアスクレピオスの杖、それからこっちの富士山の入ったピンズが“するが”の部隊用マークで、帽子と同じデザインです。旦那さんは興味があるようですから、もうご存知だと思いますけどね。」

 それぞれを指差しながら説明すると、長谷は右側のかなり離れた場所にいる夫と小さい男の子の方へ振り返り、呆れた様子で見る。

「旦那、興味がありすぎて、アスクレピオスは持ってないけど“するが”のピンズと帽子は、横須賀中央駅の近くで買って持ってるんだよ。他に・・・なんだっけな?“ひゅうが”?“きりしま”?それから・・・いっぱいあって忘れちゃった。」

 それを聞いて、逸見はクスクスと笑ってしまい、長谷はうんざりした様子を見せる。

「夏菜子さ~ん、笑い事じゃないわよ?貴女も結婚したらそうなる可能性あるのよ?旦那が今持ってるカメラはウン十万もするし、欲しがってる白いレンズは本体よりも高いのよ!?ありえる!?本体よりも高い付属品なんて!?息子は息子で、横須賀で見てる船の名前だったらすぐ出てくるのよ?あの二人には着いていけないよ・・・」

「ごめんなさい、笑っちゃって。でも、夫婦の仲が良さそうじゃないですか?いいなぁ、私も早く見つけたいなぁ・・・」

 逸見の言葉に長谷が意趣返ししてやろうと横を向くと、今度は“10秒前”の放送がかかる。

 長谷が横監の庁舎を見て逸見に視線を戻すと、既に帽子を被っていて、視線は護衛艦“するが”の艦首旗竿の方向に車椅子ごと向いている。

 その視線は真剣さを帯び、背筋もしっかり伸ばしていて、その様子に長谷は声をかけるのを躊躇ってしまう。

 放送で『時間』とかけられると、横須賀の日常である【自衛艦旗及び国旗の掲揚】が行われ、国歌が流れる中粛々と艦首に日本国旗が掲げられていく。

 逸見は挙手敬礼で、ゆっくりと旗竿を登っていく国旗に敬意を表している。

 長谷は護衛艦“するが”の方へ視線を向けると、数名の自衛官が旗竿の回りに集まっているのを見ているのだが、その中に逸見が作業衣姿で挙手敬礼しているのを幻視してしまう。

 思わず視線を艦首ファランクスの方へずらすと、スタンションのすぐそばに、1人だけでぽつんと立っている紺色の作業衣を着用した自衛官が見え、距離があるため彼か彼女か分かりにくいが、どうやら挙手敬礼をしているようである。

 長谷はまたも幻視かと思ったが、直ぐに消えることが無く、どうやらこちらは実在する人物のようである。

 そして『かかれ』の放送がかかると自衛官達の通常業務が始まり、逸見も挙手敬礼を終えると、帽子を脱いで左手で持つ。

「あれ?友恵さん?どうしたんですか?」

 長谷が一点を見つめているのに気付き、逸見はその様子に少し戸惑ってしまう。

「ご、ごめんなさい、夏菜子さん。あの185の“5”の上の白い筒みたいな物の横に人がいるんだけど、見える?」

 長谷は艦番号185の上のファランクスを指差して、夏菜子の視線を誘導する。

「あの筒みたいな物はCIWS(シウス)、今はファランクスって呼ぶようにし始めてるんですけど、それの横ですか?確かに・・・いますね。誰だろう?」

 逸見は乗艦当時の記憶を呼び起こしながら当該人物を見ているのだが遠すぎる事もあってか、士官用作業衣を着ているのが見える以外の手掛かりは掴めない。

「夏菜子さん、あの人って、そのシウス?って言うのを動かしてる人なの?旗を揚げ終わったのに、あの場所から動かないよ?」

 逸見は視線をファランクス横の人物に向けたまま長谷の言葉を聞いているのだが、逸見にもその士官が掲揚時から終わった今まで、何故1人だけ離れた所で動かないでいるのか疑問に思ってしまう。

「友恵さん、“するが”のCIWSは“かが” に搭載しているBL(ベースライン)2改良型の【ブロック1B-BL(ベースライン)3】なので、BL2と同様に自動追尾の他にCICから遠隔操作も出来ると聞きました。だからCIWSの操作で近くに人がいる事は無いそうですし、点検だって1人だけでするとは聞いたことが無いですから、あり得ないと・・・多分思うんですけど・・・」

 かつて大村から聞いた事を思い出しながら説明するのだが、目の前の状況と合致せず考え込んでしまった逸見と長谷の耳に、子供の声が聞こえてくる。

「ママー!あのねー!パパが“するが”っておふねのはた、しゃしんにとったってー!」

 長谷の息子の声が聞こえ二人がそちらを見ると、息子は彼女達の方に走ってきていて、その後ろからC社のカメラを首からぶら下げ、カメラバッグを斜め掛けした子供の父親が追いかけてくる。

「全くしょうがないなぁ」

 長谷はそう言いながら立ち上がると、勢い良く走ってきた子供は足に抱き着いて見上げる。

「ママ、あのね!あのおふね、“するが”っていってね!それでね!おじさんたち、はたをあげてた!」

 興奮した様子で国旗掲揚を長谷に伝えていると、彼女は息子の頭を少し荒っぽく撫でると、笑顔で返答する。

「そっかぁ!見られて楽しかった?」

「うん!たのしかった!あ、“するが”のぼうし!ぼく、もってるよ!」

 逸見が手に持っている識別帽を見つけると、指を向けて自慢気な顔を逸見へと向ける。

 長谷の夫は息子の声を聞きながら、走って上がってしまった息を整え終えると、疲れた様子を見せながら長谷が座っていた隣に腰掛ける。

「そっかぁ、僕も持ってるのかぁ。でもね?お姉ちゃんの持ってるのは特別なんだぞ?」

「とくべつ?なんで?」

「これ見て?お姉ちゃんのだからって、特別に名前がここに糸で縫ってあるんだよ?いいでしょう!?」

 逸見は長谷の息子に刺繍された名前の部分を見せながら自慢していると、長谷から呆れたような視線を受けていることに気付いたのだが、それを見なかった事にしてしまう。

「ほんとだ!“やまぎり”のおにいちゃんとおねえちゃんと、おんなじだ!」

「“やまぎり”?そこのお兄さんとお姉さんにも見せてもらったの?」

「うん!みせてもらったの!すごいでしょ!」

 長谷の息子は逸見に自慢された仕返しのつもりなのか、単純に知っている事を披露したかっただけかは判断出来ないが、どうだといわんばかりに両手を腰の辺りにおいて精一杯胸を張る。

「この子ったらね?もうちょっと小さかった頃に、“やまぎり”って船の見学してた時に航海士さんって言ってたかな?その人の帽子欲しがっちゃって大泣きしちゃったの。それで、『ごめんね、これお兄さんのって名前が書いてあるんだよ』って言いながら見せてくれて、近くにいた女性の人も見せてくれたの。」

「女性?あれ・・・?“やまぎり”で女性?友恵さん、もしかして名前は“大宮”ではありませんでしたか?」

「確か・・・そうだったような?」

「だとしたら、大宮未紗艦長です!護衛艦初の女性艦長なんですよ、その方!」

 現在1佐の大宮未紗は2佐時代、護衛艦DD-152“やまぎり”初の、そして護衛艦では初の女性艦長として着任していた。

 なお、大宮は3佐時代DD-156“せとぎり”において、女性初の護衛艦副長として着任している所から、長浦海里も憧れて目指す存在となっているのである。

「えっ!?その人2佐って言ってたから、てっきり航海長さんとかだと思ってた!あなた!もしかして私を担いだの!?前、そう言ってたよね!?」

「ち、違う、騙してないって!前に聞かれた時は確か“あたご”だったろ!?大型艦艇の2佐は航海長とかだけど、“あさぎり(きり)”型とか“むらさめ(あめ)”型の2佐は艦長なんだよ!ですよね、逸見さん!?」

「夏菜子さん?さっきの話、本当?」

 長谷が怒ったような表情で詰め寄ると、逸見はたじろぎながらも事実だと説明する。

 長谷は逸見の説明にようやく納得すると、息子を膝に座らせる。

「ねえママ?なんであのおねえちゃん、ずっとたってるの?」

 ファランクス側の士官の作業衣の人物に人差し指を向けたまま、長谷を見上げる息子の言葉に、長谷は疑問を投げ掛ける。

「お姉ちゃん?あの黒っぽい服の人は女の人なの?ママには分かんないな?なんでお姉ちゃんなの?」

 逸見は長谷と息子の言葉に、一言一句聞き逃すまいと耳を傾ける。

「おねえちゃんは、おねえちゃんだよ?“かが”にもおねえちゃん、いたよ?」

「“かが”にも、確かに何人かいたけど・・・。逸見さん、女性に見える?」

 言われて当該人物の方向を見る長谷と視線の方向を合わせたのだが、逸見の目にも男性とも女性とも、遠すぎて肉眼では判別がつけられない。

「ここからだと、分からないですね。せめて双眼鏡でもあればいいんですが・・・」

 二人が目を凝らして“するが”を見ていると、横の方からシャッター音が断続的に聞こえてくる。

 長谷と逸見が音の方を見ると、長谷の夫が望遠レンズのついた一眼レフカメラの液晶ディスプレイで、先程撮影した画像をチェックしている所であった。

「逸見さん、後で消しますけどこの子の言った通り女性のようです。横顔で分かりにくいかもしれませんが、お知り合いでしょうか?」

 そう言って長谷にカメラを渡すと、逸見は長谷と共に画像をチェックする。

 その画像を見て数秒後、逸見は体を震わせ始めると、目を大きく開いたまま、固まってしまう。

「逸見さん?大丈夫?この人、知ってる人?」

 その様子に気付いた長谷は、逸見に気遣うようにカメラを持ったまま、彼女の顔を覗きこむ。

「こ・・・こ、この顔・・・う、うそ・・・でしょ・・・嘘!?」

 ようやく我を取り戻したのか、画面に顔を近づけると体を震わせたまま、長谷の夫の方を見る。

「だ、旦那さん!これ!この写真下さい!お願いします!そ、それから!か、肩章が、う、写っている写真はありますか!?」

「えっ!?えっと、友恵。二枚戻してくれるか?確か肩が写ってたと思うんだ。」

 夫に言われた長谷は、女性の横顔の画像から分割画面に変えると夫に確認してから画像を開く。

 逸見は食い入るように女性の肩を見て、動きを止めると慌てて右ポケットを探り始める。

「本当に、本当にいた!」

 スマホを取り出すと、事情が分からず取り残された長谷達をよそに、画面を凝視しながら電話をかける。

「早く!早く出てよ!」

 相手が中々出ないのか、焦れったさを醸し出しながら画面を見ている逸見の鬼気迫る様子に、長谷とその夫は声をかけられずにいる。

「もしもし、逸見です!Bloody Commnderの件です!さっき・・・」

 そんな緊迫した様子の逸見とは対照的に、長谷の息子は足をぶらぶらとさせながら、笑顔で“するが”を見ているのだが、急に長谷を見上げると件の人物を指差す。

「ねえねえ、ママ?うんとね、あのおねえちゃんとね、“かが”とね、“いずも”と“とさ”のおねえちゃんってね、【しまい】なんだって!」

 長谷の息子の声が聞こえた瞬間、逸見はディスプレイから息子の方に視線を向けスマホを呆然とした様子で耳から離してしまう。

 受話口からは微かに、通話相手が逸見に大声で呼び掛けているのが聞こえてくるのだが、逸見の耳にはそれが入ってこないらしく、思考も止まってしまったかのように動きも止めてしまったのであった。


2018年最初のお話は、いかがだったでしょうか?


次話もお楽しみにしていただけるとうれしいです!

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